神代樺乃の逃れられない◯◯な運命(さだめ)〜女子高編
Synopsis
母方の祖母に引き取られ、祖母が営む神社で暮らしていた神代樺乃。この神社には『淫妖蟲』と呼ばる蟲達を代々封印する仕事を担っていた。そんなことは知らない樺乃は、8歳のときに誤ってその封印を解いてしまう。樺乃は祖母にこのことを話すと祖母は絶句した。なぜなら、もう一度封印するには『乳感の儀』という儀式が必要であり、それは代々封印を解いたもののみが『乳感の儀の巫女』となり、その壮絶な使命を背負うものだった。その後、樺乃は16歳となり、それまで代理であった祖母から引き継ぎその逃れられない運命に必死で立ち向っている。正式に巫女となってから3ヶ月が過ぎたある日、樺乃は淫妖蟲を乳感するべく女子高に潜入していた。
神代樺乃の逃れられない◯◯な運命(さだめ)〜警視庁編 に続く。
Chapter1
――夕立の匂いがする。
神代樺乃は、古い校舎の廊下に足を置くたびに、そう思った。磨き抜かれた床板が夕陽を受けて赤く溶け、まるで巨大な生き物の舌の上を歩いているような錯覚。
制服のスカートをひらりと押さえ、彼女は静かに深呼吸する。海苔のように絡みつく粉笔の匂い。今日は特に、甘く腐ったものが混じっている。
(――妖気、ね)
懐かしい匂いだ。幼い頃、母が焚き火で焼いた祓いの束も、こんな風に甘く尾を引いた。樺乃は指先で額を掠める。黒い前髪の下、紅いリボンが小さく震える。リボンは純潔の封印。今はまだ、揺らいでいない。
『……五時十五分。放課後の職員室、数学科。』
携帯のメモを再確認。依頼は簡単だった。
「最近、教師陣の様子がおかしい。女子生徒への視線が汚い。何か憑いてる気がする」
――写真を撮って送られてきた男は、確かに「普通の」中年教師だった。
眼鏡の奥の瞳は穏やかで、スーツの襟も正しい。だが、写真を撮った女子生徒の指が震えている。シャッター速度の遅さが、恐怖を物語っていた。
樺乃は足音を殺し、階段を上る。二階へ続く手すりに、小さな爪痕。誰かが転んだ跡か、それとも――。
「おや、お客さん?」
声が降りてきた。
螺旋階段の上り口、薄暗がりに浮かぶ白いシャツ。男はネクタイを緩め、左手に三角定規を握っていた。
金属の先端が、夕陽を受けてチカチカと瞬く。まるで虫の羽音。
『……先生、お忙しいところ失礼します』
樺乃は一歩下がり、頭を下げる。
『私、転校を検討している者です。進路相談に来ました』
嘘は必要だった。巫女の気を悟られては、相手が隠れる。
男――数学教師・藤井は、眼鏡の奥の瞳を細めた。まるで焦点が合っていないカメラのように、じわりと焦点をずらす。
「……ふうん。進路、ね」
藤井の喉が鳴る。ごくり、と生唾を飲む音が、階段の天井に響く。
樺乃の肌に、小さな粟立ちが走る。まだ、人の声だ。だが、裏返っている。まるでラジオの周波数が一つずれている。
「じゃあ、教室に来てくれるかな。丁度、誰もいない」
男は踵を返す。背中のシャツに、汗の染みが大きく広がっている。真円じゃない。不規則な縁取り
――まるで巨大な蛾の翅が開いた跡。
樺乃は唇を軽く噛み、後を追う。廊下は長い。蛍光灯が古く、灯りが点滅するたびに床の影が伸び縮みする。まるで、何かが這い寄ってくる。
――来なさい、と妖気が囁く。
教室は3-B。扉のネームプレートが外れかかっている。藤井が押し開くと、中は夕暮れの赤に満ちていた。
黒板には、授業の途中で止められたのか、無数の数式が白く張り付いている。二次関数のグラフが、女体の曲線に見えるのは気のせいだろうか。
樺乃は胸の前で指を組む。親指の爪が、人差し指の関節を抉る。痛みで意識を引き戻す。
「どうぞ、好きな席に座って」
藤井は教壇に立ち、三角定規を置いた。金属が木を打つ、カツン、という音。続けて、チョークを取る。白い粉が、指の腹に付着する。男はそれを舌で舐めた。ぺろり、と音がする。
「……今日は、特別授業をしよう」
樺乃は最前列の真ん中に座る。背筋を伸ばし、スカートの裾を膝で挟む。妖気の密度が、一気に上がった。
黒板の数式が、ゆっくりと蠢く。
Y=ax²の軌跡が、下腹の奥で熱を灯すような錯覚。
――だめ。惑わされている。樺乃は小さく息を吸い、呪を紡ぐ。
『……臨・兵・闘・者』
四字を胸中で刻む。瞬間、教室の空気がビリッと澄む。
黒板の白文字が、元の静止に戻る。藤井の眉が、ぴくりと跳ねた。
「おや、勉強熱心だね。声に出して復唱している?」
『……いえ、自分用の呪文です。試験に怯えて』
樺乃は微笑む。仮面を被る。巫女の仮面は、純潔の仮面でもある。
藤井の喉が、再び鳴る。今度は、ごぼり、と深い。男の首筋に、青筋が浮く。一本、また一本、まるで虫の脚が這う。
「じゃあ、問題を出そうか」
藤井は黒板に向かい、チョークを走らせる。
――――――
X=sin θ
Y=cos θ
(0≦θ≦2π)
――――――
「この曲線が描く図形は?君なら解けるね」
問いは簡単だ。単位円だ。だが、チョークの線が黒板を這うたびに、妖気の渦が深まる。まるで、男の指が生徒の肌を這うような、ぬめり。
樺乃は静かに手を上げる。
『……円です。半径1、中心原点』
「正解」
藤井は振り返る。眼鏡の奥の瞳が、左右で別の色を帯びている。左は茶、右は――緑。まるで、古い蛍光ペンで塗られたように、にじんでいる。
男は口元を緩める。歯の間から、白い粉がこぼれる。チョークの残骸だ。
「じゃあ、次。もっと、奥深い問題を」
男は三角定規を掴む。金属の辺を、自分の頬に這わせる。ぎり、と皮膚が削れる音。だが、血は出ない。代わりに、透明な粘液がにじむ。まるで、虫が羽化する時の体液。
樺乃の背中が、じわりと冷える。
――来た。淫妖蟲の、本気の吐息。
『先生、お怪我を――』
「怪我?これは、祝福だよ」
藤井は教壇を降りる。一歩、また一歩。床板が、きしむ。男の影が、夕陽に引き伸ばされて、黒板の方程式を呑み込む。
樺乃は席を立つ。スカートの裾が、震える。指が、懐に入る。そこには、御幣が一本。だが、まだ早い。相手の正体を、もっと引き出さねば。
『……先生は、最近、夜、学校に残っているんですって?』
「ああ。素晴らしい時間だ。生徒も職員もいない。静寂が、僕を包む」
『何を、しているんですか?』
「探求だよ」
藤井は、一歩距離を詰める。匂い。甘く、腐った蜜。男の首筋に、青筋が、ぶるぶると蠢く。まるで、糸を引く芋虫。
「僕はね、曲線の奥に潜む欲望を見つけた。円は完璧だが、飽きる。放物線は雄々しいが、単調だ。だが、もし――」
男の指が、黒板を這う。
――――――
Y=ax³
――――――
「三次の関数なら、どうだ? inflection point(変曲点)で、女は体を反り返らせる。そこだ。そこに、神が隠している」
チョークが、黒板を鳴らす。
ぎぃ、という音。瞬間、教室の蛍光灯が、ぶっと消える。暗闇。そして、息。
樺乃の背後で、窓ががたがたと震える。ガラスの向こう、夕陽がにじむ。まるで、血が滲んでいる。
『……先生、それは、教育に適切でしょうか』
「教育?僕は、もう教えていない。僕は、開花させているんだ」
藤井の声が、裏返る。低く、湿り、複数の節を持つ。まるで、羽音。男の背中で、シャツが裂ける。
――ばさり。
白い布が、左右に開く。そこから現れたのは、半透明の翅。三枚、また三枚、複眼状の紋様が、夕陽を吸い込む。淫妖蟲、半憑依。
樺乃は後退る。背中が、教壇にぶつかる。
――もう、逃げ場なし。
『……御幣、召喚』
彼女は懐から、杉の棒を引き抜く。紙垂が、ひらりと広がる。瞬間、教室に、清めの風が走る。だが、風はすぐに淀む。淫妖蟲の翅が、ばたり、と拍動。甘い鱗粉が、空中に舞う。
樺乃の喉が、焼ける。まるで、熱いミルクを飲まされたような、むせかえる甘さ。
「純潔の巫女……か。ふふ、素晴らしい標本だ」
藤井――いや、蟲の声が、耳の奥で響く。男の指が、伸びる。人間の指だったものが、節を増やし、先が尖る。爪が、五本、十本、二十本に分裂して、空中を這う。
樺乃は御幣を振る。紙垂が、鋭く唸る。
『……祓え、清めの炎』
呪詞を紡ぐ刹那、紙垂が白い火を噴く。火は直線を描き、蟲の翅を灼く。
――だが、火はすぐに色を変える。白から、ピンクへ。そして、桃色の煙が、樺乃の顔を包む。
甘い。頭が、ぼう、と痺れる。膝が、がくりと崩れる。
――だめ。これは、欲望の煙。
『……くっ』樺乃は唇を噛む。
血の味が、鉄の味が、意識を引き戻す。だが、もう遅い。淫妖蟲の翅が、ばたばたと大きく広がる。教室の天井を埋め尽くす。影が、彼女を呑み込む。足首に、冷たい糸が絡まる。
見下ろすと、床から這い出した半透明の管が、スカートの中を這う。ひく、ひく、と脈打ち、内腿を這い上がる。
――結界、破れている。
『……まだ、です』
樺乃は御幣を逆手に持ち、自らの左腕を打ち付ける。どっ、と鈍い音。痛みが、脊髄を貫く。瞬間、煙が薄れる。
彼女は立ち上がる。だが、もう足場はない。床が、ぬめり、と波打ち、立っていることができない。淫妖蟲の声が、耳の奥で囁く。
――さあ、教えてあげよう。変曲点の先に、何があるか。
管が、太さを増す。スカートの布が、じわりと湿る。冷たい汗か、それとも――。
樺乃は歯を食い縛る。御幣を振る。だが、紙垂はもう火を帯びない。代わりに、先が丸く、ねじれ、うなだれる。まるで、花が枯れるように。
『……助け……』
呟きが、零れる。
――だめ。
弱音を吐いた途端、蟲の笑いが大きくなる。藤井の顔が、近づく。眼鏡のレンズが、割れ、向こう側の瞳が、ぎらついていた。
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## 主要キャラクターファイル:
主人公1:
- 名前: 神代樺乃(かみしろ かの)
- 性別: 女
- 年齢: 16歳
――夜の社は、蟲の胎内だった。
柱の影に、翅を畳んだ淫妖蟲がへばりつく。
木肌の湿りを舐めるように、無数の触手が這い、古い漆を
――外伝・神代樺乃手記 『裂傷は花』
蝋燭一本だけが倉の天井を焦がす。火の芯が鳴る、まるで私の乳首を噛み砕いた歯の音みたいだ。
湯船の縁に指をかけ、神代樺乃はゆっくりと体を沈めた。
湯気が薄く立ちこめ、照明が滲んで見える。肩まで浸かると、ぬるりとした熱がすぐに皮膚に張りついた。
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