追放された落ちこぼれ令嬢ですが、箱庭システムの管理人になりました
Synopsis
濡れ衣を着せられ、魔物の巣食う辺境に追放された伯爵令嬢の私。死を覚悟したその時、謎の【箱庭システム】が覚醒、私はアパートの管理人になった!?
来るべき世界の終末を前に、訳ありの騎士や冒-険者たちを住民に迎え、箱庭を豊かにしていく。これは、どん底令嬢の、ほのぼの異世界サバイバル&箱庭運営ライフ!
Chapter1
ガタガタと不快な音を立てて進む馬車の揺れが、悠月(ユヅキ)の意識を容赦なく現実に引き戻す。継母から与えられた、到底伯爵令嬢のものとは思えぬ薄汚れたドレスでは、隙間風の侵入を防ぐこともままならない。骨身に染みる冷気が、まるで彼女の絶望を嘲笑うかのように肌を刺した。
「着きましたぞ、お嬢様」
御者の無感動な声が響き、馬車が停止する。乱暴に開けられた扉の向こうには、灰色一色の空と、荒涼とした大地が広がっていた。ここは王都から遥か遠く、魔物が闊歩すると噂される辺境の地、「忘れられた聖域」。かつて聖女であった祖母の名誉も、父である伯爵の地位も、宮廷内の醜い権力闘争の前ではあまりに無力だった。微弱な「聖女の力」しか持たない出来損ないの令嬢。そう烙印を押された彼女は、異母妹を害そうとしたという濡れ衣を着せられ、こうして一人、死地へと追いやられたのだ。
「さあ、降りてください。我々も長居は無用ですので」
有無を言わさぬ口調に促され、悠月はふらつく足で地面に降り立った。背後で扉が閉められ、馬車は一刻も早くこの呪われた土地から離れようと、慌ただしく土煙を上げて去っていく。あっという間に独りになった悠月は、風が吹き抜ける音以外何も聞こえない静寂の中、目の前にそびえ立つ古びた遺跡の門を見上げた。忘れられた聖域。その名が示す通り、そこは時間の流れから取り残された、神にさえ見放された場所のように思えた。涙はとうに枯れ果て、今はただ、虚ろな感覚だけが心を支配している。これからどうすればいいのか、どこへ向かえばいいのか、何もわからなかった。
生きる意味さえ見失いかけた悠月は、引き寄せられるように、崩れかけた遺跡の中へと足を踏み入れた。内部は外見以上に荒廃しており、蔦の絡まる柱や、苔むした石畳が、かつての栄華の跡を辛うじて留めている。不意に、瓦礫に足を取られて体勢を崩した。
「きゃっ!」
短い悲鳴と共に、倒れ込んだ拍子に鋭い石の破片で手のひらを切ってしまう。じんわりと滲み出た赤い血が、彼女のすぐそばにあった一枚の巨大な石碑へと滴り落ちた。
その瞬間、世界から音が消えた。悠月の血を吸った石碑が、まるで長い眠りから覚醒したかのように、淡い光を放ち始めたのだ。石碑の表面に刻まれていた古代文字が一つ、また一つと黄金色の輝きを灯し、複雑な紋様が脈動するかのように明滅を繰り返す。悠月が呆然と見守る中、光は中央に収束し、やがて一人の男性の姿を形作った。燕尾服を隙なく着こなし、白い手袋をしたその姿は、まるで王宮に仕える高位の執事のようだったが、その体は半透明で、向こう側の景色が透けて見えている。
「初めまして、新たな管理人様。私は『箱庭アパートメント』のコンシェルジュと申します」
凛として、それでいて感情の温度を感じさせない声だった。虚ろな影は、悠月に向かって完璧な角度で一礼する。
「は、箱庭…アパートメント?管理人…?あなたが、コンシェルジュ…?」
悠月は混乱しながらも、目の前の非現実的な光景を理解しようと必死に言葉を紡いだ。手のひらの痛みも忘れ、ただ目の前の幻影を見つめる。
「はい。当アパートメントは、悠久の時を経て主を待っておりました。そして今、正当な血筋の末裔である貴方様の血によって、再び目覚めたのです。本日より、ユヅキ様がこの『箱庭アパートメント』の新たな管理人となります」
コンシェルジュと名乗る虚影は、淡々と説明を続ける。その言葉は悠月の理解を遥かに超えていたが、彼の丁寧な物腰と、揺るぎない口調には、嘘を言っているとは思えない不思議な説得力があった。絶望の淵にいた彼女の心に、ほんのわずかな、しかし確かな好奇心の火が灯る。
「私、が…管理人…?」
「その通りでございます。管理人様には、このアパートメントの運営と発展、そして、来たるべき『大災厄』からの避難者の保護をお願いすることになります」
「大災厄…?」
聞き慣れない言葉に、悠月が眉をひそめた。その単語が持つ不吉な響きが、心に警鐘を鳴らす。コンシェルジュは、そんな彼女の反応を意に介することなく、さらに衝撃的な事実を告げた。
「はい。正確には、明日、午後三時。世界はより濃密な瘴気に覆われます。それを我々は『大災厄』と呼称しております」
「明日…!?」
「瘴気の急激な増大は、世界中の魔物を狂暴化させ、理性なき殺戮の獣へと変貌させるでしょう。恐らく、文明圏の九割以上が、その日のうちに崩壊いたします」
まるで天気予報でも告げるかのような平坦な口調で語られる、世界の終わり。悠月の血の気が引き、全身が総毛立った。今まで感じていた寒さとは質の違う、魂の芯まで凍てつかせるような恐怖が彼女を襲う。瘴気が濃くなれば魔物が凶暴化することは、貴族の嗜みとして学んだ知識の中にあった。しかし、それが明日、世界を滅ぼす規模で起こるなど、誰が想像できただろうか。
「そん、な……」
「ご安心ください、管理人様。この『箱庭アパートメント』は、いかなる瘴気も寄せ付けぬ絶対安全の結界に守られております。……貴方様が、管理人としての務めを果たす限りは」
その言葉は、救いであると同時に、逃れられない運命の宣告でもあった。悠月の目の前に、ふわりと半透明のパネルが浮かび上がる。そこには、くっきりとした文字が表示されていた。
【最初のクエスト:管理人様の生活の礎となる『管理人の館』へ向かってください】
矢印が、遺跡のさらに奥、僅かに光が差し込んでいる方向を指し示している。もう疑っている暇はなかった。信じる信じないの問題ではない。明日、世界が終わる。そして、ここだけが安全なのだ。生き延びるためには、このコンシェルジュと名乗る存在の言うことを聞くしかない。
「……わかりました」
悠月は、震える声でどうにか返事をした。絶望的な状況であることに変わりはない。しかし、死を待つだけの絶望から、生きるために戦う絶望へと変わった。その事実に、彼女は唇を強く噛みしめる。
その時、悠月の脳裏に、今まで心の奥底に封じ込めていた記憶が鮮明に蘇った。そうだ、私は「悠月」である前に、現代日本で生きていた一人の人間だったのだ。病気で若くして命を落とし、気がつけばこの世界の伯爵令嬢として生を受けていた転生者。貴族社会の窮屈な作法と複雑な人間関係に疲弊し、いつしか前世の記憶は、夢の中の出来事のように曖昧になっていた。だが、この極限状況が、眠っていた魂を叩き起こした。
「そうよ…私には、知識がある」
この世界の人間が知らない、様々な知識が。絶望に沈んでいた視界が、一気に開けるような感覚だった。システム?クエスト?上等じゃない。ゲームのようなものだと考えればいい。それに、このコンシェルジュがいる。目の前のパネルもある。もう独りではない。
悠月は、自分の思考が驚くほど冷静になっていることに気づいた。まず、やるべきことを整理しよう。この近くに村があるのなら、明日の午後三時までに、何とかして危険を知らせてあげたい。もちろん、信じてもらえるかはわからないし、危険を冒してまで行くべきか、という問題もある。だが、何もしないでいることは、前世の倫理観が許さなかった。そして、その前に、このシステムが用意してくれたという「初心者サバイバルパック」の中身を確認しなくては。
「コンシェルジュさん」
悠月が呼びかけると、彼は音もなく「はい、管理人様」と応じた。
「初心者サバイバルパックというのは、どこに?」
「既に、管理人様のインベントリに送付済みでございます。思考することで、いつでも取り出しが可能です」
言われた通りに意識を集中すると、先ほどのパネルとは別に、いくつかのアイテムアイコンが並んだウィンドウが心の中に浮かび上がった。その中の一つ、『初心者サバイバルパック』を選択する。すると、彼女の足元に、ずしりと重みのある革袋が音もなく出現した。
悠月はそれを拾い上げ、固く結ばれていた紐を解く。中から現れたのは、数日分の保存食と水、小さなナイフ、そして着替えと思しき簡素だが丈夫そうな服だった。追放された時に着せられた薄いドレスよりも、ずっとこの厳しい環境に適している。
「…ありがとう」
誰に言うでもなく呟き、悠月は新しい服を強く握りしめた。それは、この過酷な世界で生き抜くための、最初の武器だった。もう落魄の令嬢ではない。私は、この箱庭アパートメントの管理人、悠月だ。彼女は顔を上げ、矢印が示す光の先を、決意に満ちた目で見据えた。
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