説明
【完結】社会の裏で美しく華麗に舞う彼女達。甘く切ない罠が彼女達を毒牙にかけていく…。
エピソード1
ミスリルベリー女学院の午後は、まるで時が止まったかのような静寂に包まれていた。磨き上げられた廊下には生徒たちの清らかな笑い声が微かに反響し、窓から差し込む陽光は埃一つない床に落ちて、神聖な光の帯を描き出す。「清楚」「清廉」「清純」、三つの「清」を掲げるこの学舎は、外部の人間が見ればまさしく淑女を育むための花園に映るだろう。だが、数ヶ月にわたり美術教師「水城 悠月(みずしろ ゆづき)」としてこの花園に根を張った私、コードネーム「夜鶯(ナイチンゲール)」にとって、その清らかさは腐臭を隠すための上質な香水に他ならなかった。
ノースリーブの白いシャツの肌触りが、規律で締め付けられるこの場所の空気とは不釣り合いに滑らかだ。黒のタイトスカートは膝上まで大胆に切り詰められ、一歩進むたびに黒いストッキングに包まれた太腿がちらつき、生徒たちの好奇と、そして一部の教師たちの非難めいた視線を集める。無論、それも計算の内。隠されたガーターベルトの締め付けは、淑女の仮面の下に隠したスパイとしての意識を常に研ぎ澄ませてくれる。ピンクの下着は、この偽りの役割における、私だけのささやかな反逆だった。
私の所属する保安局調査部第七課は、この学園で相次ぐ生徒の失踪事件に頭を悩ませていた。奇妙なことに、消えた生徒は例外なく中流階級以下の家庭の出身者ばかり。閉鎖的な女の園は鉄壁の情報統制を敷き、外部からの調査を一切許さない。故に、あらゆる危険を承知の上で、私はこの禁断の庭に送り込まれたのだ。そして数ヶ月の潜入調査で、パズルのピースは少しずつ、しかし確実に集まりつつあった。生徒間に存在する不可視の序列、選ばれた教師のみが立ち入ることを許されるという秘密の地下室、そして週に一度、放課後に行われるという謎の「集会」。全ての線が、その地下室で交わっていた。
「水城、先生……」
思考の海に沈んでいた意識が、か細い声によって現実へと引き戻される。振り返ると、私が担任するクラスの生徒、小鳥遊 澪(たかなし みお)が、まるで嵐の中の小鳥のように震えながらそこに立っていた。大きな瞳は不安に濡れ、白いブラウスの胸元を固く握りしめているその姿は、庇護欲を掻き立てるには十分すぎるほど儚げに見えた。
「どうしたの、小鳥遊さん。顔色が悪いわ」
私は意識して声を和らげ、心配する教師の仮面を完璧に貼り付けた。彼女のような生徒は、この学園の暗部を知るための貴重な情報源になり得る。私の内心の冷徹な計算とは裏腹に、その怯えた子鹿のような瞳は、プロとして鍛え上げたはずの心の壁を僅かに揺さぶった。
「あの……相談が、あります」澪の声は掠れ、周囲を気にするように視線を彷徨わせている。「誰にも、言わないで……ください」
「ええ、もちろんよ。ここでは私があなたの味方だわ。さあ、話してみて」私は彼女を促し、人気のない美術準備室へと誘った。重い石膏像と油絵の具の匂いが立ち込める密室で、彼女は堰を切ったように話し始めた。
「来週……私、地下室に……呼ばれてしまったんです」その言葉は嗚咽に途切れ、ぽろぽろと大粒の涙が彼女の白い頬を伝う。「怖いの……地下室に行った子は、みんな……みんな、おかしくなってしまうって……」
地下室。その単語が私の鼓膜を打った瞬間、心臓が大きく脈打った。停滞していた状況を打破する、千載一遇の好機。彼女の恐怖は本物に見える。だが、私の頭脳は瞬時にリスクとリターンを計算していた。これは罠か?それとも、神が与えたもうた好機か?
「そう……それは心配ね」私は彼女の肩を抱き、優しく背中をさすった。「大丈夫よ、小鳥遊さん。あなたがそんなに不安なら、私も一緒に行ってあげる。担任教師として、生徒の安全を確認するのは当然の義務だもの」
私の言葉に、澪は顔を上げた。涙に濡れた瞳が、驚きと、そして微かな安堵の色に揺れているように見えた。その時、彼女の瞳の奥にほんの一瞬、氷のように冷たい光がよぎったのを、私は見逃すべきではなかった。だが、目前の好機に目が眩んだ私は、それを自身の過剰な猜疑心が生んだ幻だと断じてしまった。
「……本当、ですか?先生が、一緒に?」
「ええ、本当よ。私が必ずあなたを守ってあげる」
その約束は、一週間後の重苦しい空気が支配する放課後、現実のものとなった。生徒たちの姿が消えた黄昏の校舎で、私は澪の手を引き、古い礼拝堂の奥に隠された地下への階段を下りていた。ひやりとした湿った空気が肌を撫で、ストッキング越しの脚にまとわりつく。カツン、カツン、と私のハイヒールの音と、澪のローファーの弱々しい足音だけが、どこまでも続くかのような長い石造りの通路に響き渡っていた。
通路の突き当たりに、重厚な鉄の扉が見えてきた。微かに漏れ聞こえるのは、音楽のようでもあり、祈りのようでもある、低くくぐもった声。この先だ。この扉の向こうで、この学園の全ての謎が解き明かされる。私は逸る心を抑え、澪を背後に庇うようにして扉の前に立った。身体中の神経が研ぎ澄まされ、いつでも動けるように全身の筋肉がしなやかに緊張する。
「大丈夫よ。すぐに終わるから」私は背後の少女に囁きかけ、冷たい鉄のドアノブに手をかけた。その刹那だった。
首筋に、まるで昆虫に刺されたような、鋭く、しかし微かな痛みが走った。
「……っ!?」
反射的に振り返った私の目に映ったのは、信じがたい光景だった。さっきまで怯える子鹿のように震えていたはずの小鳥遊 澪が、そこにいた。しかし、その顔に浮かんでいるのは恐怖ではない。唇の端を歪め、獲物を仕留めた捕食者のような、冷たく嘲るような笑み。彼女の華奢な手には、空になった注射器が握られており、その針の先端が怪しい光を放っていた。
「あなた……」
言葉が続かなかった。急速に全身の力が抜け、視界がぐにゃりと歪み始める。頭の芯が痺れ、立っていることさえままならない。膝が崩れ、床に手をついた私の耳に、澪の変貌した声が突き刺さる。
「残念でしたね、『夜鶯』さん。あなたの役目は、ここまでです」
意識が急速に遠のいていく。どうして私のコードネームを。あれは罠だったのだ。最初から、全て。あの涙も、恐怖も、完璧に計算され尽くした演技だったのだ。屈辱と、任務失敗の絶望が、混濁する思考の中で渦を巻く。やがて、重い鉄の扉が開く音が聞こえ、複数の教師たちの影が私の上に覆いかぶさってきた。彼女たちの顔には、普段の淑やかな微笑みとは似ても似つかぬ、無機質な表情が張り付いていた。誰かが私の腕を掴み、無慈悲に引きずる。私の身体は、まるで物のように扱われ、地下室のさらに奥深く、底なしの闇の中へと運ばれていった。黒いストッキングのどこかが硬い床に引っかかり、ビリッと裂ける微かな音を最後に、私の意識は完全に途絶えた。
最新エピソード
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「ひぃんっ!あ、あぁん!…っ!だめ
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保安局のツテで用意されたホテルの一室は、あらゆる会話が外に漏れぬよう完璧に防音され、その無菌室のような静けさだけがやけに耳についた。孔雀と里奈は、部屋の中央に置かれた簡素なテーブルを挟ん
「孔雀さん!だめです!」
自宅マンションの玄関で、里奈が両腕を広げて道を塞いでいた。その行く手を阻まれた主、孔雀は、マンションに常備していたありったけのスパイデバイスを漆黒のスー







