説明
高校の日本史教師・石川元は、事故をきっかけに安土桃山時代へ転生。 なんとその身体は、釜茹での惨殺ルートが確定している天下の大泥棒・石川五右衛門だった! 史実の知識と絆を武器に、彼は悪役としての破滅シナリオを打ち破ることができるのか。 歴史の裏に秘められた、もう一つの英雄伝。
※ この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
エピソード1
「石川五右衛門は、豊臣秀吉の命により三条河原で釜茹での刑に処された」
黒板の上で白い粉が舞う。金属質のチョークの音が小さく響いた。高校の日本史教師・石川元(はじめ)の声が、放課前の退屈な教室に溶けていく。
「油の沸騰する巨大な釜の中で、五右衛門は我が子を抱き上げ――」
キーンコーンカーンコーン。
無機質なチャイムの音が講義を途中で切り裂く。生徒たちが一斉に鞄のファスナーを引く音。机の脚が床を擦る騒音。元はチョークを黒板の溝に戻し、手のひらの白い粉を叩き落とした。教職の毎日は、判を押したような退屈な反復だ。職員室でタイムカードを押すと、薄暗くなった帰路を足早に歩く。
街灯がぽつぽつと点灯し始める夕暮れ。交差点の信号が赤から青に変わる。横断歩道へ一歩を踏み出した、その瞬間だった。
鼓膜を突き破る強烈なクラクション。斜め前から押し寄せる眩しい光。
鈍い衝撃。骨が砕ける無機質な音。アスファルトの湿った冷たさ。意識が急速に遠のいていく。
次に覚えたのは、焦げ臭い煙の臭いと、湿った土の肌触りだった。
「おい、起きろ五右衛門! 前田玄以の追手がすぐそこまで来ているぞ!」
激しい揺さぶり。頭を殴られたような割れる激痛が走る。重い目を開けると、そこは瓦屋根がどこまでも連なる見知らぬ街並みだった。眼前に立つ男は黒装束を纏い、眉間に深い皺を寄せて悲壮な目を向けている。
五右衛門。
その名が引き金となった。
脳裏になだれ込む、膨大な見知らぬ記憶の奔流。
幼名・五郎吉としての粗暴な少年時代。十四〜十五歳で両親を相次いで亡くした激しい喪失感。十九歳で伊賀の里へ渡り、師・百地三太夫のもとで叩き込まれた厳しい忍術の修行。そして師を裏切り、里を出奔して京の闇へと潜んだ大盗賊への道。
すべてが、石川元の頭脳に鮮明な事実として刻み込まれていく。
(俺が……石川五右衛門?)
冷や汗が背筋を一本の筋となって落ちていく。元は己の手を見た。ゴツゴツとした、刀傷の刻まれた武骨な皮膚。現代の日本史教師としての知識が、脳内で鳴り止まぬ警報を鳴らし続ける。
時代は安土桃山、豊臣秀吉の治世。ここは京の町。
このまま史実通りの行動をとれば、待っているのはあの凄惨な末路だ。三条河原の沸き立つ油釜。皮膚が焼き焦げる激痛。我が子の悲鳴。
(冗談じゃない。誰が釜茹でになんてなるか!)
「五右衛……いや、頭(かしら)、どうした!」
忍びの男――「影」が叫ぶ。遠くから足軽たちの足音と、松明の火が夜の湿気を払うように迫っていた。京都所司代・前田玄以の手先だ。
「……分かっている」
元は低く呟き、深く地面を踏みしめた。五右衛門の身体は驚くほど軽い。筋肉が収縮し、屋根から屋根へ、影のように跳躍する。冷たい夜風が頬を刺す。
歴史の教科書に印字された「死」のシナリオが、確実に自分を追いかけてきている。だが、歴史の結末を知っていることこそが、最大の武器だ。
「秀吉……いや、この時代のシナリオに、俺の命を差し出すつもりはない」
暗闇の京を駆け抜けながら、元は硬く拳を握りしめた。悪役として破滅する運命を、現代の知識で叩き潰す。天下の大泥棒の第二幕が、いま始まった。
最新エピソード
長い逃亡の旅路は、越前の山あいに抱かれた静かな村で終わりを迎えた。
身元を隠し、名を伏せた元は、そこで素朴な村の娘と出会い、夫婦となった。土を耕し、柴を刈る穏や
「天下の大泥棒、石川五右衛門の最期でございます!」
乾いた拍子木の音が、旅の空にカンと高く響き渡る。
三条河原の惨劇から数年。
三条河原に立ち込めていたのは、焦げた木炭と異臭、そして肌を焼く無機質な熱気だった。
巨大な鉄釜の底で、黒い油がうねっている。下から吹き上げる炎が釜の腹を赤く染め
頭の「逃げる」という断決。それに偽りはない。だが、権力者の密命を蹴る代償の重さを、影は誰よりも知っていた。
(頭だけは、生かさねばならない)







