Synopsis
過労の末に命を落とした会社員サトウは、異世界で悪名高い盗賊団の首領ジュロウの肉体に転移する。しかし、かつてのジュロウが持っていた戦闘技術や恐るべき能力は一切使えず、残されたのは一日一回だけ引ける謎のガチャだった。ガチャから出るものは、錆びた武器や家畜、調理道具、魔導書、符術、機械獣、さらには神獣や伝説級の神器まで完全に予測不能。サトウは生き残るため、最初に得た道具で食事を作り、飢えていた二百人の盗賊たちを救う。
本人はただ安全に暮らしたいだけだったが、恐ろしい外見とジュロウの悪名のせいで、彼の何気ない言葉はすべて壮大な戦略として受け取られてしまう。忠実なレンは日常的な指示さえ世界征服の布石だと解釈し、冷静なミナは混乱の裏側を理解しながら、食料、住居、衛生、農業、交易、法律を整えていく。無限の塩、建設用ゴーレム、温泉、酒造設備、世界樹の種、成長を促す作物など、ガチャの品々は問題を完全に解決するのではなく、人々の労働と知恵によって初めて役立つ力となる。
やがて荒れ果てた盗賊砦には、商人、技術者、難民、学者、異種族の人々が集まり始める。かつて恐怖の象徴だった場所は、温かい食事と安全な寝床を求める者たちの故郷、アルカディアへと変わっていく。サトウは王になるつもりなどなかった。それでも、自分を信じて暮らす人々を見捨てることはできず、次第に本当の指導者として責任を受け入れていく。
これは、最強の盗賊の姿を借りた臆病な男が、外れに見えるガチャと仲間たちの力で、戦争ではなく生活を豊かにしながら、辺境の砦を巨大な共同体へ育てていく、勘違いと建国の異世界スローライフ物語である。
Chapter1
第1章:史上最悪の初日
耳を突き刺すような野太い咆哮と、鼻を突く獣臭さで、男は意識を取り戻した。
「おい、どうすんだよ頭! 早く命令を下してくれ!」
「あの村には冬を越すための麦がたんまりあるはずだ。さっさとぶんどりに行こうぜ!」
目の前に広がっていたのは、泥と返り血に汚れた革鎧をまとい、錆びた大剣や斧を握りしめた男たちの群れだった。その数はおよそ二百。誰も彼もが顔や腕に生々しい傷跡を持ち、飢えた狼のような目をぎらつかせている。
男――サトウは、自分の置かれた状況がまったく理解できなかった。
つい先ほどまで、深夜のオフィスで残業をしていたはずだった。疲労で机につっぷして眠りにつき、次に目を開けたら、なぜか荒涼とした岩場の壇上に立っていた。
しかも、自分の体がおかしい。
首筋に触れると、鉄のように硬い甲冑の感触があった。視線を下に落とせば、見覚えのない屈強な体躯と、どす黒い外套が風に揺れている。
(……え? 何これ? 誰?)
頭が真っ白になり、喉の奥がカラカラに乾く。心臓が早鐘を打ち、冷や汗が背中を伝って流れ落ちる。指先が微かに震えそうになるのを、サトウは必死でこらえた。
この状況で弱みを見せれば、目の前の荒くれ者たちに一瞬で切り刻まれる。本能がそう告げていた。
サトウは恐怖のあまり完全に氷つき、ただ黙って眼下の群衆を見下ろした。声も出なかった。
しかし、その沈黙は、周囲の盗賊たちに全く異なる印象を与えていた。
彼らが仰ぎ見る男――本名をジュロウ、異名を『ゴルゴン男爵』と呼ばれる盗賊将の顔は、生まれつき極悪非道な凄みに満ちていた。落ち窪んだ眼窩の奥で光る冷徹な瞳、固く結ばれた薄い唇、微動だにしない厳めしい佇まい。それはまるで、獲物の息の根を止めるタイミングを冷酷に推し量る、希代の支配者の姿そのものだった。
「……っ」
最前列にいた隻眼の盗賊、レンが小さく息を呑み、一歩後退りした。
サトウはただ息をすることすら恐ろしくて固まっていただけなのだが、レンの目には、首領が自分たちの焦りを見透かし、愚行を値踏みしているようにしか見えなかった。
ざわついていた二百人の盗賊団が、急速に静まり返っていく。張り詰めた緊張感が岩場を支配した。
(どうする。どうすればいい。僕には戦う力なんてない。この人たち、絶対に僕が偽物だと知ったら殺しにかかってくる……)
サトウが内心で必死に逃げ道を模索していたその時、視界の隅に奇妙な光の文字が浮かび上がった。
『魂名:サトウ』
『肉体名:ジュロウ』
『旧肉体が保有していた剣術、魔法、戦闘技能は継承されません』
『ガチャシステムを起動します』
『初期機能:一日一回の「デイリープル」が実行可能です』
『未使用回数は翌日へ繰り越されません。残念でした』
頭の中に直接響くような、どこか小馬鹿にしたような軽い電子音が鳴り響く。
(ガチャ……? なんだこれ。スマホゲームのやつか?)
混乱する頭をさらに揺さぶるように、目の前の盗賊たちの間で、不穏な空気が再び膨らみ始めていた。
「おい、頭が黙ったままだぞ……」
「まさか、取り分を独り占めする気か?」
「おいおい、俺たちを飢え死にさせる気なら、首領の座から引きずり下ろすまでだぜ」
金属が擦れ合う嫌な音が聞こえた。何人かの盗賊が、腰の鞘から刃を抜きかけている。暴動寸前だった。彼らは極限の飢えと衛生環境の悪さで、すでに理性を失いかけている。ここで引き下がれば、確実に背中から刺される。
(神様、仏様、ガチャの神様……! なんでもいい、この状況をひっくり返せる超強力な兵器を! 一撃でこの場を制圧できる大量破壊兵器を頼む!)
サトウは祈るような気持ちで、視界の中の「引く」という文字を強く意識した。
画面が激しく発光する。金色の光が渦巻き、文字が弾けた。
『排出完了』
『ランク:S』
『アイテム:火神の永劫炉』
(Sランク! やった、火神ってことは、全てを焼き尽くす炎のレーザー大砲か何かか!?)
サトウが歓喜したのも束の間、眼前の空間が歪み、凄まじい質量感を持って「それ」が実体化した。
ドォン!
重々しい金属音が響き、岩場に砂埃が舞う。
現れたのは、巨大で豪華な装飾が施された、重厚な黒鉄製の「調理用オーブンレンジ付きコンロ」だった。金色の炎を模したレリーフが彫り込まれ、魔力のような微かな熱を放っているが、どう見ても戦闘用ではない。巨大な厨房に鎮座しているような、移動不可能な固定型調理設備だった。
『※設置後は移動できません』
『初回付属品:高級保存麺二百食をインベントリへ送りました』
『付属品は追加排出ではなく、火神の永劫炉の導入用試供品です』
(いや、なんでだよ!)
サトウは心の中で激しく突っ込んだ。大砲どころか、ただの巨大な竈ではないか。戦場にキッチンを置いてどうする。
だが、出現した異様な物体を前に、二百人の盗賊たちは完全に硬直していた。
「な、なんだこれは……」
「頭が虚空から巨大な祭壇を召喚したぞ……」
レンが震える声で呟き、地面に跪いた。他の盗賊たちも、その禍々しいほどの存在感を持つ黒鉄の炉を見上げ、ごくりと唾を呑み込む。
サトウは冷や汗を拭うこともできず、引き攣りそうな表情筋を必死に抑え込んでいた。この窮地を切り抜けるには、ハッタリを通すしかない。幸い、彼らはこの炉を何か恐ろしい魔法の儀式道具だと思っているようだ。
「……レン」
サトウはできる限り声を低くし、冷淡に響くよう意識して呼びかけた。
「は、はい! ゴルゴン様!」
「村へ行け」
「はっ! やはり略奪を――」
「違う」
サトウは炉の横を通り過ぎ、重厚な鉄の扉へ片手をかけた。
「村から穀物を持ってこい。力ずくで奪うな。取引しろ。余っているものを全て、ここに集めるのだ」
実際には、ラーメンのスープに合わせる具材や、かさ増し用の小麦粉が欲しかっただけなのだが、その言葉は盗賊たちに恐るべき解釈を与えた。
(取引……? いや、あの冷酷なゴルゴン様がそんな生ぬるいことをするはずがない。あの巨大な炉……。まさか、村の穀物を生贄としてあの炎に捧げ、より強大な呪いを完成させる気か!?)
レンの顔から血の気が引いていく。
「わ、分かりました! ただちに穀物を集めてまいります!」
レンが叫ぶと、盗賊たちは恐れおののきながら、蜘蛛の子を散らすように村へと走っていった。
走り出したレンを、サトウは慌てて呼び止めた。
「待て。もう一つある」
レンが振り返る。
「ゴルゴンという名は、昨日までのやり方と一緒に捨てる。これからはサトウと呼べ」
それは、前の持ち主と自分を区別しておきたいという、サトウなりの小さな抵抗だった。
しかしレンは、首領が過去の血塗られた名を自ら葬り、新たな秩序の支配者として生まれ変わる宣言だと受け取った。
「承知しました、サトウ様。旧きゴルゴンは本日、死んだものと心得ます」
(いや、肉体はそのままなんだけど)
数時間後、岩場には大量の麦や干し肉が運び込まれていた。
盗賊たちは遠巻きにサトウを見守っている。その目は、これから始まるであろう血生臭い儀式への恐怖と期待に満ちていた。
サトウはため息を押し殺し、インベントリから「初回付属品」を取り出した。
現れたのは、現代地球のものとは明らかに一線を画す、美しい意匠の袋に入ったインスタントラーメンだった。
(戦えないなら、せめて胃袋を掴むしかない……)
サトウは「火神の永劫炉」の点火スイッチを入れた。
カチリ、という軽い音と共に、炉の内側から神聖な赤い炎が立ち上る。水を入れた大釜を載せると、驚くべき速度で沸騰し始めた。
サトウは手際よく麺を投入し、特製のスープの素を流し込んでいく。
会社員時代、毎晩のように夜食で作っていた手慣れた作業だ。だが、この世界においては、それは未知の調理法だった。
しばらくすると、湯気と共に、暴力的なまでに芳醇な香りが岩場一帯に広がり始めた。
鶏と豚の濃厚な出汁の匂い、焦がし醤油の香ばしさ、そして食欲を狂わせるスパイスの香りが、冷たい山の空気を満たしていく。
「……っ、なんだ、この匂いは」
一人の盗賊が、持っていた斧を落とした。
彼らが普段食べているのは、調味料も塩分もない、焦げ付いた硬い肉や泥の混じった保存食だけだった。それに対して、目の前の炉から漂ってくるのは、彼らの人生で一度も嗅いだことのない、脳を直接揺さぶるような美食の香りだった。
「頭……? 儀式ではないのですか……?」
レンがふらふらと引き寄せられるように近づいてくる。その口元からは涎が垂れていた。
「器を出せ」
サトウは極悪な無表情を維持したまま、大盛りのラーメンを木椀に盛り付け、レンに差し出した。
「これを食え」
レンは恐る恐る器を受け取った。黄金色に澄んだスープの中で、縮れた麺が美しく輝いている。
意を決してスープを一口啜った瞬間、レンの目が限界まで見開かれた。
「う、美味すぎる……! なんだこれは、身体の芯から熱が湧き上がってくる……!」
実際、火神の永劫炉で調理されたそのラーメンには、一時的な耐熱能力上昇の効果が付与されていたのだが、レンにとってはただの奇跡だった。
「おい、俺にもくれ!」
「頭! 俺たちにもそれを!」
暴動を起こしかけていた二百人の盗賊たちが、今や一杯の麺を求めて、サトウの前に整然と列を作り始めていた。
サトウは心の中で深く安堵の息を吐きながら、黙々とラーメンを盛り付け続けた。
こうして、ブラック・ファング盗賊団の記念すべき「第一歩」は、血の海ではなく、濃厚な醤油スープの香りと共に始まったのだった。
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