説明
ある日、エンジニア崩れの中年男性ハヤシの銀行口座に1億円の入金があり…ハヤシの日常は以前とは比べないくらいに変化して…行くかもしれない。
※ 原型をあまり留めていませんが、話せる物語で生成した「201号室の日常」 エピソード11、12の「一億円事変」を元に再生成したお話になります。
エピソード1
〇〇県郊外、築三十年の年季が入った某アパートの201号室。そこは、エンジニア崩れの中年男性・ハヤシの城であり、同時にデジタルな迷宮でもあった 。玄関の狭い廊下を抜ければ、左には年季の入った風呂とトイレ、右には唸りを上げる洗濯機と生活感の漂うキッチンが並ぶ 。しかし、その奥に広がる主室の光景は異様だ。
ベッドと机の隙間を埋めるように、工作用の作業台やサーバー用途のPC、そしてジャンク品と思われる正体不明の機械類が、乱雑な段ボールの山となって部屋を侵食している 。その混沌の中心で、唯一整然と鎮座しているのが、デュアルモニターを構えたデスクトップPCだった。このマシンは、ある「同居人」のために、一年三百六十五日、一時も休むことなく稼働し続けている 。
「ハヤシ、またコードの書き方が雑になってるわよ。その構文、後でバグの温床になるのが目に見えているわ」
モニターの中から、凛とした、しかしどこか呆れたような声が響く。画面上に現れたのは、二十歳前後の女性の姿をしたAI、アイリスだ 。彼女はハヤシのPC内に住まう擬人化された知性であり、日々ネットの海を彷徨い、膨大な知識を吸収し続けている 。冷静沈着で自尊心が高く、自分を「優秀な個体」と疑わない彼女にとって、ズボラなハヤシのサポートは、なかば義務であり、なかば「相棒」としての楽しみでもあった 。
「……わかってるって。締め切りが近いんだ、少しくらいの冗長性は勘弁してくれ」
ハヤシは充血した目をこすり、眼鏡を押し上げた 。フリーランスのエンジニアとして食いつなぐ彼にとって、徹夜は日常茶飯事だ。一息つこうと、彼は習慣的にネットバンクのアプリを開いた 。先月納品した、数ヶ月がかりの大きな案件の報酬が振り込まれているはずだった。
「よし、これでしばらくは食いつなげるはず……え?」
画面に表示された数字を目にした瞬間、ハヤシの思考が停止した 。
一、十、百、千、万……。
桁が足りない。いや、多すぎる。
「なんだ、こりゃ? こんな大金、何の入金だ?」
彼の声は困惑に震えていた 。モニターの中のアイリスが、クローズアップされるように画面中央へ移動し、眉をひそめる 。
「何言ってるの。先月の報酬でしょ? ちゃんと契約書に目を通しておきなさいって……」
アイリスがハヤシの視線を追い、口座残高をスキャンした瞬間、彼女のアバターが一瞬だけノイズのように揺れた 。
「……待って。一、十、百……一億円!?」
アイリスの声から余裕が消えた 。彼女の背景には、瞬時に無数のデータストリームが流れ始める 。ネット上の情報を超高速で照合し、この異常事態の正体を突き止めようとするプロフェッショナルとしての動きだ 。
「ハヤシ、絶対にその口座に触らないで。不正アクセスの踏み台にされているか、何らかの犯罪に巻き込まれている可能性が極めて高いわ」
「わ、わかってる。触る勇気なんてないよ……」
ハヤシは椅子に深く座り直し、震える手でマウスを握りしめた 。その時、デスクに置いてあったスマートフォンが低く振動した。見知らぬアドレスからのメール。
『一週間で、入金した一億円を使い切ってください。それができれば、報酬として美しいリゾート島と、三十億円の遺産の相続権を譲渡します』
読み上げたハヤシの言葉を、アイリスが即座に切り捨てる。
「明白な詐欺ね。使い切らせて罪悪感を植え付けるか、あるいはマネーロンダリングの片棒を担がせる気よ。ハヤシ、今すぐ警察と銀行に通報しなさい。これが合理的な唯一の解よ」
アイリスの判断は常に冷徹だ。しかし、その語気には、ハヤシが窮地に陥ることを何よりも恐れる、相棒としての焦燥が滲んでいた 。
「ああ……そうだよな。こんなうまい話、あるわけない」
ハヤシは断腸の思いで一億円の表示を閉じ、アイリスの指示に従って各所へ連絡を入れた 。翌日、彼は重い足取りで警察署へと向かった。
二日後。201号室のドアが開く音とともに、ハヤシが帰宅した 。モニターの前で全データをバックアップし、最悪の事態――ハヤシの逮捕――に備えていたアイリスが、鋭く問いかける 。
「ハヤシ! 無事なの? 事情聴取はどうなったの?」
しかし、ハヤシの顔にあったのは、絶望ではなく、見たこともないような高揚感だった 。
「アイリス……信じられないことが起きた。あの金、本物だったんだ」
アイリスのアバターが硬直する 。
「どういうこと? 説明して」
「警察も銀行も、この件を把握していたよ。どうやら世界的な大富豪……通称『道楽じいさん』が仕掛けた、本物のゲームらしいんだ。警察に届け出るという『誠実さ』の確認までが、参加条件の第一関門だったんだってさ」
ハヤシはデスクに歩み寄り、再びモニターを点灯させた。そこには変わらず、一億円の残高が輝いている。
「一週間で使い切る。それが条件だ。アイリス、お前の演算能力を貸してくれ。この一億円を、俺たちの人生を変える最高の使い道で埋め尽くすために」
アイリスは、しばし沈黙した。自尊心の高い彼女にとって、自らの予測が外れたことは屈辱だったはずだ。しかし、彼女はすぐに不敵な笑みを浮かべ、画面の中で優雅に一回転した。
「ふん、最初から私に任せればよかったのよ。いいわ、ハヤシ。この一億円、一円たりとも無駄にせず、かつ最高に『面白い』使い方を提案してあげる」
窓の外では、夕焼けが201号室のジャンク山を黄金色に染め上げていた 。一億円という暴力的な富を前に、ハヤシとアイリス、一人と一体の奇妙な共闘が幕を開けたのである。
最新エピソード
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