説明
ボスのバルトロメオがてんてこまい!
エピソード1
ルルメール王国の港町ロロン。その街外れに建つ、歴史だけは無駄に重厚なロッソ=ヴィットリー家の邸宅は、今や奇妙な輝きに包まれていた。
バルトロメオ=ロッソ=ヴィットリーは、愛用しているマホガニーの机に両肘をつき、深く、重い吐息を漏らした。目の前には、かつて彼がこの街の闇を支配するための資金源としていた、白い粉の詰まった袋――ではない。
代わりに鎮座しているのは、脈動するように青白く光る、巨大な『蒼玉石』の塊だ。
「……なぁ、マッテオ。これは何だ」
「報告書の通りです、ボス。ヴァーレンス公爵閣下から届いた『初回取引分』の試供品、とのことで」
側近のマッテオが、困惑と畏怖の混じった表情で答える。彼の指先は、石から漏れ出す微弱な魔力に当てられたのか、心なしか痺れているように見えた。
バルトロメオは、石を睨みつけた。
この美しくも禍々しい輝き一つで、これまでのシノギの数ヶ月分、いや一年分に相当する利益が出る。あの『不死身の皇帝』はそう豪語した。暴力による蹂躙、一億人殺しの暗殺者の瞬殺。その後に提示された、あまりにも甘美で、同時に逃げ場のない「清浄な貿易」への誘い。
「……ヤクは、全部捨てたのか」
「はい。手下どもが泣きながら港の海へ。……魚たちが妙に元気に跳ね回ってましたが、今はもう海の下です。……ただ、構成員たちが少し、情緒不安定でして」
マッテオが窓の外を指差す。
中庭では、黒スーツを着込んだ屈強な男たちが、数人集まって輪になっていた。かつては銃の手入れや裏切者の処刑について談笑していた連中が、今は何を血迷ったか、 Michael公爵から「おまけ」として送り付けられた『万能の薬草』の種を、花壇に丁寧に植えている。
「これ、芽が出たらボスの肺も綺麗になるかな……」
「馬鹿、これは公爵閣下への忠誠の証だ。一粒も枯らすなよ。枯らしたら、あの怨霊の二の舞だぞ」
ひそひそと交わされる会話は、およそマフィアのそれではない。彼らは、ミハエルという名の絶対的な『恐怖』という肥料によって、急速に「真面目な園芸愛好家」へと変貌させられていた。
バルトロメオは、また一つ溜息をついた。
「……マッテオ。私はマフィアのボスだ。ルルメールの裏社会に名を轟かせ、ロッソ=ヴィットリーの名を不滅にする。……そうだったはずだ」
「現在も左様でございます、ボス。……ただ、取り扱う商品が『毒』から『光』に変わっただけで」
「光すぎて目が痛いんだよ、この石!」
バルトロメオは叫び、だがその手を蒼玉石から離すことはできなかった。この石は、触れているだけで魂の澱みが洗われるような錯覚を覚える。……いや、錯覚ではない。実際に、長年の不摂生で重かった自身の身体が、今朝は驚くほど軽い。
その時、応接室の扉が勢いよく開かれた。
「ボ、ボス! 大変です! 玄関に、玄関に『芸術品』が届きました!」
若い構成員が、顔を引きつらせて飛び込んでくる。
バルトロメオは嫌な予感を抱きつつ、重い腰を上げた。玄関ホールに向かうと、そこには巨大な木箱があった。ヴァーレンス王国の紋章が、これ見よがしに刻印されている。
「開けろ」
バルトロメオの命令で、構成員たちがバールを突き立てる。
バリバリと音を立てて蓋が外れた瞬間、ホール全体が眩い黄金の光に満たされた。
中にあったのは、一体のアンドロイド――と言って良いのだろうか。魔導ゴーレム?
ルルメール王国で作られている無機質な機械人形とは、根本から何かが違う。それは、透き通るような白い肌を持ち、絹のような銀髪をなびかせた、神話の女神像のような少女の姿をしていた。
だが、その背中には、複雑に組み合わされたクリスタルの歯車と、青い液体が流れるパイプが露出している。
『――起動。ヴァーレンス公爵ミハエル=シュピーゲル=フォン=フリードリヒの名において、ロッソ=ヴィットリー家への駐在を開始します』
少女が目を開けた。その瞳は、深海のような瑠璃色。
彼女は優雅に会釈し、バルトロメオの前に跪いた。
『管理型魔導生命体、第118号。通称「ルル」。バルトロメオ様、あなたのお世話と、貿易業務の監査、そして……不純な行動の「排除」を担当させていただきます』
「……不純な行動の、排除?」
バルトロメオの声が裏返った。
ルルと呼ばれた少女は、無垢な笑みを浮かべた。その右手が、かすかに可動音を立てて変形する。指先から現れたのは、超高温の熱線を放つであろう、極小の砲門だった。
『はい。薬物の使用、裏切りの画策、あるいは寝坊などの不摂生。これらは全て、公爵閣下の望まぬ「不純」です。検知次第、物理的に焼却、あるいは浄化処分いたします』
静寂。
玄関ホールに集まったマフィアたちは、一斉に姿勢を正した。
バルトロメオの脳裏に、あのミハエルの爽やかな笑顔が浮かぶ。
(『信頼できる協力者となりたい』……? どの口が言った、あの悪魔め!)
これは支援ではない。監視だ。
しかも、ルルメール王国の技術を数世紀分は飛び越えた、美しき処刑装置の。
「……ルル。君、コーヒーは淹れられるか」
バルトロメオは、震える声で尋ねた。
『もちろんです。ヴァーレンス独自の「魔導抽出法」により、あなたの精神を極限まで活性化させる一杯を提供します。……ただし、あまりの美味しさに依存してしまった場合、依存症対策として頭部に微弱な電流を流しますので、ご了承ください』
「…………」
バルトロメオは、静かに気を失いそうになった。
日常が、壊れていく。
バイオレンスと暗躍、冷酷な取引に彩られていた彼の「マフィアライフ」は、急速に「公爵閣下の庭先」へと塗り替えられていた。
翌日。
バルトロメオは、ルルに促されて街へと出た。
かつては、彼が歩けば人々が道を開け、恐怖に目伏せをした。それが裏社会の長の特権だった。
だが、今日の光景は違う。
バルトロメオの隣を歩くルルが、ヴァーレンス製の不思議な香炉を持って歩いているため、彼の周囲には常にバラのような芳香と、虹色のキラキラした粉塵が舞っている。
「……おい、ルル。これを止めろ。威厳が台無しだ」
『いいえ、バルトロメオ様。これは「浄化の領域」です。あなたの過去の悪行によって生じた負のオーラを中和し、善良な市民としての好感度を上げるための措置です。見てください、あちらの老婆を』
道の向こうで、かつてバルトロメオの顔を見て腰を抜かしたはずの八百屋の主婦が、うっとりとした表情で見つめていた。
「あら、バルトロメオさん……? なんだか、今日はお肌がツヤツヤして、聖人みたい……。これ、良かったら大根、持っていって!」
「……いらん」
バルトロメオは、差し出された大根を無視して早歩きになった。
背後でルルが『好感度、5ポイント上昇。大根の受け取り拒否により、3ポイント減少。合計2ポイントの利益です』と無機質な声を上げる。
彼は、なじみの酒場――もとい、裏取引の拠点だった『黒い犬亭』に逃げ込んだ。
店主のジョバンニは、バルトロメオの顔を見るなり、カウンターの下から包みを取り出そうとした。
「ボス、例のブツ、用意できてやす。……って、うわあああああ! 何だその光は!」
ルルの香炉から放たれた光が、不衛生な店内を照らし出し、長年放置されていた換気扇の油汚れを、シュワシュワと音を立てて分解していく。
『不衛生検知。清掃コード、発動。バルトロメオ様の商談環境を整えます』
ルルの背中の歯車が高速回転し、彼女の手から放たれた青い波動が、瞬く間に店内をピカピカに磨き上げた。ジョバンニは腰を抜かし、彼が差し出そうとしていた「例のブツ(隠し持っていた禁止薬物の残り)」は、ルルの冷徹な視線によって一瞬で灰と化した。
「……ジョバンニ。もう、無理なんだ」
バルトロメオはカウンターに突っ伏した。
「私たちは、もう悪党には戻れない。……あの蒼い石と、この魔導人形の支配から、逃げる術はないんだ」
「ボス……。でも、これ、見てくだせえ」
ジョバンニが指差したのは、レジスターの数字だった。
「ヤクを扱ってた頃より、客層が良くなって……。ヴァーレンスの薬草茶を出すようにしたら、金持ちの貴族どもが、酒の十倍の値段で買い叩いていきやす。……儲けが、えげつないことになってやすぜ」
バルトロメオは、数字を見た。
そこには、彼が血眼になって金を回していた頃には見たこともないような、真っ当で、かつ膨大な利益が記録されていた。
殺し合いも、拷問も、警察への賄賂も必要ない。
ただ、ミハエルから届く「奇妙な商品」を、ルルが管理するルートで流すだけで、富が、雪崩のようにロッソ=ヴィットリー家に流れ込んでくる。
(……勝ち、なのか……? これは)
バルトロメオは自問した。
経済的には、大勝利だ。ロッソ=ヴィットリー家は、あと数ヶ月もすればルルメール王国でも有数の富豪の仲間入りを果たすだろう。
だが。
「ボス! 大変です! またヴァーレンスから荷物が!」
別の構成員が駆け込んでくる。
「今度は何だ……。もう、驚かんぞ」
「……『空飛ぶ魔法の絨毯』の試運転だそうで。……構成員たちが、空中で制御不能になって、王宮の屋根に激突しそうになってます!」
「……ルル。あれを撃ち落とせ。今すぐにだ」
『了解。……ですが、撃ち落とす際の火花で、ロロンの街全体が「お祭り騒ぎ」のような光に包まれます。公爵閣下は、サプライズ演出が大好きですので』
「演出とかどうでもいい! 激突を止めろ!」
バルトロメオは店を飛び出した。
見上げれば、青空を舞う、カラフルな絨毯。それに必死にしがみつく、黒スーツの男たち。
「うわあああ! 助けてくれボス! 足が、足が絨毯にくっついて離れねええ!」
「これ、どうやって降りるんだよ! 速度上げろって言われても、レバーがねえぞ!」
街の人々は、それを見上げて
「お、今日のロッソ=ヴィットリー家は、アクロバット・ショーか?」
と拍手を送っている。
バルトロメオは、頭を抱えた。
かつて、これほどまでに「賑やかで」「平和で」「狂気に満ちた」マフィアだった組織が、歴史上にあっただろうか。
恐怖の対象から、街のエンターテイナーへ。
冷酷な支配者から、魔導技術の実験台へ。
「……ミハエル=シュピーゲル=フォン=フリードリヒ……。貴様、最初からこれが目的だったのか……?」
空を見つめるバルトロメオの瞳に、ほんの一瞬だけ、マフィアのボスとしての鋭い光が宿る。……だが、それも長くは続かなかった。
「ボス! 庭の花壇の薬草が、急成長して家を飲み込もうとしてます! 助けてください!」
「……マッテオ。斧を持ってこい。……いや、ルル、お前の熱線で刈り取れ!」
『了解。……少し、出力を上げすぎました。家の一部も、浄化(蒸発)します』
「待て! やめろ! 止めろと言ってるんだ!」
騒乱。爆音。そして、なぜか立ち上る甘い花の香り。
バルトロメオ=ロッソ=ヴィットリーの日常は、今日もまた、予定調和の闇を捨てて、予測不能な光へと突き進んでいく。
その様子を、遥か遠きヴァーレンス王国の公爵邸で、ミハエルは水晶球越しに眺めていた。
「ハハッ! 景気がいいね、バルトロメオくん。マフィアが絨毯で空中散歩か。君の街は、本当に面白い」
ミハエルは、上機嫌で赤ワインを傾ける。
隣では、水鏡冬華が「早く飽きなさいよ、このいたずら……。彼の胃に、穴が開くわよ」
と、呆れ果てた顔で溜息をついていた。
「いいじゃないか、冬華。彼は今、これまでの人生で一番、生きる実感に溢れているはずだ。……さあ、次は『しゃべる魔導タコ』でも贈ってあげようか」
「……絶対に、やめなさい。……でも、まぁ、あのマフィアの顔、前よりは『人間』らしくなったわね」
冬華の言葉通り、水晶球の中のバルトロメオは、怒鳴り散らし、走り回り、必死に部下たちを助けようとしていた。
かつての、冷たく沈んでいた瞳には、今はもう、瑞々しいほどの『生活の熱』が宿っている。
ルルメールの港町に、今日も平和な(?)爆発音が響き渡る。
マフィアとしての誇りは、確かにボロボロに砕け散ったかもしれない。
だが、代わりに手にしたのは、どんなヤクよりも中毒性の高い、刺激に満ちた明日だった。
バルトロメオは、まだそれを「幸運」とは認めないだろうが。
それでも、彼は今日も、魔導の光に満ちた街へと、力強く(あるいは無理やり)踏み出していくのである。
「……いつか、必ず、あいつの顔を殴ってやる……。……それまでは、この石で、とことん稼いでやるからな!」
邸宅の屋根の上。
バルトロメオの咆哮は、ルルが奏でる「ヴァーレンス国歌」の爆音に、かき消されていった。
ロッソ=ヴィットリー家の物語は、まだ始まったばかりだ。
暗黒街の帝王への道は、いつの間にか、聖なる魔導のパレードへと繋がってしまっていたのだから。







