説明
女性型ウルトラマン、ウルトラウーマンの悲劇
エピソード1
暗い、とガルスは思った。
この部屋の照明は常時、主である自身が最も効率よく思考を巡らせられる照度に固定されている。人間種のような恒星の光を好む生物にとっては深淵と変わらない闇も、高密度情報環境で進化したガルスにとっては、神経を研ぎ澄ますための最適な舞台であった。
彼の周囲を、天球儀のようにホログラフィック・ディスプレイが取り囲んでいる。絶え間なく更新される文字列、立体的に回転する星図、波形を描くエネルギー流グラフ。その中心に鎮座する青く美しい惑星——この宇宙でも特異な進化と多様性を獲得した生態系『地球』のリアルタイム情報が、静かに流れ続けていた。
ガルスは指先を虚空で滑らせる。何百というウィンドウの一つが彼の眼前に拡大表示された。
《対象名:ウルトラウーマン アンジェラ》
《所属:M78星雲 ウルトラ警備隊》
《種族特徴:銀色の肌、紫色の生体パターン。伝統的な赤系パターン個体に比べ、エネルギー変換効率に特化。敏捷性、反応速度に優れると推測》
《特記事項:史上初の女性地球担当官に任命》
資料に付属された歩行訓練時の記録映像を、ガルスは繰り返し再生していた。静止から最高速に達するまでの時間、関節の可動域、重心移動の滑らかさ。すべてが物理法則の限界に挑むかのような、見事なまでの曲線を描く。
その完璧なフォルムが何より彼をそそる。
「……美しい」
漏れた感嘆は、しかし、誰かの耳に届くことはない。このブリッジに他の乗組員は存在しない。彼の言葉の唯一の聞き手は、無機質な機械の動作音だけだ。
「実に観賞し甲斐のある検体だ。壊すにせよ、飼い慣らすにせよ……」
ディスプレイの光がガルスの長く白い指を照らす。彼が選んだのは地球のシミュレーションマップ。そこに新たなオブジェクト——《罠》を意図したエネルギー反応パターンを追加し、慎重に配置を調整していく。獲物の飛行ルートを予測し、心理的動揺を誘発するタイミングを計算し、救助信号の傍受が困難な宙域を選定する。
彼の仕事は罠を作ることではない。舞台を設え、最も美しい悲劇を演出することなのだ。
「プライドの高い者ほど、その支柱を折られた時の響きは甘美だろう」
画面の中で、アンジェラの立体映像が、誇らしげに空を見上げているかのように見えた。ガルスは薄く笑い、シミュレーション開始のコマンドを、静かにセットした。
***
ウルトラ警備隊本部、長官室。
結晶体で構成された壁面が、内部に宿した恒常の光を静かに放っている。床に描かれた緻密な幾何学模様は、宇宙の法と秩序そのものを象ったようにも見えた。
その中央に、一人のウルトラウーマンが直立不動の姿勢で立っていた。
背筋は、磨き上げられた剣のようにまっすぐ伸びている。滑らかな銀色の肌には、力と気品を象徴する紫色の紋様が浮かび上がり、同じ色のビキనిを纏った身体は、無駄な脂肪の一切ないアスリートのそれだった。視線をわずかに伏せ、豊かな紫色の長髪が静かに肩から零れ落ちている。
彼女の名はアンジェラ。
長官の厳かな声が、静謐な空間に響き渡る。
「ウルトラウーマンアンジェラ。太陽系第三番惑星、地球の警備を命ずる」
宣告、という方が近かった。歴代の優れたウルトラマンだけが担うことを許されてきた、栄光と、そして途方もない重圧を伴う任地。その席に、ウーマンが——それも、自分が着く。
アンジェラはゆっくりと頭を下げた。動作の一つ一つに訓練された者の正確さと、漲る集中力が感じられた。
「……慎んで。お受けいたします」
指先が微かに震えているのを、自覚しないようにする。緊張ではない。歓喜でもない。押し寄せる責任の重圧が、物理的な質量となって両肩にのしかかる感覚だった。これを、歴代の兄たちは、皆耐えてきたというのか。
「ご苦労」
長官は立ち上がり、巨大なウィンドウへと歩み寄った。眼下に広がる司令本部の全景から、さらに遥か彼方——彼らの守るべき無数の星々まで。その視線は、アンジェラも、その先に広がる宇宙も、等しく見据えているようだった。
「知っての通り、今の地球は一見すると平和だ。かつてのように毎週のように宇宙人や怪獣が現れる、無法の楽園ではない」
落ち着いた声色だった。だが次の言葉には、重いが確かな棘があった。
「……だが、それ故に『なぜ女に任せるのか』と囁く者もいるだろう。『今の軟弱な地球なら女でも務まる』とな。油断も、慢心もするな。そして、何より――」
長官は振り返り、その鋭い視線で初めてアンジェラを真っ直ぐに射抜いた。
「惑わされるな。お前を選んだのは、歴史でも、性差でも、ましてや時勢でもない。私がお前の力を、誰よりも認めているからだ」
それは、激励の言葉のはずだった。だが彼女の胸には、喜びよりも鋭い痛みが走った。
——力を、認められている。
その事実こそが、これから彼女を待ち受けるだろう有象無象の嫉妬から、彼女を守ってはくれないという逆説。
アンジェラは、もう一度深く、静かに頭を下げた。長官の言葉は、その髪一筋一筋に染み込んでいく気がした。
扉が静かに開き、アンジェラが長官室から一歩踏み出すと、待っていたかのように華やいだ空気が彼女を包んだ。
「アンジェラ先輩!」
「おめでとうございます!」
そこにいたのは、自分と同じ紫や青を基調とした生体パターンを持つ若いウルトラウーマンたちだった。戦闘要員としての地位が確立されて以降、彼女たちの数は確実に増えている。だが、それでも銀河防衛の中枢を担う部署における女性の比率は、まだ圧倒的に少ない。
地球担当——歴代の、中でも特に功績著しいウルトラマンたちが任じられてきた役職に女性が就く。それは、彼女たち全員にとっての勝利だった。その意味が分からないアンジェラではない。
「みんな、ありがとう」
後輩たちの熱っぽい祝福に、アンジェラは柔らかく微笑んでみせる。任期を無事に果たせば、副隊長のポストも見えてくるだろう。そしていつか、隊長に。この少女たちの見ている夢の、その頂に立たなくてはならない。自分が、その道標なのだから。
その時だった。
彼女たちの輪の外、少し離れた廊下の壁に寄りかかっていた数名の影から、聞こえよがしな声が投げられた。赤を基調とした、伝統的なウルトラマンの若い隊員たちだ。
「……っけ。どうせ女を武器にして長官に取り入っただけのくせに」
一人目がそう吐き捨てると、二人目が嘲るように続く。
「今の地球なんて、時々やる気のない宇宙人が暇つぶしに来るだけの低レベル認定星じゃねぇか。そんな星で功績稼ぎとか、チョロいもんだよな」
言葉は、明らかにアンジェラたちに向けられていた。祝福の熱に浮かれていた若いウーマンたちの顔が、一瞬でこわばる。
「ちょっと……! 何てこと言うのよ!」
アンジェラを囲む若いウーマンの一人が、鋭い声で食ってかかる。しかし、男たちはにやにやとした笑みを崩さない。
「あ? 事実だろうがよ。低レベル任務をクリアするだけのお手軽出世コースか。いいなぁ、長官のお気に入りは羨ましいぜ!」
挑発的な言葉は、ナイフのようにアンジェラの後輩たちの自尊心を切り裂いていく。何人かはもう我慢の限界といった様子で拳を握りしめ、肩を震わせていた。体の大きさ、筋力、エネルギー総量。まだ純然たるフィジカルの壁が存在する時代の名残り。警備隊へのウーマンの完全な参加は、彼女たちのような地位の低い若者にとって、今まさにリアルタイムで戦っているテーマなのだ。
アンジェラは、熱くなった後輩の肩に、そっと手を置いた。
「待って」
冷静で、涼やかな声。それでいて、有無を言わせぬ響きがあった。
「仲間同士で争うことは、法で禁じられているわ」
アンジェラは前に進み出て、若手ウルトラマンたちの前に立った。自分より一回りも二回りも大きな彼らを、動揺一つ見せず、静かに見上げる。ガラスのような瞳が、彼らの軽薄な笑みを映していた。
「聞こえたわ。――あなたがたの仰ることも、一理あります。歴代の偉大な先輩方の功績を、私が汚すようなことがあっては絕對になりません」
深く、美しいほどに丁寧な礼をする。それは完璧な対応だった。何の非の打ち所もない、大人の――そして、「挑戦者」ではなく既に「支配層」の側に立つ者の余裕を見せつけるような、無駄のない動きだった。
若手のウルトラウーマンたちは、その対応にむしろ不満そうだ。声が聞こえる。「アンジェラ先輩!」「そんな下らない連中、まともに相手にする必要なんて!」と。
それを聞いたリーダー格のウルトラマンは、愉快でたまらないというように口の端を吊り上げた。
「へぇ。分かってるじゃねぇか、アンジェラ"さん"よぉ。だがなぁ、お飾りはせいぜいお飾りらしく、地球のチリにでもなってこないようにな。怪獣に泣いてママでも呼ばねぇようにせいぜい頑張るんだな?」
ゲラゲラと品のない笑い声が、歴史と権威を誇るウルトラ警備隊本部の廊下に響き渡る。
アンジェラは、何も答えなかった。
ただ、その紫色の瞳の奥で、何かが静かに――ひどく、冷たく凍った。
そのすべては、瞬きよりも速かった。
シュンッ!!!!
一つの残像が走ったかと思うと、音は後からついてきた。
空気を切り裂く鋭い音ではない。物理法則が悲鳴を上げて書き換わるような、空間そのものが軋む音。
誰も、何が起こったか理解できなかった。笑っていた若手ウルトラマンたちも、憤っていたウルトラウーマンたちも。彼らの瞳は、突然視界に割り込んできた紫色の光の軌跡を、呆然と追うことしかできない。
光は、リーダー格の男の側頭部の、数ミリ手前で、完全に静止していた。
アンジェラの上げた右足。まっすぐに伸びたつま先まで、一切のブレがない。それは、死をもたらす凶器でありながら、同時に神の造形物のような、完全な美をたたえていた。
風も、音も、全てが止まった世界。
その中で、アンジェラの呟きだけが、やけにクリアに響いた。
「……私の蹴りで、この星のどんな怪獣でも一撃で倒そうと思っています」
若手ウルトラマンの顔から、血の気が引いていくのがアンジェラ自身の視界の中でもはっきりと分かった。先ほどまでの軽薄な笑みは凍りつき、唇がかすかに震えている。彼の網膜は、今まさに脳を叩き割るはずだった一撃の、その圧倒的な運動エネルギー量を正確に認識し、自らの死のイメージを再生していた。全身の細胞が、純粋な恐怖に悲鳴をあげている。
「…………」
アンジェラは何も言わず、音もなく足を下ろした。
まるで最初からそこに立っていたかのように、平然と。
その完璧な静寂が、何よりも雄弁だった。
「……ど、どうですか? 私の実力は――」
その問いに、もはやまともに答える者はいない。リーダー格のウルトラマンは、へなへなと腰が抜けそうになるのを必死でこらえ、震える声で何か負け惜しみともつかない言葉を吐くと、仲間を引き連れて逃げるようにその場を去っていった。
その後ろ姿は、あまりにも小さく、情けない。
去っていく背中を見届けることもなく、アンジェラはゆっくりと振り返る。
そこには、目を大きく見開き、興奮に頬を紅潮させた後輩たちの姿があった。
「アンジェラ先輩っ!」
「素敵です! なんて格好いい……!」
一人が泣き出しそうな声で言う。
「もう、あんな奴ら、本当に蹴り飛ばして地球の果てまで吹っ飛ばしてしまえばよかったのに!」
その純粋な怒りと忠誠心に、アンジェラの胸に温かいものが込み上げた。彼女にできるのは、頭を静かになでてあげることだけ。
「そんなこと、してはいけないわ。でも……ありがとう」
怒ってくれて。信じてくれて。
「みんながいるから、私は戦える。地球でも、私の背中を見てくれているみんなのために、頑張ってくるわね」
そう言って微笑むと、少女たちは今度こそ、泣いていたが笑っていた。
アンジェラは彼女たちの想いを新しい力に変えながら、青く輝く転送ゲートへと一人向かう。
ありがとう。頑張るよ。私が、ウルトラウーマンの明日のために。
その決意を、遠い暗黒の宇宙から、冷たい瞳が見つめていることを、彼女はまだ、知らなかった。
自分の到着を、ただの宇宙人や怪獣などではない、異質な「知性」と「悪意」が、狡猾な덫と共に待ち構えていることも——。
***
宇宙船のブリッジにアラートが灯った。
《警告:対象個体、M78星雲からの離脱を確認。想定ルート…… отклонение 0.03%。》
(訳:想定ルートからの逸脱率ゼロ・コンマ・ゼロサン・パーセント)
「……ほう」
ガルスは感嘆の声を漏らした。
アンジェラが選んだ地球への航路は、何百通りもある候補の中で、最もエネルギー効率が良く、理論上最短で到達できるルートだった。機械的な最適解。面白みのない正解。
だが、そのルート上には、彼が仕掛けた《罠》が正確に配置されている。
彼は先ほど警備隊本部から送られてきた映像ログにアクセスしていた。
アンジェラのハイキックのシーン。
暴力的なまでのスピードと、それを完全に支配する絶対的な制御力。ガルスのディスプレイに表示された戦闘シミュレーターは、アンジェラの行動データを元に、凄まじい勢いで戦闘モデルを再構築し始めていた。「脅威度」と「破壊予測値」が更新されるたび、アラート音がけたたましく鳴り響く。
だが、ガルスは、それを満足げな笑みで見つめていた。
「素晴らしい。完璧だ。……だが、どんな完璧な芸術品よりも美しいのは、それが音を立てて砕け散る、まさにその一瞬なのだ」
ぞっとするような愉悦に目を細め、ガルスはメイン・コンソールに指を置いた。
打ち込まれたのは、たった一つのコマンド。彼の全ての企みが、この名の下に集約されている。
キーボードの乾いた打鍵音だけが響いた。
モニターには、冷たい承認のメッセージが、無機質に表示される。
《承認:Project《 I C A R U S 》, Phase_01 - Execute.》
ガルスの背後、青く美しい惑星《地球》の中で、小さな光点が——彼の意のままに輝き始めていた。それは致命的な罠であり、同時に、壮大なショーの開幕を告げる祝砲でもあった。
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