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ほどく ―片耳のイヤリングと消えた姉―

ほどく ―片耳のイヤリングと消えた姉―

更新日時: 2026-03-09 01:33:14
By: Ayane
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言語:  日本語4+
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説明

作家として芽が出ない水瀬雫(みなせ・しずく)は、 取材の傍ら行方不明になった姉、水瀬海(みなせ・うみ)を探しながらWebライターとして日々を食いつないでいる。


恋愛小説家として活躍しているはずの同級生、桜庭真白(さくらば・ましろ)が、怪奇ノベル賞を憧れの先輩だった東雲蒼介(しののめ・そうすけ)とともに受賞したニュースを知り、その華々しい受賞に焦りを感じるとともに、二人の仲にも複雑な気持ちをかかえる。


受賞パーティに誘われ、アクセサリー探しに訪れた骨董市で、奇妙な老婆から「声が聞こえるイヤリング」を譲ってもらう。


骨董品のイヤリングを通し、欲に溺れつつも、行方不明の姉の真実を探り、怪異の浄化を願う女性の物語。


エピソード1

昼の光は、水瀬雫(みなせ・しずく)の部屋を白々しく照らし出していた。


キーボードを叩く乾いた音が、静寂に響く。

Webライター。それが雫の現在の肩書きだ。


『今注目の都内カフェテリア5選』


取材で撮った、誰かの笑顔が映り込んだ写真。当たり障りのない文章。

平凡で、無味乾燥で、淡々とした言葉の羅列。

誰が読んでも同じ感想を抱くような、価値のない記事。


それが、今の自分自身を映しているようで、雫は深く溜息をついた。


夜になれば、今度は書きかけのWeb小説の真っ白なページが、彼女を嘲笑う。


物語が、進まない。言葉が、生まれない。

自分の心の底から湧き上がるはずの何かが、完全に枯渇してしまっている。


「……また、今日も書けない」


モニターの光が反射する窓に映るのは、疲れ切った自分の顔。

その顔を見るたびに、劣等感が黒い染みのように心を蝕んでいく。


才能豊かな姉、水瀬海(みなせ・うみ)。

華やかで、いつも人の輪の中心にいた同級生、桜庭真白(さくらば・ましろ)。


身近な彼女たちと自分を比べて、落ち込むのはもう何度目だろうか。


部屋の隅には、段ボールが山と積まれている。

一年半前から行方不明になった姉、海を探すための資料だ。


姉・海は、恋人の東雲蒼介(しののめ・そうすけ)と高校時代からコンビのホラー作家として活躍していたが、

ある嵐の夜、二人の家に雷が落ち、家屋が全焼した。

蒼介は病院で目覚め、姉の姿はどこにも見当たらなかった。

遺体も見つからなかったため、行方不明となった。


姉が残した僅かな手掛かり、雑誌の切り抜き、ネットの海から拾い集めた断片的な情報。

それらを眺め、検索窓に姉を想起させるキーワードを打ち込むのが、いつしか雫のルーチンになっていた。

取材が多いWebライターになったのも、姉の手がかりを探していたことが理由だった。


『怪奇作家 失踪』『神隠し 現在』『東雲蒼介 新作』


けれど、得られる成果は何もない。

ただ虚しい時間が、砂のように指の間からこぼれ落ちていくだけだ。


ピコン、と軽薄な電子音が静寂を破った。

スマートフォンの画面に浮かび上がったのは、真白からのメッセージ。


『雫、久しぶり! 実はね、私の新作が怪奇ノベル賞を受賞したんだ!』


メッセージに添えられたURLをタップすると、華やかなニュースサイトが目に飛び込んでくる。

満面の笑みを浮かべる真白の写真。

その隣には、見覚えのある男の顔。東雲蒼介。

姉の、元恋人。


「おめでとう」


指先が震えるのを堪えながら、祝福の言葉を打ち込む。

けれど、心の奥底では黒い渦が巻いていた。

嫉妬だ。


恋愛小説家だったはずの真白が、なぜ。


『怪奇ノベル賞』――それは、かつて姉の海と蒼介が、二人で勝ち取った栄光の証だった。


私だけが、停滞している。


私だけが、取り残されている。


焦燥感と疎外感が、冷たい手で心臓を鷲掴みにする。


海と蒼介が築き上げた思い出の場所に、真白が土足で踏み込んできたような不快感。


祝福なんて、できるはずがない。


『それでね!祝賀パーティー、雫もよかったら来ない?』


追い打ちをかけるような招待のメッセージ。

パーティー。

きらびやかな場所。成功者たちが集う場所。

そんな場所に、今の私が行けるはずがない。


『もちろん、行くよ』


見栄と意地が、指を勝手に動かしていた。

クローゼットを開けても、そこにあるのはくたびれた普段着ばかり。

パーティーに着ていけるような服なんて、一着も持っていなかった。


劣等感が、また首をもたげる。


仕方なく実家に連絡すると、数日して大きな箱が届いた。

中に入っていたのは、母が若い頃に着ていたという古いが上質なワンピース。

悪くはない。けれど、少しレトロで、今の自分には不釣り合いな気がした。


「何か……何か、特別なものが欲しい」


安くてもいい。今の自分を武装してくれる、何か。

授賞式で、真白や蒼介の前に立っても、惨めにならないための、小さな鎧が。


雨が上がった日の午後、雫は湿った空気を吸い込みながら、慣れた足取りで骨董市へと向かっていた。


古いものが好きだった。


すでに物語が完結し、誰かの手によって意味を固定された品々に、不思議な安心感を覚えるから。

いつもと同じ、雑多な品々が並ぶ露店を通り過ぎる。


そのはずだった。


ふと、いつもはないはずの小道の先に、ぼんやりと霧が立ち込めているのが見えた。

まるで、ここから先は違う世界だとでも言うように。

何かに引き寄せられるように、雫は霧の向こうへと足を踏み入れた。


そこには、ぽつんと一つだけ、奇妙な露店があった。


古びたトランクの上に、ガラクタにしか見えない品々が無造作に並べられている。

そして、その中央に座る一人の老婆。

皺だらけの顔。虚ろな目。

けれど、その唇はかすかに動き、ガラクタの一つ一つに呪文のような言葉を囁いていた。


「……これは、遠い異国で恋人を待つ乙女の涙が固まった石……これは、戦場で持ち主の命を一度だけ救った弾丸のかけら……」


雫は、その老婆から目が離せなかった。

懐かしい。

なぜだろう。初めて会うはずなのに、どこかで見たことがあるような気がする。


そうだ、祖母だ。


もう何年も前に亡くなった、優しい祖母の面影が、その老婆に重なった。

露店に並ぶ品々の中から、一つの輝きが雫の目を捉えた。


小さな、片方だけのイヤリング。


夕焼けを閉じ込めたような、美しい琥珀。


それもまた、どこか懐かしい雰囲気をまとっていた。


「……気になるかい?」


老婆が、ゆっくりと顔を上げた。

皺の刻まれた目元が、かすかに和らぐ。


「この品々にはね、物語があるんだよ」


老婆は、そう言って品々を売っているらしい。


雫が手に取ったイヤリングを、老婆は愛おしそうに見つめた。


「それを手に入れるには、代価が必要さ」


「お金、ですよね?いくらですか?」


「お金じゃない」


老婆は、静かに首を振った。


「あんたが、この品に相応しい意味……物語を、名付けておくれ」


意味を、物語を、名付ける?

それが代価だと、この老婆は言うのだろうか。

雫の口元に、自嘲的な笑みが浮かんだ。


物語。


今の自分に、最も欠けているもの。


皮肉だ。でも、面白いかもしれない。

半分は皮肉。半分は、心の底からの願望を込めて、雫は口を開いた。


「じゃあ……『持ち主にインスピレーションを与えて、普通の人には聞こえない、隠された声が聞こえるようになる幸運の片イヤリング』、なんてどうでしょう」


枯渇した自分に、どうか物語を。


閉ざされた世界に、どうか誰かの声を。


そんな祈りにも似た言葉を聞いて、老婆は少しだけ悲しそうに微笑んだ。


その表情に、雫はまた胸を突かれる。


「……素敵な物語だね」


老婆はそう言うと、雫の手に、そっと琥珀のイヤリングを握らせた。


「あんたにあげよう」


代価は、物語。


雫が紡いだ言葉が、このイヤリングの新たな価値になった瞬間だった。


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