Synopsis
「外の世界は危険だよ、美鈴」
8歳で両親を亡くした私を引き取ってくれた養父・隼人さん。
優しくて、何でも教えてくれて、私を世界で一番大切にしてくれる人。
この家は安全。この家だけが、私の居場所。
外には怖い人がいる。病気がある。事故がある。
だから私は、ここにいる。ここにいなきゃいけない。
——本当に?
18歳の誕生日、私は初めて「外」を見たいと思った。
温室で育てられた花は、外の風に耐えられるのか。
それとも——自ら根を引き抜くしかないのか。
10年間の「愛」が崩壊する、衝撃のサイコスリラー。
Chapter1
柔らかな羽毛布団が体を包み込む、その重みすらも愛おしく感じられる朝だった。天井までの高さがある大きな窓の向こうには、手入れの行き届いた広大な庭が広がり、朝の光がレースのカーテンを透過して、無垢な白いシーツの上に淡い模様を描き出している。美鈴はゆっくりと目を開け、自分が十八歳という新しい年齢の朝を迎えたことを、心地よい微睡みの中で実感した。
一階のダイニングルームへ降りると、すでに焼き立てのパンと、彼女が一番好きなダージリンティーの香りが空気を満たしていた。長年この家で働く田中太太が、完璧なタイミングで銀のトレイを運んでくる。
「おはよう、美鈴。そして、誕生日おめでとう」
長いダイニングテーブルの向かい側で、新聞に目を通していた隼人が顔を上げ、深い愛情を湛えた微笑みを向けた。彼の声はいつも穏やかで、どんな不安も溶かしてしまうような温かさを持っている。美鈴が席につくと、隼人は立ち上がり、彼女の目の前にベルベットで覆われた小さな小箱を置いた。
「開けてごらん」
期待に胸を膨らませてリボンを解くと、黒いクッションの上で、彼女が以前カタログを見て綺麗だと言っていたブランドの限定版ブレスレットが、朝の光を受けて静かに輝いていた。精巧な細工が施された細いチェーンは、まるで彼女の細い手首を優しく縛る美しい鎖のように見えた。
「ありがとう、お父さん!すごく綺麗」
美鈴は椅子から立ち上がり、隼人の首に腕を回して抱きついた。隼人の大きな手が彼女の背中を優しく撫でる。その頼もしい温もりを感じながら、美鈴は自分が世界で一番幸福な少女なのだと、何の疑いもなく信じていた。この家には彼女が望むすべてのものがあり、隼人は彼女をあらゆる脅威から守ってくれる絶対的な存在だったからだ。
午前中の時間は、いつものように過ぎていった。美鈴は学校には通っていない。隼人は「外の世界はあまりにも危険だ」と何度も彼女に教えてきた。テレビのニュースで流れる交通事故、未知の感染症、子供を狙う残酷な犯罪者たち。隼人はそういった情報を丁寧に彼女に見せ、この家だけが、彼が彼女のために作り上げた絶対の安全地帯なのだと認識させてきたのだ。
だから、教育はこの家の中で完結する。家庭教師の柳井が、毎日決まった時間に訪れ、あらゆる知識を彼女に授ける。午後の光が差し込む静かな図書室で、歴史の教科書を閉じた後、美鈴はふと、タブレットの画面に映っていた同世代の少女たちの写真──制服を着て、友達と笑い合いながらクレープを食べている写真──を思い出した。
「柳井先生」
美鈴の唐突な声に、鞄に資料を片付けていた柳井が手を止めた。
「外の世界って、本当にそんなに危険な場所なのでしょうか」
その瞬間、図書室の空気がわずかに硬直した。柳井の指先が資料の束の上でピタリと止まり、彼の瞳の奥に、一瞬だけ何か複雑な、泥のような感情が渦巻いたのを美鈴は見逃さなかった。まるで、口に出してはいけない台詞を飲み込んだかのような、痛みを伴う沈黙。しかし、それは瞬きをする間に消え去った。
「ええ……そうです」柳井は視線を伏せ、押し殺したような低い声で答えた。「お父様のおっしゃる通りです。外の世界は予測不可能な危険で満ちています。美鈴さんは、この安全な場所にいるのが一番なのです」
その言葉は、いつも隼人が口にするものと完全に一致していた。しかし、柳井のその一瞬の躊躇いが、美鈴の心の中に落とされた小さな水滴のように、静かな波紋を広げ始めていた。完璧に整えられた温室の中で、彼女は自分が知らない「外の風」の匂いを、画面越しに嗅いでしまったのだ。
夜になり、ダイニングルームは温かなキャンドルの光と、豪勢な誕生日ディナーで彩られていた。田中太太が腕を振るった料理の数々が並び、隼人はご機嫌な様子でワイングラスを傾けている。和やかな食事の時間が終わりに近づき、デザートのケーキが切り分けられた時、美鈴は膝の上で両手をきつく握りしめた。心臓の鼓動が、自分の耳の奥でうるさく鳴っている。
「お父さん」
美鈴の声は、少しだけ震えていた。
「私……大学に行ってみたいの」
カチン、と。
隼人の手に握られていた銀のフォークが、陶器の皿に触れて鋭い音を立てた。彼の動きが完全に止まる。顔の筋肉が微かに強張り、いつもは温厚なその瞳の奥に、暗く冷たい何かが閃いた。空間の気圧が急激に下がったかのような、息苦しい沈黙がテーブルを支配する。
しかし、次の瞬間には、隼人は何事もなかったかのように柔らかく微笑んでいた。
「大学?どうして突然そんなことを言い出したんだい?」
「その……外の世界を、自分の目で見てみたいと思って」
美鈴は必死に声を絞り出した。隼人はゆっくりとフォークを置き、テーブル越しに手を伸ばして、美鈴の震える手を包み込んだ。その力は、優しく、しかし決して逃がさない強さを持っていた。
「外はとても危険だ、美鈴。君もよく知っているだろう?」隼人の声は、子供を諭すような甘やかな響きを帯びていた。「君を傷つけるものばかりだ。私は君を、そんな危険に晒すわけにはいかない」
いつもなら、ここで美鈴は「そうだね、お父さん」と頷き、彼の温もりに安堵するはずだった。しかし、今日だけは、彼女の首は縦に動かなかった。図書室での柳井の不自然な間、タブレットで見た少女たちの笑顔、それらが彼女の中で交錯する。
「でも、私、もう十八歳になったから……」
美鈴が言葉を紡ぎ終える前に、隼人の指の力が微かに強くなった。彼の目元は笑っているのに、瞳孔の奥には一切の光が宿っていなかった。
「そうだな。今日は君の大切な誕生日だ」隼人は美鈴の手をゆっくりと離し、ワイングラスを手に取った。「この話は、また別の日にゆっくりしよう。さあ、ケーキを食べなさい」
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