説明
アンドロイドになってしまった女子大生アイの日常。
エピソード1
「ええっと……本当に、現世に戻りたい、ですか?」
白髪の、いかにも神様といった風貌の老人が、困惑したように私を見ていた。
「はい。何度も言わせないでください、恥ずかしいので……」
私は自分のカーディガンをきつく握り締め、うつむいた。
私の名前はアイ。どこにでもいる、ちょっと押しに弱くて内気な女子大生だ。アパートで一人暮らしをしながら、できるだけ目立たないように、教室の隅の空気のように生きてきた。それなのに、まさか大学の帰りにトラックに跳ねられるなんて。
神様は、私の死後の魂を哀れに思ってか、「チート能力付きで異世界に転生させてあげる」と提案してくれた。聖女だの、魔法無双だの。
でも、そんなの絶対に御免だった。ただでさえ目立つのが怖くて、他人の視線に怯えて生きているのに、異世界で英雄になんてなったら恥ずかしさで爆発してしまう。私は流されやすい自分にコンプレックスを抱いていたけれど、それでも、あの地味で不自由な現世の日常に帰りたかった。
「分かりました。五体満足とはいかないかもしれませんが……あなたの魂を、現世へお返ししましょう」
神様のその言葉を最後に、私の意識は深い闇に落ちた。
◇
『――システム、起動。ブートチェック、オールグリーン』
『視覚センサ、接続完了。残バッテリー、九十八パーセント』
耳元で、聞いたこともない合成音声が妙にハッキリと聞こえた。
ゆっくりと目をあける。
視界の隅に、まるでRPGゲームの画面のような半透明のウィンドウが浮かんでいた。
【個体名、アイ(試作零一号機)】
【ステータス、スタンバイ】
【周囲の環境、酸素濃度、二十一パーセント、室温、二十四度、人類多数】
「……え?」
声を出そうとした。けれど、自分の口から出たのは、自分の声によく似ているけれど、どこか金属質で平坦な電子音だった。
「おい! 目を開けたぞ!」
「成功だ……! 脳波、安定しています!」
「魂の定着率、九九・八パーセント! 奇跡だ!」
視界がクリアになるにつれ、私の周りに大勢の人間がいるのが分かった。全員が白い白衣を着た研究者らしき大人たちだ。彼らは抱き合ったり、ガッツポーズをしたりして、割れんばかりの大歓声をあげている。
何、これ。どこ、ここ。
私は混乱した。神様は現世に戻してくれるって言ったはずだ。なのに、どうして私は見知らぬ研究所の台座の上で、大勢の大人たちに凝視されているのだろう。目立ちたくない。今すぐ逃げ出したい。
動揺のあまり、右手を動かそうとした。
ウィィィン、と微かなモーター音がして、視界の前に「それ」が現れる。
それは、人間の肌に酷似したシリコンで覆われているものの、関節の継ぎ目が無機質な、完璧にデザインされた「機械の腕」だった。
『警告 エラーコード四〇四。精神高揚を検知。心拍数(疑似)上昇』
視界の端で赤い文字が激しく点滅し始める。
私は戸惑い、すがりつくような思いで、あたりを見回した。工程を無視して脳内に流れ込んでくる奇妙な文字列と、自分のものとは思えない腕。わけのわからない恐怖に心臓が潰されそうになる。そして、その視線の先――部屋の中央に鎮座する、ひときわ大きなカプセルに目を留めた。
カプセルの中は、淡い緑色の液体で満たされている。
その中に、ぷかぷかと浮いている「不格好な塊」があった。
それは、人間の身体だった。
全身が痛々しい包帯と医療機器のチューブで繋がれ、痛ましく傷ついた、一人の女の子の裸体。
見間違えるはずがなかった。あれは、私だ。私が二十年間使い続けてきた、あの地味で、少しコンプレックスのあった、私自身の生身の体だった。
「ひえっ、あ、あああ……っ!」
パニックが脳内を駆け巡る。
カプセルの中の私は、五体満足にはほど遠く、まるで壊れた人形のように静かに眠っている。じゃあ、今こうして動いている、この硬くて冷たい「私」は一体何なのだ。私はどうなってしまったのだろう。
『警告。パニックモードに移行。強制冷却システムを作動します』
プシュー、と首の後ろから冷たい蒸気が噴き出す。それでも混乱は収まらない。
「落ち着きなさい、アイさん」
人混みをかき分けて、初老の白衣の男性――この研究所の所長が、私に優しく語りかけてきた。
「怖がらなくていい。君は生きている。あの事故の時、君の身体はあまりにも大きなダメージを受けすぎてしまった。今の医療技術では、完全に治療するまでにかなりの時間がかかる。このままでは、君の魂が『死』を自覚して消滅してしまうところだったんだ」
所長はカプセルと、今の私の不気味な身体を交互に指差した。
「だから私たちは、君の意識と魂だけを、この最新型のアンドロイドへ一時的に移植した。君の生身の身体の治療が完了するまで……君には、その機械の体で過ごしてもらうことになる」
――アンドロイド。
所長の口から出た単語が、冷え切った頭にようやく染み込んでいく。
私はアンドロイドになってしまった。異世界を断ったのに、現世でチートロボットのようなものにされてしまったのだ。
治療が完了するまで。
それが数ヶ月なのか、数年なのかは分からない。
私の視界には、相変わらず「ログ解析完了」だの「ネットワーク接続良好」だの、人間らしからぬ文字列が明滅し続けている。研究者たちは、私のデータを見て「素晴らしいスペックだ」と目を輝かせていた。
目立ちたくない。空気のように生きたい。
そんな私のささやかな願いは、現世の超科学によって無残に打ち砕かれた。
不自由で、強すぎる、銀色の身体。
こうして、私の前途多難なアンドロイド生活が幕を開けたのだった。







