説明
東と西の凶悪なマフィアが睨み合う無法地帯の裏路地。組織に属さず拳ひとつで暴れ回る21歳の「狂犬」ロックは、東の冷徹なボスの娘アリシアに屈服させられ、命と引き換えに「夜の玩具」に落とされる。屈辱を噛み締めながら牙を研ぐ男と、街全体を盤面として踊らせる毒婦。血と狂気で紡がれる暗黒街サスペンス!
エピソード1
街の血を吸って膨らんだ舗装は、真夏でも冷えていた。
東のファルコーネと、西のベルーチ。二つの巨大な暴力が噛み合ったまま静止する緩衝地帯。そこが、ロックの庭だった。
「おい、新顔」
影から吐き出された声。路地の角で、ロックは足を止めた。
視線の先、三人の男。胸元には西の紋章。境界線を越えて踏み込んできた愚か者たち。ロックの口元が自然と歪む。言葉は不要だった。
最初の一歩で間合いを殺す。
右の男の喉頭へ直拳。軟骨が砕ける鈍い感触。崩れ落ちる体を盾に、左の男の膝を蹴り折る。悲鳴が路地の壁に反響する暇もない。最後に残った中央の男の髪を掴み、そのままコンクリートの壁面へと叩きつけた。
重い衝突音。石灰の粉塵。滴る赤。
三分とかからない。
「この路地じゃ、俺の許可なく息も吸うな」
転がる倒木のような体を踏みつけ、ロックは血の混じった唾を吐き捨てた。
21歳。組織の徽章も、後ろ盾もない。
持っているのは、硬い拳と、死角のない野心だけ。
この街の裏路地には独自の掟がある。強い者が奪い、生き残る。その単純な法則を叩き込んだのはロック自身だった。親に捨てられ、路地裏のゴミ箱を漁っていた頃から、拳一つでここまでの領域を切り拓いてきた。
ファルコーネの黒い外車が通過する。ベルーチの凶犬が影を潜める。
二大マフィアの狭間で、ロックは誰にも頭を下げない一匹狼として君臨していた。周囲の人間は恐れを込めて呼ぶ。「境界線の狂犬」と。
だが、路地の王であっても、街全体の覇者ではない。
夜、安酒場の中庭。ロックは木箱に腰掛け、包帯を拳に巻き直していた。固くなったタコと、無数の傷痕。これが自分の全財産だ。
「もっと大きな血が欲しい」
小さく呟く。
二大マフィアの均衡は、薄氷の上にある。どちらかが崩れれば、街は一気に熱を帯びるだろう。その時、隙を突いてどちらかの首元に噛み付く。それがロックの描く成り上がりの筋書きだった。
雑魚をいくら倒しても、腹は満たされない。狙うは頂点。
「いい威勢ね、狂犬さん」
闇を裂いて届いたのは、鈴の鳴るような、だが凍てつく女の声。
ロックは瞬時に跳ね起き、構えをとった。
気配がなかった。自分の縄張りで、ここまで接近を許すことなど過去に一度もない。
路地の奥から歩み出てきたのは、一人の女。
漆黒のドレス。夜の闇をそのまま切り取ったような生地が、滑らかな肢体を包んでいる。細いヒールが濡れたアスファルトを叩くたび、鋭い音が路地に響く。
背後に佇む、二人の大男。黒いスーツの胸元には、東の紋章――ファルコーネの金糸刺繍。
女の顔に刺す、街灯の鈍い光。
細い眉。切れ長の瞳。氷のように冷たく、それでいて獲物を品定めするような猛禽の眼光。
アリシア・ファルコーネ。25歳。
東を実質的に統括するボスの娘。そして、この街で最も危険と称される毒婦。
「東の人間が、何の用だ」
ロックは身構えたまま、低く唸った。全身の毛髪が逆立つ。
「うわさは聞いていたけれど、案外いい目をするのね。野良犬の分際で」
アリシアは足を止め、口元に小さな笑みを浮かべた。嘲笑ではない。冷酷な興味の笑み。
「ここから消えろ。さもなきゃ、その手下ごと壁のシミにする」
ロックの脅迫に、アリシアは深紅の唇をわずかに開いて、くすりと笑った。
「試してみる?」
ロックの身体が動いた。一瞬の跳躍。ターゲットはアリシア本人。手下をかいくぐり、その細い首を絞め上げる直線ルート。
勝てる。速さなら負けない。
だが、拳が彼女の肌に触れる直前。
横合いから伸びてきた影が、ロックの視界を遮った。
重厚な衝撃。胸部に激痛が走り、ロックの体は空中で弾かれ、背中から壁に激突した。
「ガハッ……!」
肺から空気が押し出される。
立ち上がろうとするが、追撃の脚が腹部を容赦なく踏みつけた。車に跳ね飛ばされたような圧力。見上げると、アリシアの背後にいた大男、ファルコーネの精鋭の一人が立ちはだかっていた。
「無駄よ」
アリシアがゆっくりと歩み寄り、立ち尽くすロックの前で屈み込んだ。
視線が交差する。ロックの瞳にあるのは怒りと殺意。アリシアの瞳にあるのは、圧倒的な余裕。
「あなたの拳は確かに鋭いわ。貧民街の雑魚を相手にするなら十分でしょうね。でも、ここはマフィアの街。組織の暴力の前では、個人の腕力なんてただの玩具なの」
アリシアの手が伸び、ロックの顎を固い指先で掴み上げた。無理やり顔を上げさせられる。
強烈な屈辱。全身の血が逆流するような感覚。しかし、体は指一本動かない。格が違っていた。経験も、背負っている暴力の量も。
「殺すなら殺せ」
歯の隙間から血を吐き出しながら、ロックは睨み返した。
アリシアは爪でロックの唇の血を拭うと、それを自分の口元へ運び、舐めた。
「殺す? いいえ、もったいないわ」
彼女の瞳に、妖しい光が宿る。
「あなた、いい牙を持っているもの。折ってしまうのは惜しいわね」
アリシアの顔が近づく。高級な香水の香りと、冷たい吐息。
「今日からあなたは、私のものよ」
「何……?」
「ファルコーネの手下にするつもりはないわ。そんな使い古された枠、あなたには似合わない」
アリシアの細い指が、ロックの胸元を滑り、心臓の鼓動を確かめるように強く押し付けられた。
「私の夜の玩具になりなさい。命が惜しければね」
首を絞められたような沈黙が路地を支配する。
手下になるのではない。「玩具」という名の奴隷。男としてのプライドを粉々に打ち砕く言葉。
ロックの奥歯が軋んだ。拒絶すれば、今この場で頭抜きに撃ち抜かれて終わる。死ねば成り上がりも、野望も消える。
「……いいだろう」
絞り出すような声。ロックはアリシアを睨みつけた。
「だが、油断するなよ。いつかその首筋に、俺の牙を叩き込んでやる」
アリシアは満足げに目を細め、ロックの頬を優しく、しかし叩くように撫でた。
「楽しみにしているわ、狂犬さん」
立ち上がったアリシアは、一度も振り返らずに黒い外車へと乗り込んだ。
エンジン音が夜の静寂を切り裂き、車は境界線を越えて東の闇へと消えていく。
一人残された裏路地。
ロックは膝をつき、激しい咳込みとともにアスファルトへ拳を叩きつけた。
関節が白く浮き出る。屈辱で全身が震えていた。
だが、その瞳の奥で、消えかかっていた火花が激しく燃え上がり始めていた。
鎖は繋がれた。
しかし、まだ息はある。
ロックはゆっくりと立ち上がり、東の空を見つめた。
アリシア・ファルコーネ。彼女の腕の中で息を潜めながら、牙を研ぐ。その頸脈を噛みちぎる、その時まで。
最新エピソード
雨は止んでいた。
濡れた舗装に反射するネオンの明かりが、境界線の路地を赤と青に斑模様に染めている。
路地の奥、沈黙の残骸。
肉を砕き、命
東の夜が死に、西の獣が爪を研ぎ始める。
境界線の裏路地は、濡れたアスファルトが灯りを吸い込み、漆黒の泥のようだった。
風が吹き抜けるたび、錆びた看板
深夜の雨は、街の歪みを洗い流すどころか、ただ黒い油膜のように舗装を濡らしていた。
東と西の境界、裏路地の入り口。濡れたアスファルトに、倒れたパイプ椅子が転がっている。
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意識の底から這い上がった時、鼻腔を突いたのは消毒液と濃密な香水の混じり合う匂いだった。
高級クラブの最奥、アリシアのプライベート・ルーム。
ロックは上半身を起こした。腹部







