Synopsis
四月一日、エイプリルフール。
嘘が嫌いな女子高生マツリに対し、幼馴染のハルタは勝負を持ち掛ける。
Chapter1
四月一日の朝は、どこか浮ついた空気に包まれていた。通りを行き交う人々の会話に、いつもより多い笑い声が混じる。ペンキで塗られたような青空の下、パン屋の店先には「本日全て半額!(嘘です)」と書かれた手書きの看板が揺れ、信号待ちのサラリーマンが同僚に「課長が今日限りで退職するんだって」と囁いては、三秒後に「エイプリルフール!」と大笑いするのを、マツリは苦々しい思いで見つめていた。
18歳の女子高生・マツリは、朝から眉間に深い皺を刻み込んでいる。その表情は、登校するにはあまりにも険しかった。鞄の肩紐をきつく握りしめ、彼女はため息をもらす。「なんて浅ましい日なんだろう……」
マツリの信条は「一度口にした約束は命懸けで守る」という、ある種、硬直したものだった。幼稚園の頃、友達と交わした「明日も絶対遊ぼうね」という軽い約束を、翌日、熱が出ているにも関わらず果たそうとして大騒ぎになったことがある。以来、彼女のこの性質はますます強固になり、約束事や、その反対側に位置する「嘘」に対して、並々ならぬこだわりを見せるようになった。今日のような日が、彼女にとって最も苦手なのは言うまでもない。
「おーい、マツリ。そんな顔して、もう誰かに騙されたのか?」
背後から慣れ親しんだ声がかかる。振り返ると、幼馴染のハルタが、だらりと背の高い体を揺らしながら近づいてくる。髪は寝癖が少し残っている。ハルタはマツリの顔をじっと見て、からかうように笑った。
「違うわ」マツリはきっぱりと言い、ぴんと伸びた人差し指で、鼻梁の上の眼鏡をクイッと押し上げた。その動きは、決意がこもった、やや鋭いものだった。「ハルタ。よく聞いてちょうだい」
ハルタは「え?」と軽くうなる。彼はマツリが真剣な表情をする時、まず眼鏡を押し上げる癖があることを知っていた。何かよからぬ予感がした。
マツリは深呼吸を一つすると、ハルタをまっすぐ見据えて宣言した。「いい、ハルタ。私は嘘が大嫌いなの。今日一日、私に嘘をついたら絶交よ」
「は?」ハルタは呆気に取られた。「またそんな…今日がエイプリルフールだからって、そんな大げさな。」
「大げさなんかじゃない」マツリの声は硬い。「たかが嘘、たかがジョークで、人を不安にさせたり、傷つけたりするのが許せるわけ? 信頼関係が崩れるのよ」
「まあ…そう言われればそうだけどさ」ハルタは頭をかきながら、もう一度マツリを見上げた。彼女の眉間の皺はさらに深まっている。彼は思わず笑いをこらえた。本当に、相変わらずだな。
するとマツリは言葉を続けた。「そして私自身も、今日は『絶対に守れる約束』しか口にしないわ。確実に実行できること以外、軽々しく言葉にしないことを誓う」
「…つまり、今日一日、超慎重に喋るってことか?」ハルタはようやく状況を飲み込んだ。「『昼ご飯食べる』とか、それくらいの約束しかできねーじゃん。面倒くせーなぁ」
「面倒じゃないわ」マツリの頬が少し赤らんだ。彼女自身、この自己規制がどれほど窮屈かを自覚していないわけではない。しかし、信念は揺るがすことはできなかった。「これが私の、嘘だらけの世界への抗議なの」
ハルタは、しばし黙り込んだ。彼の視線は、マツリのキリリと引き締まった顔から、自然と下へと移っていった。マツリは、かなり大人びた、均整のとれたプロポーションをしている。本人はそれを最大のコンプレックスとしており、できるだけ目立たないように、今日も大きめの淡いグレーのパーカーを着込んでいた。そのフード付きのゆったりとした服が、彼女を少し幼く見せているような気がした。
ハルタはそのパーカーを見つめながら、苦笑を浮かべた。中身はあれほど堅苦しくて真面目なのに、見た目を誤魔化そうとするそのギャップが、なんとも言えず彼女らしいと思った。
「わかったよ」ハルタは大きく息を吐いた。「じゃあ、今日は聖人君子モードで行くか。でもさ、マツリ」彼は悪戯っぽく笑みを緩ませる。「『絶対に守れる約束』しかできないってことは、例えばな…『お前と、ずっと友達でいる』とか、そういうのも今日は言えねーってことか? だって、未来のことなんて絶対じゃないだろ?」
マツリは一瞬、言葉に詰まった。ハルタの問いは、彼女のルールの矛盾点を鋭く突いていた。彼女の目が鏡の奥で揺らめく。「…それは、屁理屈よ。そういう種類の…確信は別なの」
「はあ? わけわかんねーよ」ハルタは肩をすくめた。「まあいいや。とりあえず、今日はお前に冗談言わないようにするよ。って約束…できるのか? それすら怪しいな、俺」
マツリはハルタの適当な態度にまた眉をひそめかけたが、彼が少なくとも自分の宣言を真剣に受け止めようとしている(ように見える)態度に、少しだけ肩の力が抜けた。「期待していないわ。あなたが嘘をつかなければ、それでいいのよ」
そう言って、マツリは再び歩き出した。ハルタは彼女の後ろ姿を見ながら、ため息混じりにつぶやいた。
「相変わらず堅苦しいな…」
こうして、とてつもなく長く感じられるような一日が始まったのだった。
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