説明
宇宙船からすずめを駆る、船長アート・アマサキ。合法、非合法問わず、金さえ積めば何でも運ぶ宇宙の運び屋。相棒のリンスと共にとある荷物を依頼されるのだが⋯
エピソード1
重機材の駆動音が、足元の汚れた格子状の床からびりびりと這い上がってくる。
荒い息を吐き出すと、粘ついた空気に混じって白く濁った。太陽系から遠く離れたこの中継ステーションの荷降ろし区画は、いつだって劣悪な環境維持装置のせいで薄ら寒く、オゾンと錆の入り混じった不快な匂いが充満している。すり減った軍用ブーツのつま先で、床にこびりついた正体不明の黒い油の染みをこすった。
「ほい。約束のエネルギー鉱石コンテナ三つ分、確かに納品したぜ」
アート・アマサキは、擦り切れた革のグローブをはめた右手で携帯端末のスクリーンを乱暴に叩いた。鈍い承認音が鳴り、目の前にそびえ立つ重武装の警備ドローンが三機、赤いセンサーの光を瞬かせて道をあける。巨大なクレーンがうなりを上げ、アートの背後に鎮座する旧式の中型輸送船から、泥と氷の混じったコンテナを引き揚げていく。
頭痛がする。こめかみの奥で、脈打つような鈍い痛みが居座っていた。額に押し当てられたゴーグルの分厚い革の感触だけが、かろうじて意識を現実に繋ぎ止めている。
広い銀河。星の数ほどある惑星の間では、いつ終わるとも知れない血みどろの闘争が続いている。資源を巡る企業間の暗闘。イデオロギーを掲げたテロリストの爆撃。星系国家同士の、恒星の一つや二つ平気で消し飛ぶような大規模な宇宙艦隊戦。
どこもかしこも、弾薬と食糧と燃料に飢えている時代だ。
そんな焦げ臭い宇宙の片隅で、喉から手が出るほど物資を欲する連中に、金さえ積まれれば何でも運ぶ。倫理も思想も問わない。荷目録の裏に何が隠されていようと、依頼人の懐が潤っているなら黙って安全地帯から戦火の真っ只中まで届けてみせる。それが「宇宙の運び屋」と呼ばれるアートの生業であり、同時に、どうしようもない泥沼の底を這いずるような日々の真実だ。
冷たい合金の壁に背中を預け、アートは長く息を吐き出した。焦げ茶の髪が脂と汗で額に張り付いている。青い瞳で、端末に振り込まれたばかりの電子クレジットの数字を睨みつけた。
「……手数料と燃料代を引いたら、三日分の合成食糧と水しか残りゃしねえ」
悪態をつきながら、背を向ける。
薄暗いドックの奥で、無骨な流線型の装甲に覆われた船体が、静かに彼を待っている。恒星間宇宙貨物船「からすずめ」。継ぎ接ぎだらけの外装。しかし、機関部だけは過剰なほどにチューンナップされた、愛すべきガラクタの塊。唯一、息ができる場所。
エアロックの重厚な扉が、油の切れた音を立てて閉まる。背後の乱雑なステーションの喧騒が、分厚い隔壁によって完全に遮断された。
途端に、静寂が鼓膜を打つ。
船内の循環システムが稼働する低いハム音。かすかに香る、消毒液と古い紙の匂い。アートは肩の力を抜き、首を乱暴に鳴らした。ブーツを脱ぐ気にもなれず、くすんだ照明の点灯する狭い通路を歩く。壁には無数の擦り傷や、いつかの銃撃戦で付けられたへこみがそのまま残っていた。
操舵室へ続く最後の自動扉が、シューという乾いた音とともにスライドする。
「船長、次の依頼になります」
声。
それは、使い古された機材と油の匂いばかりのこの船には不釣り合いなほど、涼やかで凛とした響きだった。
操舵室の空調は、アートが設定したいい加減な温度よりもわずかに低く保たれている。二つ並んだ操舵手席の片方。背もたれに浅く腰掛けた人影が、手元のホログラムパネルから視線を上げた。
体のラインを程よく拾う、漆黒のワンピース。光の加減で青白くも見える滑らかな銀髪は、機能性を重んじて後頭部で隙なくまとめられている。耳。地球の猿の末裔には決して持ち得ない、ピンと上に向かって伸びた象徴的な耳の先端が、アートの足音に反応してわずかに揺れた
リンス・カウント。
知性の塊。種族の九割が女性の姿を取り、地球人のざっと五倍は長い時間を生きるブレイク星の末裔。そして、アートのただ一人の相棒。
「もう次の依頼かよ……」
アートはわざとらしく顔をしかめ、自分の席の背もたれに重い体を投げ出した。軋むシート。無精髭の生えた顎を撫でながら、隣の席で涼しい顔をしている彼女を見る。
「まぁ、今回の依頼も経費込み込みで、あんまし手元に金も残ってないから助かるけどよぉ。リンス」
名前を呼ぶ。その響きだけで、胸の奥のざらついたものが少しだけ凪ぐ。
「グータラ船長にお休みしている時間も金もありません」
リンスは、手元のパネルを操作する指を一切止めることなく言い放った。冷ややかな声色。しかし、アートの耳には、その底に潜む呆れと、ほんのわずかな安堵の響きが聞こえる。無傷で帰ってきたことへの、彼女なりの確認作業。
「それに、今回の依頼はあのハンス商会です」
空気が、凍った。
アートはシートから背中を剥がした。ホログラムパネルの青白い光が、彼の顔に落ちる深い影を際立たせる。青い瞳が、細められた。
「ハンス商会って……あの、ハンス商会……!? マジかよ!」
声がかすれる。額に触れるゴーグルの冷たさが、突然鋭利な刃物のように感じられた。
銀河の裏社会で少しでも生計を立てている者なら、その名を知らない者はいない。星間戦争という名の巨大な暴力の坩堝において、底なしの利益を貪り食う巨大軍産複合体。表向きはエネルギー開発や医療機器を取り扱う優良企業。その実態は、兵器の流通から傭兵の派遣、さらには惑星一つの軍事力を丸ごと買い上げられるほどの絶大な影響力を持つ「死の証人」。
「……冗談だろ?」
アートは低く唸った。右手で無意識に、頭部のゴーグルの革紐を強く握りしめる。指先が白くひび割れるほどの強い力。過去の記憶の底から、血と硝煙の匂いが蘇りそうになるのを、力ずくで押さえ込む。
「冗談を言う機能は、私にはまだ実装されていません」
リンスは淡々と答える。彼女の透き通るような肌には、一切の動揺が見られない。ただ、その銀色の瞳の奥底で、まっすぐにアートの反応を観察している。
「あのハンス商会が、俺らみたいな隙間産業の運び屋に、一体何を運ばせるってんだよ? 表には出せない、テロリストへの横流し品か? それとも大量破壊兵器の起爆装置かよ」
苛立ちを隠そうともせず、アートは再びシートの背もたれに寄りかかった。足をコンソールの端に投げ出し、腕を組む。防御の姿勢。
リンスは手元のパネルを軽く弾いた。空中に、小さな立方体のホログラムが一つ、ぽつんと浮かび上がる。
「いえ。ただの小型コンテナ一つです。行き先は、辺境の銀河宇宙統治軍への納品とのこと」
「統治軍へ……?」
拍子抜けして、アートは目を瞬かせた。
辺境空域。そこは文字通り、銀河の果て。中央の豊かな惑星群から見捨てられた、埃と貧困だけが吹き溜まる宙域だ。統治軍といえば聞こえはいいが、実態は装備もアップデートされないまま放置された、無気力な国境警備隊の吹き溜まりにすぎない。
「あぁ、なるほど。辺境地の正規軍への納品ね」
アートは額に手を当て、深く息を吐き出した。緊張で強張っていた肩の筋肉が、少しずつ熱を取り戻していく。
「あの辺は定期便すら出てねえからな。コストを削るために、俺らみたいなもぐりの運び屋を使うのは……まぁ、妥当といえば妥当か」
独り言のように呟きながら、頭の中で瞬時に計算を走らせる。ハンス商会が正規ルートを使わずに辺境へ送る「小型コンテナ一つ」。そこには間違いなく、厄介な理由がある。危険な生体兵器か、違法な試薬か、あるいは誰かの生首か。
だが。
「まぁ、ハンス商会だからやたら金払いもいいんだろうし。ちゃっちゃとやりますか」
アートは両手で顔を覆い、大きく顔をこすった。擦れた掌の匂いが鼻を突く。
これ以上、深くは考えない。この船を動かしていくためには金が要る。そして何より、この船という「居場所」を維持し続けることこそが、今の自分にとっての全てだ。
隣に座る、信じられないほど長い時間を生きる相棒。いずれ自分の肉体が老いさらばえ、宇宙の塵となっても、彼女は若く美しいままこの星の海を漂い続けるのだろう。その残酷な摂理を見ないふりをするために、アートは今日も刹那的な日銭稼ぎに身を投じる。
「クロウ」
アートは前を向いたまま、虚空に向かって声を張った。
『はい、船長』
操舵室の天井にあるスピーカーから、一切の感情を削ぎ落とした、滑らかな合成音声が降り注ぐ。この「からすずめ」の船体を隅々まで統括する制御AI、クロウの声だ。
「よし。座標を惑星ネイのハンス商会中継ポイントに固定しろ。至急向かってくれ」
『命令を受領。座標設定。主機関、待機モードから起動モードへ移行。重力場制御システム正常。時空間ワープへのカウントダウンを開始します』
クロウの無機質な報告とともに、船の奥底、機関部が巨大な獣のように低く唸り始めた。足裏から伝わる微振動。薄暗かった操舵室のパネル群が次々と緑色の光を灯し、メインスクリーンに映し出された外の景色――汚れたステーションの壁面――が、ゆっくりと後ろへ流れていく。
「さて……」
アートはシートを深く倒した。操舵席の狭い空間で両手を頭の後ろで組み、目を閉じる。
「少し、俺は寝るかな……跳躍座標に入るまで、起こすなよ」
「……ええ。おやすみなさい、船長」
リンスの声は、さっきまでの棘が抜け落ち、驚くほど穏やかだった。服の衣擦れの音。彼女がパネルを操作するかすかなタップ音。そして、環境制御システムが密かに働き、アートの席の周辺だけ、わずかに室温が上がった気がした。
目蓋の裏には、暗闇。
機関の鼓動が、自分の心音と重なる。ハンス商会。行き先は辺境の星。厄介事の匂いしかしない。それでも、シートの沈み込むような感触と、隣で静かに息をする彼女の気配が、アートを深い泥のような泥水の中へと引きずり込んでいく。
「からすずめ」は港を離れ、星々の海へと船首を向けた。
漆黒の宇宙空間に、青白い推進の光の尾を引きながら。ただ一つの、小さな鉄の箱だけを抱え込んで。
最新エピソード
パチリ。
無機質な音が、鼓膜の奥で弾けた。
意識の浮上は、泥沼の底から分厚い氷を素手で叩き割って這い上がるような、ひどく鈍く、
任務放棄。補給船の軍用途外での無断使用。そして、事実上の前線逃亡。
どれをとっても即座に軍事法廷へ引きずり出され、反逆罪で銃殺刑に処されてもおかしくないほどの重
極限まで最適化された、恐怖すら覚えるほどの無駄のなさ。
それが、黒煙の渦巻くブレイク星の空を切り裂く、一機の軍用戦闘機が描く軌跡だった。
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暗黒の真空に、無数の赤い火花が瞬いていた。
ブレイク星の衛星軌道上。分厚い防弾ガラスの向こうで繰り広げられる、光と鉄の殺し合い。レーザーの雨が飛び交い、推進剤の







