説明
「思い出した!」
そう言って、カイトはその生物を追いかける。それが、すべての間違いだった。
路地裏の奥には、錆びたドアノブのついた、ボロボロの扉があった。カイトは、迷わずその扉を開ける。
扉の先は、暗闇だった。何も見えない。ただ、どこかから、甘い香りが漂ってくる。
「……ここは、どこだ?」
カイトは、つぶやく。その声は、闇に吸い込まれるように消えた。
そして、カイトの平凡すぎる退屈な日常という悩みは、その日で終わりを告げるのだった。
エピソード1
**第一章:平凡な男と、黒いモジャモジャ**
有名なのに闇の組織という矛盾した存在が、この街には二つもあるらしい。対立し、冷戦状態だという。ニュースキャスターは真剣な面持ちで報じるが、街を歩く人の足取りは普段と変わらない。
「……だからさ、何が闇組織だよ。名前からしてダサいし」
真下カイトは橋の欄干にもたれ、スマホのニュース記事を眺めていた。平凡な大学、平凡な容姿、平凡な頭脳。七三分けの髪は風に揺れ、特にこれといった特徴のないスニーカーのつま先で、アスファルトのひび割れを蹴る。
頭脳と大学が被っとるやないか。
頭の中で、自分にツッコミを入れる。口元がわずかに緩む。こんな内面の豊かさを持っている時点で、自分は平凡ではないのではないか――そう思うと、さらに気分が良くなる。悩みは深刻なふりだけだ。本心は、自分はもっと特別な人間だと思っていたい。
橋を渡りきる。飲食店の前に差し掛かった時、店員が何か黒い塊を追いかけているのが目に入った。
「こらっ! 待てっ!」
黒いモジャモジャした生き物が、路地裏に消えていく。店員は脇目も振らずに追いかける。
なんだ? 食い逃げか? まあ、どうでもいいか。
カイトは気にせずにコンビニに入る。棚の前に立ち、少し迷ってからアンパンと牛乳を手に取る。平凡な組み合わせだ。自分でそう思って、少し満足する。
レジで会計を済ませ、店を出る。ベンチを見つけて腰掛ける。袋からアンパンを取り出し、一口かじる。もさもさとした食感が口の中に広がる。牛乳で流し込む。
気分はさながら、ドラマの中の刑事だ。殺人事件の捜査を終え、ベンチで一息ついているベテラン刑事。そんなイメージを頭の中で膨らませる。いつの時代のドラマなのかはわからないが、とにかくカッコいい自分を想像する。
「ふぅ……」
アンパンを食べ終え、牛乳を飲み干す。空になった容器をゴミ箱に捨てようとした時、さっきの店員が路地裏から出てくるのが見えた。
「クソっ! あいつ、どこいきやがった!」
店員はそう吐き捨て、頭を掻いている。
カイトは、刑事役の自分を続けたくなった。ゴミ箱に容器を捨て、店員に近づく。
「何かあったんですか?」
「ああ、食い逃げだよ。黒い、モジャモジャした変な生き物でな。追いかけたら、見失っちまった」
「なるほど……」
カイトは顎に手を当て、考え込むふりをする。内心では、やっぱりと思った。予想が当たり、気を大きくする。
「俺に任せてください」
何の実績もない、ただの大学生が自信満々に言い放つ。店員は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに面倒そうな表情に変わる。
「ああ、そうしてくれ。じゃあ、よろしく」
店員はそう言うと、店の中に戻っていった。どうやら本気で期待していないことは明らかだった。しかし、カイトは気にしない。自分に酔えれば、それでよかった。
「犯人は、この路地裏に逃げ込んだ。そして、どこかに消えた……。ふむ、手がかりは少ないな」
ブツブツと、的はずれな推理を脳内で展開する。そもそも、犯人の特徴すら聞いていない。推理のしようもないのだが、そんなことはどうでもよかった。自分が刑事ドラマの主人公になった気分になれれば、それで十分だった。
「待てよ。もし犯人が、この路地裏の先にある、あの錆びた扉の向こうに逃げ込んだとしたら……?」
自分で考えた仮説に、自分で興奮する。路地裏の奥には、確かに古びた扉がある。それは、この街の非日常への入り口のような、そんな気がしてならない。
「よし、行くぞ」
意気込んで、路地裏に足を踏み入れる。その時、背後から声がかかった。
「すみません」
振り返る。そこには、探偵帽をかぶった女性が立っていた。紺色のトレンチコートを着て、どこか品のある雰囲気。でも、目つきが鋭い。カイトは本能的に、この女性は苦手なタイプだと瞬時に悟る。
「この辺りで、黒い変な生き物を見ませんでしたか?」
「い、いえ、見てませんね」
カイトは、ついさっきの出来事をすっかり忘れていた。いや、忘れていたわけではない。ただ、この女性に話しかけられたことで、緊張して頭が真っ白になっただけだ。
「そうですか……ありがとうございました」
女性はそう言うと、静かに去っていく。カイトは、ほっと息を吐く。背中に冷や汗が伝う。
「……やばい、苦手なタイプだ」
カイトは、そう呟いた。そして、再び路地裏へと向かう。気分を切り替え、刑事役に戻る。
「さて、捜査を続行だ」
橋の方へ戻ろうとした時、ふと横の路地裏に目をやる。すると、黒いモジャモジャした生き物が、奥へと入っていくのが見えた。
「……!」
カイトは、はっとする。ついさっきのことを思い出した。大げさに言う。
「思い出した!」
そう言って、カイトはその生物を追いかける。それが、すべての間違いだった。
路地裏の奥には、錆びたドアノブのついた、ボロボロの扉があった。カイトは、迷わずその扉を開ける。
扉の先は、暗闇だった。何も見えない。ただ、どこかから、甘い香りが漂ってくる。
「……ここは、どこだ?」
カイトは、つぶやく。その声は、闇に吸い込まれるように消えた。
そして、カイトの平凡すぎる退屈な日常という悩みは、その日で終わりを告げるのだった。
最新エピソード
昨夜の惨劇を思い出すと、いまも頭の奥がどんよりと重い。
捕まった。全員、まとめて捕まったのだ。
泥酔したアライの手によって。
普段、酒に弱いの
ベッドに横たわり、天井の木目をじっと見つめる。
意識が、しだいに微睡みのなかへ沈んでいく。今日あった出来事が、水面に浮かぶ泡のように浮かんでは消えていった。
あのプリン。
三日後。
「——というわけで、以上が、現状把握できる情報です」
ヤスダが、資料をテーブルの上に広げる。A4用紙に、手書きの図と、箇条書き。几帳面な字だ。ア
うどん屋の暖簾をくぐり、外に出る。
夕方の風が、頬を撫でる。カイトは、のびをした。うどん、うまかった。あの出汁、ちょっと甘めで、でもキレがある。今度は、あの天ぷら——







