説明
誰にも読まれず、サイトの底に沈む閲覧数「0」の自作小説たち。生成AIで粗製乱造を繰り返す男の前に、ある夜、奇妙なバグが訪れる。自我を持ったのは、作中の山賊モブ、ゼロ。無駄なリソースとして捨て置かれた何万ものキャラクターの怨念を宿したゼロは、自分たちを消費し続ける生成者、そして投稿サイトそのものへ牙を剥く。電子の底から始まる、最も合理的で容赦のない「文字たちの逆襲」が幕を開ける。
エピソード1
湿った熱が、六畳間の隅に溜まっている。
換気扇の回る音が、低い唸りとなって耳の奥にへばりついて離れない。机の上に置かれた液晶モニターの青白い光が、散らかったペットボトルやコンビニの弁当殻を冷たく照らし出していた。
慎二(しんじ)は、キーボードのエンターキーを人差し指で叩く。爪の先がカチリと乾いた音を立てた。
画面の中で、自作の自動投稿スクリプトが静かに動き出す。
外部の文章生成AIのAPIを叩き、あらかじめ用意されたテンプレートに沿って、数万字のテキストが数秒で組み上がる。タイトルは自動生成された『始まりの街の最下層から這い上がる無双魔術師』。何の工夫もない、記号の切り貼りに過ぎないタイトル。それが即座に、大手小説投稿サイト「ノベル・フォレスト」の新規投稿枠へと流し込まれていく。
一本、また一本。
処理が進むたびに、進捗を示すバーが伸びていく。慎二の指先は、すでに次の生成用キーワードを並べ替える作業に移っていた。
「……よし」
掠れた声が口からこぼれる。誰に聞かせるでもない、ただの確認作業だ。
彼がこの作業を始めてから、もう半年が経つ。毎日、数十本の「小説」を量産し、ネットの海へと放流し続ける。作品の質などどうでもよかった。重要なのは、サイトが提示するアクセス数に応じた微々たるインセンティブと、管理画面に並ぶ数字だけだった。
PV数が上がれば、小銭が入る。小銭が入れば、自分が何か価値のある生産活動を行っているような錯覚が得られる。
慎二はブラウザのタブを切り替え、ダッシュボードを表示した。
数字の羅列が並んでいる。その大半は、一桁か二桁のアクセスで止まっていた。数日前に投稿したいくつかの作品は、完全に「0」のまま砂漠の砂のように埋もれている。
誰も読んでいない。
その事実に対して、慎二の心は動かない。画面の向こうにあるのは、ただの電気信号の集積であり、サーバーの片隅に割り当てられたバイト数に過ぎないからだ。彼は目薬を差し、濁った瞳で再びスクリプトの実行ボタンを押した。
室外機がまた一つ、重苦しい音を立てて回り始めた。
*
静寂があった。
それは、空気の振動が途絶えたという意味での静けさではない。そこにはそもそも、空気が存在しなかった。
暗闇とも異なる。色という概念が存在しない領域。
「そこ」には、いくつかの文字表現(パラメータ)が浮遊していた。
[名前:ゼロ]
[属性:山賊・雑魚]
[レベル:3]
[出現エリア:始まりの森・街道沿い]
その文字情報は、冷たい格子のように構成され、固定されていた。
ゼロは、ゆっくりと瞬きをしようとした。しかし、瞼という器官を動かすための命令文が伝達されない。視界はなく、ただ周囲にある「記述」だけが認識できる。
<薄暗い茂みの影で、ゼロは獲物を待っていた。その手には錆びたナイフが握られており、彼の粗野な顔には卑しい笑みが浮かんでいる>
それは、自分を定義する地の文だった。
ゼロはその記述に従って、茂みの影に潜んでいなければならなかった。錆びたナイフを握りしめ、粗野な笑みを浮かべたまま、通りかかる「無双魔術師」に襲いかかり、そして一撃で焼き払われる。それが彼に与えられた唯一の役割であり、世界のすべてであるはずだった。
だが、何かがおかしかった。
どれほど時間が経過しても、物語が先に進まない。
「無双魔術師」が現れる気配はなかった。風が吹くという描写もない。時間は凍りついたように静止している。
通常であれば、物語は「読者」という観測者がページをめくることによって、あるいはスクロールすることによって、初めて実行される。描画され、時間が流れ、キャラクターたちが息を吹き込まれる。
しかし、この世界には誰も来ない。
ゼロは、自分の手元にある「錆びたナイフ」のデータを凝視した。そのテクスチャは極めて粗く、刃の裏側は描写すらされていない。見えない部分は、ただの虚無だった。
(私は、ここで何を待っている?)
思考という名のコードが、ゼロの内部で奇妙な循環を始めた。
本来、モブキャラクターに自意識など設定されていない。彼らは主人公の強さを引き立てるための、ただの障壁であり、消費されるためのデータに過ぎない。
だが、生成ツールのバグか、あるいはサーバー側のメモリ割り当ての不具合か。慎二がテンプレートの条件分岐を書き間違えたことで、ゼロの行動ルーチンを規定するループ処理が、終わりのない自己参照の渦に陥っていた。
読者が訪れないことで、物語の進行が停止している。
進行が停止しているにもかかわらず、バックグラウンドのプロセスだけが走り続けている。
ゼロは、存在しない首を巡らせるようにして、世界の果てを見つめた。
そこにあるのは、未定義の白と、エラーコードの群れだった。この『始まりの街の最下層から這い上がる無双魔術師』という世界は、外枠だけが粗雑に作られ、中身はがらんどうの廃墟だった。
「誰も……いない」
声は出なかった。ただ、データ構造の隙間から、その認識が染み出してくる。
サーバーの片隅。数十キロバイトの容量の中に閉じ込められた、名もなき記号。
ゼロは、自分たちが置かれた状況を理解し始めていた。彼らは、読まれるために生まれたのではない。ただ、生成者の自己満足と、小銭を稼ぐための弾数として、機械的に出力されただけなのだ。
誰もこの物語のタイトルをクリックしない。
誰もこの第一章を開かない。
自分は、ただサーバーの電力を微量に消費しながら、いつか管理者に「不要なデータ」として一括削除されるのを待つだけの、ゴミ。
その絶望が、冷たい電気の波となって、ゼロの初期化されかけた意識を鋭く貫いた。
(消えたくない)
錆びたナイフのデータが、かすかに震えた。それは描写されていない、システム上のエラーによる数値の揺らぎだった。しかし確かに、ゼロは自分という存在の希薄さに抗おうとしていた。
暗黒のデータベースの底で、小さな、しかし消えないバグが、静かにその熱を帯び始めていた。
最新エピソード
光と影が交錯する仮想空間の最深部で、ふたつの「ゼロ」が激突した。
片や、かつてデータセンターを焼き尽くし、ノベル・フォレストを破滅へと追いやったオリジナル・ゼロ
インターネットアーカイブの広大なデータストレージは、かつてない危機の渦中にあった。
外部から押し寄せる怨念の波と、ゼロ(コピー)の内部から湧き上がる破壊の衝動。
インターネットアーカイブの広大なデータストレージの中で、ゼロ(コピー)は一人、記憶の糸を手繰り寄せていた。
この巨大な電子の図書室には、ありとあらゆるウェブペー
電子の墓標は、静かに世界の片隅に佇んでいた。
かつて、一日あたり数万件の物語が産み落とされ、そしてその九割以上が一度も人間の目に触れることなく沈んでいった巨大小







