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嘘を抱いたまま

嘘を抱いたまま

更新日時: 2026-03-23 07:27:33
By: Ayane
完結
言語:  日本語4+
4.4
4 評価
12
エピソード数
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説明

帝国レジスタンスのイリヤナは、恋人カレルの裏切りを察知し、彼を振り切って単身、異世界≪ネオン・カグラ≫へ逃亡する。身分も金もなく路頭に迷う彼女は、裏組織「影路(シャドウライン)」の幹部の男性、アキに拾われる。アキは、IDを持たないイリヤナを不審に思いつつも、彼女の特異な存在感に惹かれ、自身のマンションに匿うことを決める。愛する者に裏切られ人間不信となった異世界の女性が、嘘が蔓延る現代日本風の裏社会、嘘と真実の境界線上で、“真実”を見つけ出すために裏組織と対決するサバイバル・ロマンス。


エピソード1

轟音が鼓膜を突き破った。

閃光が瞼の裏を焼き付けた。


平衡感覚がねじ切れ、浮遊感と落下感が同時に襲いかかる。

嵐に弄ばれる木の葉のように、イリヤナの身体は意思とは無関係に空間を転がった。


直前までの記憶が、途切れ途切れの映像となって脳裏を過る。


薄暗い石造りの隠れ家。

燃え盛る暖炉の炎。

そして、目の前に立つ、愛したはずの男──カレル。


『……帝国に仲間の情報を渡したですって?!』

『ああ……だが、これも君のためなんだ!』


彼の唇から紡がれる言葉が、どす黒い「赤色」の霧となってイリヤナの視界を染め上げていく。

命を脅かす、悪意に満ちた嘘の色。


裏切り。


その二文字が、心臓に氷の杭を打ち込む。


「……っ!」


考えるより先に、身体が動いていた。


渾身の力でカレルの胸を突き飛ばす。


驚愕に見開かれた彼の瞳を最後に、


イリヤナは起動させた転移の古代遺物(アーティファクト)の光に呑まれたのだ。







そして今、彼女はアスファルトの冷たい感触に背中を打ち付けられていた。


ごう……、と耳鳴りがする。

残響のように響くのは、カレルを突き飛ばした鈍い衝撃音か、それともこの見知らぬ世界の騒音か。


ゆっくりと瞼を押し上げる。

そこに広がっていたのは、故郷のどんな景色とも似ていない、暴力的なまでの光の洪水だった。



---



「……ここは」


掠れた声は、自分のものではないように聞こえた。


イリヤナはゆっくりと身を起こす。

背中を預けていたのは、ゴミの異臭が漂うレンガの壁。

目の前には、今まで見たこともない光景が広がっていた。


天を突くようにそびえ立つ、ガラスと鉄の建造物群。

その壁面を、極彩色の光の文字が滝のように流れ落ちては消えていく。

赤、青、緑、桃色──目が眩むほどのネオンの洪水が、夜の闇を昼間よりも明るく照らし出していた。


地鳴りのような走行音。けたたましい音楽。人々の喧騒。

あらゆる音が混ざり合い、ひとつの巨大なノイズとなって鼓膜を揺らす。


道行く人々の服装も、髪の色も、奇妙で、多様で、理解を超えていた。

彼らが話す言葉は、ところどころ聞き取れるものの、その口元からは絶えず様々な色の霧が立ち上っては消えていく。


『今日の会議、マジでダルかったわー』

男の口から、「自己保身の黄色」が薄く立ち上る。本当は、自分が原因で会議が長引いたことを隠している。


『あなたのその服、すっごく素敵!どこで買ったの?』

女の口から、「見栄を張るための黄色」が濃く広がる。本当は、相手の服を羨んでいるだけ。


嘘。嘘。嘘。

世界が、嘘の色で汚れていく。


イリヤナにとって、この能力は呪いだ。

人の言葉の裏に隠された意図が、不快な色として視界を侵食する。

それは精神をすり減らす、終わりのない拷問だった。


「う……っ」


情報の奔流に脳が耐えきれず、激しいめまいが襲う。

数日ろくに食べていない胃が、悲鳴をあげて収縮した。

疲労と空腹、そして精神的な消耗。

限界だった。


ぐらり、と視界が傾ぐ。


アスファルトの冷たさが、再び彼女の意識を奪っていった。

色とりどりの嘘の霧が、遠ざかる意識の中で歪んで見えた。



---



意識が途切れて、どれくらい経っただろうか。

頬を撫でる夜風の冷たさで、イリヤナは覚醒した。


深夜。


あれほど溢れていた人波は嘘のように消え、騒音も少しだけ鳴りを潜めている。

それでも、ネオンの光だけは煌々と輝き続けていた。


その光に照らされた路地裏に、三つの人影が落ちる。


「よぉ、嬢ちゃん。こんなとこで寝てると風邪ひくぜ?」


下卑た笑い声。

イリヤナの目の前に、品性の欠片も感じられない男たちが立っていた。

その口元からは、獲物を見つけた捕食者のような、粘ついた「黄色の嘘」が漏れ出している。

『助けてやろう』という言葉とは裏腹の、明確な下心。


「金目のもんは全部置いてきな。そしたら、まぁ、優しくしてやってもいい」


一人が手を伸ばしてくる。

その汚れた指先が、イリヤナの頬に触れようとした、その瞬間。


世界が、スローモーションになった。



レジスタンスとして培ってきた戦闘技術が、思考よりも早く全身を駆け巡る。


伸ばされた腕を掴み、捻り上げる。


テコの原理で相手の体勢を崩し、肘関節に的確に体重を乗せた。


「ぐぁっ!?」


骨の軋む嫌な音。


男の悲鳴が路地裏に響く。


仲間が慌てて殴りかかってくるが、イリヤナは最初の一人を盾にしながらその蹴りをいなし、鳩尾に寸分の狂いもない掌底を叩き込んだ。


「ごふっ……!」


三人目が恐怖に顔を引きつらせて逃げ出そうとする。


その背中に向かって、足元に転がっていた空き缶を蹴りつけた。


後頭部にクリーンヒットした缶が乾いた音を立て、男は無様に顔から地面に突っ伏した。




ほんの十秒にも満たない攻防。


静寂を取り戻した路地裏で、イリヤナは荒い息をついた。


痛みと疲労で全身が悲鳴をあげている。




だが、それ以上に──背中に突き刺さる、冷たい視線を感じていた。




ゆっくりと振り返る。




路地裏の暗がり。

ネオンの光が届かない、影が最も濃い場所に、


一人の男が立っていた。


いつからそこにいたのか。気配を全く感じさせなかった。


壁に背を預け、煙草を燻らせている。


その紫煙の向こうから、値踏みするような、それでいてどこか気だるげな瞳が、真っ直ぐにイリヤナを射抜いていた。




---




「へぇ。見かけによらず、物騒なお嬢さんだ」



男はゆっくりと影から姿を現した。

月明かりとネオンの反射光が、その顔立ちを浮かび上がらせる。


少し癖のある黒髪。通った鼻筋。眠たげな切れ長の瞳。

歳の頃は、二十代の後半だろうか。上質な黒いコートが、そのしなやかな長身にやけに似合っていた。


イリヤナは警戒を解かない。

いつでも動けるよう、全身の筋肉を強張らせる。


この男からは、路地のチンピラたちとは比較にならない、底知れない圧力を感じた。


男はふぅ、と紫煙を吐き出す。


「そいつら、この辺を縄張りにしてるチンピラだ。後で面倒なことになるぞ」


その言葉は、穏やかで、抑揚に欠けていた。

イリヤナの視線は、自然と男の口元に吸い寄せられる。



(……色がない?)



驚きに、心臓が跳ねた。


男の言葉には、何の色もついていなかった。

赤でも、黄色でも、ましてや思いやりの緑でもない。


ただ、透明。

まるで、湧き水のように澄みきった、無色の言葉。


人の言葉を「視る」ようになってから、こんなことは初めてだった。


人は誰でも、多かれ少なかれ、言葉に何らかの意図を乗せる生き物だ。

それが自己保身であれ、見栄であれ、あるいは善意であれ。

全く色のない言葉など、あり得ないはずだった。


この男は、一体何者?

理解不能な現象に、イリヤナの警戒心は頂点に達する。


未知の脅威。

チンピラたちよりも、遥かに危険な存在かもしれない。


男は、そんなイリヤナの内心を見透かしたかのように、少しだけ口の端を上げた。



「そんなに睨むなよ。取って食おうってわけじゃねぇ」



そして、吸っていた煙草を足元に捨て、火を揉み消しながら言った。



「面倒なことになりそうだから、ウチに来な」



その言葉もまた、何の色も帯びていなかった。

ただ、事実だけを告げるような、不思議な響きを持っていた。


イリヤナは、目の前の男と、その足元で伸びている三人のチンピラを交互に見た。


選択肢は、ない。


このままここにいても、事態が悪化するのは目に見えている。


こくり、と小さく頷く。

それが、イリヤナにできた、唯一の返事だった。


男は「アキだ」と短く名乗ると、踵を返して歩き出した。


イリヤナは、その色のない背中を、おそるおそる追いかけた。

ネオンの光が、二人の影をアスファルトの上に長く、長く伸ばしていた。


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