星の海には、まだ風がある ――白猫と曽祖父のエーテル帆船――
説明
「宇宙の果てには何があるの?」 幼いエリアスに、曽祖父アロンはいつも笑って答えた。「行ってみなければ分からんさ」 あの日の言葉が、胸によみがえる。
帝都大学で星間史を学ぶ二十一歳のエリアス・アークライト。争いごとが苦手な彼女のもとに、亡き曽祖父の遺産として届けられたのは、五十年前の古びた光子帆船《アストラエア》だった。
かつて皇帝に認められ、帝国艦隊と渡り合った――そんなアロンの自慢話を、家族はずっと愉快なほら話だと思っていた。まして、宇宙には目に見えない風「エーテル」が流れ、その力で船が走るなど、大学の教科書にも載っていない。
ところが、《アストラエア》は今なお宇宙最速の船だという。なぜ走るのか、船主になったエリアス自身にも分からない。おまけに、気力で威力が変わるという謎の「精霊砲」まで積まれているらしい。
信じられない遺産と、曽祖父が遺した膨大な航海日誌。手掛かりを確かめるため、エリアスは仲間と星の海へ帆を上げる。ところが、置いてきたはずの白猫シロまで旅行鞄から顔を出して……。
星鯨の歌、地図にない灯台、記録から消された航路。旅するほどに、帝国の公式史と大好きだった曽祖父の思い出が食い違い始める。
「発見」とは、誰にとっての発見なのか。歴史に記されなかったのは、いったい誰の声なのか。
これは、最速の船を受け継いだ争い嫌いの女子大生が、白猫と仲間たちとともに、まだ名もない宇宙の海原へ漕ぎ出す物語。
エピソード1

「大じいちゃん、宇宙の果てには何があるの?」
「さあな。行ってみないと分からん」
「行ったこと、あるんでしょ?」
「あるとも。ところが帰ってくるたび、端っこが少し遠くなっておる。宇宙というのは、とんだ意地悪だ」
幼いエリアスが膝の上で笑うと、アロン・アークライトは得意そうに白い口髭を撫でた。きちんと撫でつけた銀髪、皺ひとつない洒落た上着、襟元に小さな星のブローチ。百歳近いとは思えないほど背筋が伸びていた。
「皇帝陛下にも会ったって、本当?」
「うむ。大層威厳のあるお方だった」
「どんなお話をしたの?」
「何やら難しい話をな。だが、紅茶に砂糖を二つ入れるのはわしと同じだったぞ」
「それ、昨日も聞いた!」
「良い話は何度しても良いのだ」
家族はそのたびに笑った。五十年前、帝国の最新鋭艦を置き去りにしたと言っても、星鯨の背中を灯台代わりにしたと言っても、誰も本気にしなかった。まして宇宙に見えない風「エーテル」が満ちているなど、理学の教科書にない。本人も訂正しなかった。ただ夜には、エリアスの毛布を肩まで掛け直し、「船に帰る場所があるのは幸運なことだ」と囁いた。
その大じいちゃんが百二歳で亡くなってから、四か月。
帝都大学星間史学科三年のエリアス・アークライトは、講義室で歴史教科書を睨んでいた。
『帝国第三次開拓期。リディアス提督、外縁北西回廊の無人航路を初踏破。航路支配によって辺境交易に繁栄をもたらす』
「『無人』って、誰が確認したんだろう」
隣の席のマラクが顔を上げた。学生の中では珍しい古式記録装置の愛好家で、いつも指先に修理油の匂いを残している。
「何が?」
「無人航路。誰も住んでないという意味? それとも帝国民がいなかったという意味?」
「また始まった。先生に聞く?」
「聞いたら『試験範囲外』って言われるよ」
エリアスはページの欄外に、手書きの小さな星図記号を見つけた。丸の端をわざと欠けさせ、そこから曲線を延ばす独特の記号。幼い頃、大じいちゃんが丸い紙片に何度も描いていたものと同じだった。
「……これ、大じいちゃんの癖だ」
「歴史資料に? 君の曽祖父は何をしてた人?」
「エーテルとかいう存在しない風で宇宙を渡った、すごく格好いいおじいちゃん」
「職業を聞いたつもりなんだけど」
「そこは私も知らない」
「エーテル? 空間にそんな媒体があれば、帝都大学の物理学科が半世紀も放っておかないよ」
「だからみんな、ほら吹きだって笑ったの。でもね、日誌には帆の角度も反応炉の温度も毎日書いてあるんだ。冗談にしては几帳面すぎると思わない?」
歴史を学ぶ者なら、記録に残されなかった名前も気に留めるべきだ。
『帝国第三次開拓期』と題された教材には、一隻の船が星図の空白へ入っていく絵が載っていた。旗を掲げる提督の名前は大きく、その下に小さな文字で『航路案内人、一名。氏名不詳』とあった。
あの日、エリアスは気づかなかった。大じいちゃんが、食卓でだけ名乗っていたふざけた肩書を。
『宇宙いちの道案内人、ただし帰り道でよく迷う』
祖母の家に戻った夜、彼女は遺品箱から銀の懐中時計も見つけた。蓋の内側には古い写真が貼られていた。若いアロンが白いシャツの袖をまくり、見知らぬ人々と肩を組んでいる。肌も服装も、記録映像で見る帝国民とは異なった。その一人だけが顔を黒く塗られている。
「この人、誰?」
「私も知らないの」と祖母は答えた。「あの人、よほど機嫌のいい夜にしか、その写真を見せなかったから」
「どうして顔を塗ってあるんだろう」
「秘密を持つことと、嘘で人を傷つけることは同じじゃないわ。けれど……」
祖母は写真の端を撫でた。
「ただ、秘密を残されたほうは困るわね」
「すごく困ってる」
二人は笑った。その夜、エリアスは初めて、大じいちゃんの楽しい話が誰かの沈黙の上に成り立っていたのかもしれないと考えた。
大学の資料室でマラクに写真を見せると、彼は人物より背景に食いついた。
「これ、旧式の帆柱だよ。帆なんて宇宙船に使わなくなって百年以上になる。五十年前にこれを実戦投入したなら、技術史の大事件だ」
「じゃあ、若い頃の大じいちゃんが船に乗ってた証拠?」
「それだけじゃない。背後の灯台、輪が二重だ。帝国の建造物にはない形だよ」
「どうして?」
「歴史資料にそう書いてある、って言いそうになった。駄目だね」
彼は苦笑し、写真の複製に注釈をつけた。
『出所:アークライト家遺品。撮影年代:推定。人物関係:未確認』
「え、名前は?」
「分かるまで書かない。証拠って、空欄を勝手に埋めないことでもあるから」
彼女はその行を見つめた。昔話なら大じいちゃんが答えてくれた。落ちにはいつも笑いがあった。だが今は、誰も最後の答えを教えてくれない。
それでも、空欄には行き先が書いてあった。《アストラエア》。その名前だけは確かだった。
夕方、祖母の家で遺品の箱を開けたエリアスは、古ぼけた係留証を見つけた。銅色の縁には《アストラエア》、その下には第八軌道港の登録符号がある。
「模型船の保証書じゃない?」と祖母は言った。「あの人、古い帆船の模型をいくつも持ってたから」
「ちょっと照会してみる。課題の材料になるかも」
「変なものを買わされないでよ」
「買わないってば」
翌朝、港務局の窓口で端末を見たエリアスは、呆然とした。
「私有船舶。一隻。登録者アロン・アークライト。現状、相続人への移管待ち……え、模型じゃないんですか?」
窓口係は眼鏡を上げた。
「模型なら軌道上の保管庫を三十二区画も占有しません」
「三十二区画?」
「保管料が長年免除されていた特殊登録ですが、名義人が亡くなったので廃船審査に移ります。引き取りを辞退されるなら、こちらへ」
画面には《解体に同意》の文字があった。写真には、かすれた金色の船名と、翼のように折り畳まれた帆柱。
大じいちゃんが本当に宇宙を飛んでいた船かもしれない。そう思った途端、知らない誰かがそれを切り刻む光景が浮かんだ。
「待ってください。まだ壊さないで」
「では仮移管と保全申請です。維持費の説明を最後まで読んでくださいね」
「はい。……え、この桁、間違ってません?」
「いいえ。ただし、故人の学術保全信託から六十日分の係留費が支払われます。その間に正式な引き取りか解体かを選んでください」
「六十日……」
エリアスは請求予定額から目をそらし、ひとまず仮移管の署名をした。
三時間後、エリアスは第八軌道港の巨大な整備窓に両手をついていた。
その向こうで、傷だらけの銀色の船が眠っている。船体には新旧さまざまな補修板。側面を走る青い傷跡は、焼けた金属が冷えて固まったものらしい。中央から伸びる帆柱には、虹色の極薄膜が幾重にも巻き取られていた。検査票上の分類は「光子帆」。だが恒星光を受ける普通の帆ではない。膜の裏側の導管は一般的な推進器を素通りし、機関室の黒い球形装置へ集まっていた。
「……おもちゃじゃない」
「ええ。しかも、今朝からあなたの管理下です」
背後で声がした。作業服を着た老航海士が、笑いを噛み殺している。
「引取書、読んだかね?」
「後半は、ちょっと」
「アロン船長の曾孫らしいな。危ない書類に署名するところまでそっくりだ」
老人はコヴァックと名乗った。八十七歳。長くこの船を預かってきたという。
「大じいちゃんを知ってるんですか?」
「若造のころ、あの人に何度も命を拾われた。何度もひどい目にも遭わされたがな」
「本当に冒険家だったの?」
「おや、家じゃ何と言ってた?」
「皇帝とお茶を飲んだとか、海賊の船を盗んだとか……」
「ああ。あれは帝国の追跡艇だ。細かいところを都合よく変える癖だけは最後まで直らんかった」
エリアスは笑えなかった。家で聞いた冗談の裏に、エリアスの知らない五十年があった。
「船を動かせますか?」
「動かすだけならな。だがこいつは、わしの知る限り宇宙でたった一隻のエーテル帆船だ。古今の帝国艦をすべて追い越した。今でも最速なのは変わらん」
「五十年前の船が、今も?」
「信じるかどうかは、お嬢さん次第。帆が風を受け、それで機関を回す。だがその風は、軍の測定器にも映らん」
「私、大学の実習で操舵の単位を……。でも、このエーテルって何なの?」
「アロン船長の日誌に書いてあるだろう」
「五冊あるのに、読んでも意味が分からないんです!」
「小舟の練習と外洋航海は別物だよ、お嬢さん」
救援を求められた幼馴染のリーは、船をひと目見て額を押さえた。
「リア。あなた、どうして大学の課題を調べていて宇宙船を買うの?」
「買ってない! ……ほとんど」
「ほとんど?」
「相続しただけ。あと保管料がちょっと」
「この船の『ちょっと』は私の年収より重そうね」
リーは民間航行資格を持ち、港の救助艇で研修を積んでいる。彼女は船腹の焼け跡を検査し、中央帆柱を叩き、機関室の古式計器をひとつずつ確認した。
「船体は意外に丈夫。だけど帆とリアクターの連動試験が済むまで出航不可。通常の星間炉じゃない。反応物質も流量も測れないのよ。あなたは船主であって船長じゃない。実務上の責任者は私が引き受ける。いい?」
「うん」
「曖昧な返事は禁止」
「了解です、航行士殿!」
「それと船首の砲門は?」
「日誌には『精霊砲』とあるだけ。エーテルを使って、乗る人の気力や精神で威力が変わるらしい」
「技術説明じゃなくておとぎ話ね」
「巨大戦艦を一撃で沈めたって書いてある。でも……私、争いは嫌い。絶対に試し撃ちしないで」
「よろしい」
マラクも加わり、三人は二週間、修理と帳簿に追われた。食堂で見つけたアロンの帳面には『出航前に修理を終える几帳面な仲間を軽んじるな』とある。
「分かってたなら、この配線を放置しないでほしかった」とリーがぼやいた。
修理の終わりが見え始めたころ、帝国交易院の監督官がやって来た。イレーナ・フォルバン。磨かれた制服と硬い表情の持ち主で、星図院の機密指定を示す令状を持っていた。
「《アストラエア》には旧帝国機密登録が残っています。個人所有は認められません。航行資格を一時停止します」
「でも相続の審査は通ってます」
「港務局の登録と国家機密の管理は別制度です」
「何の機密ですか?」
「それを告げる権限がない」
「調べる権限もない人が、私の船を取り上げるんですか」
エリアスは自分の声が震えたことに驚いた。イレーナも一瞬だけ目を細めた。
「不服申立ては可能です。ただし機密審査が終わるまで、船を港外へ出すことはできません」
「審査はいつ終わるんです?」
「未定です」
「それって、『二度と』と同じじゃないですか」
夜。船の通信室で、マラクが古い音声チップを再生した。アロンの声が、ひどく近くから聞こえた。
『リアへ。これを聞いているなら、お前はまた、わしの戸棚を勝手に開けたな』
「……ばれてる」
『良いぞ。開けないと分からんこともある。ただし、誰かの家へは勝手に入るなよ』
続いて雑音。画面に座標が浮かんだ。デルタ・ナイン・ゼロ。帝国星図から消えた点だ。
『星の歌が聞こえたら、声の主を見つけなさい。道は人が勝手に所有するものじゃない。そして、帰ってこい。話を聞きたい者が、必ずいる』
その声の背後に、低い口笛が混じっていた。子どもの頃、眠る前に聴いた不思議な旋律。エリアスは膝の上に置いた手を強く握った。
「大じいちゃんは、私に見つけてほしかったのかな」
コヴァックは首を横に振った。
「見つけるかどうかも、お前さんに選ばせたかったんだろう。あの人はそういう男だ」
イレーナの機密指定に対し、リーは港務局の規則から唯一の抜け道を見つけた。相続船の状態確認航海。交易院の監督官が立ち会い、港務局の許可した短距離区間を試験航行する場合に限って認められる。
「私が同乗するなら、合法の余地があります」
イレーナは書類を確認しながら言った。「ただし指定宙域への進入は認めません」
「まず船を飛ばす。それだけで十分です。武装の試験はしません」
エリアスが答えると、コヴァックが目尻を下げた。
「そうだな。最初の一歩を踏める者だけが、次の岸を見られる」
そして出航当日。リーが操縦席で帆の張力を読み、マラクが観測装置を立ち上げ、コヴァックが索具の異音に耳を澄ませる。イレーナは監査記録を開き、エリアスは船主として初めて航海日誌の冒頭に署名した。
『本日の航海目的――船舶安全の確認、およびアロン・アークライトの遺した記録の由来調査。判断責任者、エリアス・アークライト』
「帆、展開準備完了。出航するわ」
港の光が船尾へ遠ざかり、宇宙の黒が窓いっぱいに広がった。リーが通常推進系の点火を確認すると、コヴァックは年代物の帆索を慎重に開いた。
「エーテル流入、たぶん増加……」とマラク。
「たぶん?」
「科学に存在しない数値を、どの単位で読むのさ!」
機関室の黒い球が低く鳴り、計器の上限値を針が軽々と越えた。帆が受けた何かをエーテルリアクターが動力へ変え、船尾の空間そのものが後方へ滑り出す。
「この加速、帝国現用艦の公称最高値を超えた」とリー。
「試運転で!? お願い、ゆっくり!」
「全然、出力を上げてないんだけど」と、リーが呆然と呟いた。
エリアスは深く息を吸った。大じいちゃんが見ていた景色だ。
居住区に戻ると、足元の帆布鞄が動いた。
「……え?」
もう一度、もぞり。
留め具を開くと白い耳が二つ現れ、次に青い目、そしてたいへん不満そうな顔が現れた。
「シロ!?」
「にゃあ」
「家でお留守番って言ったよね!?」
通信機の向こうでリーが噴き出した。
『家族が増えたって、本当?』
「猫が密航してる!」
『出航前の荷物検査、すり抜けたの?』
「私の冬服の間に入ってたみたい……」
『はあ。居住区を封鎖して、動物用の水と餌を確認。船医用の検査装置で状態も見る。船外へ絶対に出さないで』
「了解!」
「にゃあ」
「あなたは反省して!」
マラクが観測日誌に『乗員五名、その他一匹。白く、威圧的』と書いた。シロは彼の足元を通り過ぎ、なぜかイレーナの椅子に飛び乗った。監督官は猫を見つめ、猫も監督官を見つめた。
「……これは記録上、何に分類するべきでしょう」
「大切な乗客」とエリアス。
「密航者です」とイレーナ。
「どっちも正しいね」とリー。
船に小さな笑いが生まれた。
だが試験航路の終端で、黒い帝国保安局艦が進路を塞いだ。
『機密船《アストラエア》、ただちに停船せよ。乗員を拘束する』
イレーナが身を起こす。「その命令系統は? 私の監督任務と競合しています」
返答はなかった。かわりに保安艦が妨害波を照射する。帆の制御警報が鳴り、古い船体が軋んだ。
「船主、どうする?」とリー。
「逃げたい。でも勝手に逃げたら、みんなまで罪になる。撃ち返すのも嫌。向こうの艦にも、帰りを待つ人がいるでしょう」
「私たちは承知で乗ってる。決めるのはあなた。ただし操船は私がする」
エリアスは航海日誌の電子署名欄を開いた。逃走が正しいと断定できない。けれど黙って捕まれば、大じいちゃんが消された理由まで消えてしまう。
「保安艦の識別番号と妨害照射を全部記録して。私の名前で異議を申し立てる。まず退避のための進路変更を申請します」
「相手が認めない場合は?」
「そのときは……逃げる。誰も壊さずに、みんなを帰すために」
リーが頷いた。「了解。古い帆船の本領を見せてあげる」
《アストラエア》は小惑星帯の隙間へ滑り込んだ。追跡艦が砲を向けた瞬間、船腹の精霊砲の安全灯も赤く明滅する。自動迎撃かもしれない。
「使わないで!」とエリアス。
「了解。反撃系統は切る」とリー。
保安艦の照射が船尾を掠め、予備の空気再生器に損傷警報が走った。
「リアクター出力、まだ上がる!」
「じゃあ距離を取って。相手を刺激しないで!」
帆を一度ひねると、通常の空間機関では不可能な加速が始まった。星明かりが一本の線に伸び、警備艦の識別光は一呼吸で観測範囲の外へ消えた。マラクが速度を読み上げかけ、言葉を失う。
「ほら吹きじゃなかった……」
見えない流れの境を越えた途端、帆が弛み、球形リアクターの唸りが消えた。
「……推力ゼロ?」とマラク。
「凪だ」とコヴァックが呟く。「この海にまで来たのか」
帆からの入力が止まればリアクターも沈黙する。補助推進器では暗礁から脱出するまでに何年かかるか分からない。損傷した再生器が淡々と残余時間を示す。居住区ではシロが毛布の上で眠っている。エリアスはその小さな腹が上下するのを見て、航海日誌を開いた。
『最初の発見。宇宙では、勇気より先に空気が要る』
情けない一行だった。だが削除しなかった。
「マラク、座標デルタ・ナイン・ゼロの音を拾える?」
「ここ、星図の空白ですよ」
「空白なら、まだ誰にも消されていない音があるかもしれない」
マラクが受信帯域を広げる。初めは砂を擦るような雑音。次に、遠くから一定の間隔で脈打つ低い振動。
エリアスは息を止めた。
幼いころ、大じいちゃんが口笛で吹いてくれた旋律だった。
「……ねえ、みんな」
彼女は窓の外に広がる、何も描かれていない星の海を見つめた。
「この歌、私、知ってる」
「速い船ほど、急いで決めるな」大じいちゃんの声を思い出し、エリアスは聞こえた音の時刻だけを日誌へ記した。歌の主が敵か味方か、まだ決めない。
最終更新: 2026-10-19
最終更新: 2026-10-19







