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愛から始まる二重スパイ

愛から始まる二重スパイ

Last Updated: 2026-05-08 11:31:34
By: MAX4592
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Language:  日本語4+
5.0
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Synopsis

警察の潜入捜査官でありながら、マフィアにも情報を流す女、雨宮レイナ。


三年にわたる潜入の末、彼女は巨大マフィア組織の内側へ深く入り込んでいた。 だが、ある銃器取引の失敗をきっかけに、組織内で「裏切り者探し」が始まる。


疑われれば殺される。 警察に戻っても、守られるとは限らない。 二つの顔を使い分けてきたレイナは、生き延びるため、自分以外の裏切り者を見つけ出さなければならなくなる。


しかし調査を進めるうちに、五年前の銃乱射事件、消された記録、警察内部の不自然な沈黙が浮かび上がる。 敵だと思っていた者は、本当に敵なのか。 味方だと思っていた者は、本当に味方なのか。


白と黒が交錯する霧の街で、女スパイは出口のない騙し合いへ足を踏み入れる。


これは、裏切り者を探す裏切り者の物語。


Chapter1

これは、騙し合いの物語だ。


警察は正義の仮面を被り、マフィアは家族の仮面を被り、スパイは自分自身にさえ嘘をつく。


霧と銃声に沈むこの街では、真実を語る者ほど早く死に、嘘を上手に重ねた者だけが朝を迎えられる。


だから、彼女は誰も信じなかった。


上司も、仲間も、兄弟と呼んでくる男たちも。


たったひとつだけ、信じていた。


耳元で逃げ道を示す、優しい“愛”の声だけを。



深夜二時の港は、いつもより静かだった。


海から流れ込んだ霧が、積み上げられたコンテナの輪郭を白くぼかしている。濡れたアスファルトには古い油の匂いが染みつき、遠くで鳴る船の汽笛だけが、眠らない街の呼吸のように響いていた。


雨宮レイナは、黒いスーツの襟を指先で直した。


ヒールの音は立てない。視線は落としすぎず、上げすぎず。怯えて見えてはいけない。強く見えすぎてもいけない。こういう場所では、存在感の調整を間違えた者から死ぬ。


彼女はそれを、この三年で嫌というほど学んでいた。


「レイナ」


背後から軽い声がした。


振り返らなくても誰かわかる。ルカ・ベルティ。ヴァレンティノ・ファミリーの若い幹部候補で、笑顔のまま人を試す男。


レイナはゆっくりと顔だけを向けた。


「何?」


「今夜も綺麗だな。死人の顔色みたいで」


「褒め言葉にしては趣味が悪いわ」


「この街で育つと、褒め方まで汚れるんだよ」


ルカは肩をすくめ、隣に並んだ。


年齢はレイナとそう変わらない。柔らかい茶色の髪に、薄く笑った口元。人なつこい顔をしているくせに、目だけはいつも冷めている。相手が嘘をつく瞬間を待っている目だ。


彼は親しげにレイナの肩へ手を伸ばしかけた。


レイナは半歩だけ横へずれた。


「触らないで」


「冷たいな。俺たち、ファミリーだろ?」


「その言葉を信じる人間から順番に棺桶へ入るのよ」


「はは。やっぱり君は面白い」


ルカは笑った。


レイナは笑わなかった。


彼女の胸元の内ポケットで、端末が一度だけ震えた。


暗号化された短い振動。警察からの連絡だった。


レイナは視線を動かさず、指先だけで端末に触れる。義手でもなければ特殊な装置でもない。ただ、何度も練習した動きだった。誰にも気づかれず、誰にも疑われず、別の顔を開くための動き。


表示された文字は短かった。


『今夜の取引を成立させるな。銃器の搬入ルートを押さえろ。正体の露見は許されない』


送信者は榊警視。


警察組織の中で、レイナの本当の名前を知る数少ない人間のひとりだ。


レイナは心の中でだけ笑った。


正体の露見は許されない。


簡単に言ってくれる。死ぬな、と言うよりずっと冷たい命令だった。死体になっても正体さえ守れれば、彼らにとって任務は失敗ではないのだろう。


警察は正義を語る。


だが、正義はいつも誰かを駒にする。


「どうした?」


ルカが覗き込むように尋ねた。


「別に」


「別に、って顔じゃない」


「あなたに関係ある?」


「あるさ。今夜は大事な取引だ。君が緊張してると、俺も不安になる」


「緊張しているように見えるなら、あなたの観察力も大したことないわね」


「そういう強がりを言う女ほど、信用できない」


「信用しなくていいわ」


レイナは霧の向こうへ視線を戻した。


コンテナの間から、黒塗りのバンが三台入ってくる。ライトは落とされ、エンジン音も低い。ヴァレンティノ・ファミリーが待っていた荷だ。


銃器。


この街では、銃は水よりも高く、祈りよりも軽い。


金さえあれば手に入る。怒りさえあれば撃てる。後悔は、たいてい弾丸より遅れてやってくる。


バンから降りてきた男たちが、合図もなくコンテナの鍵を開け始めた。重い金属音が霧の中に響く。


レイナは息を浅くした。


その時、背後から別の男が近づいてきた。


ボスの側近、ヴィットリオだ。細い銀縁眼鏡をかけた、葬儀屋のような男だった。


「レイナ」


「はい」


「ボスからの伝言だ」


ヴィットリオは声を潜めなかった。


周囲に聞かせるための伝言だと、すぐにわかった。


「警察に情報が漏れている。今夜、怪しい者を見つけろ」


レイナの喉が、ほんのわずかに硬くなった。


だが表情は動かさない。


「私に?」


「そうだ。君は外から来た女だ。ファミリーのしがらみに甘くない。だからこそ見えるものがある」


嘘だ。


これは信頼ではない。試験だ。


彼らはもう疑っている。誰かを。あるいは全員を。


レイナは静かに頷いた。


「承知しました」


警察からは取引を潰せと言われた。


マフィアからは警察の内通者を探せと言われた。


そして彼女自身は、その両方に嘘をついていた。


警察の潜入捜査官。


マフィアの情報係。


そして、必要に応じて警察の情報をマフィアへ流す裏切り者。


雨宮レイナは二重スパイだった。


正義のために始めた潜入は、いつの間にか生き延びるための裏切りに変わっていた。最初に嘘をついた相手が誰だったのか、もう覚えていない。警察か。マフィアか。それとも、自分自身か。


右耳のイヤーカフから、小さな電子音がした。


レイナはほんの少しだけ顎を引いた。


『心拍数が上昇しています。呼吸を三秒だけ整えてください、レイナ』


耳元に、静かな声が届く。


女とも男ともつかない、柔らかな声。感情は薄いのに、不思議と冷たくはない。誰よりも正確で、誰よりも落ち着いている声。


レイナは小さく息を吐いた。


「アイ。状況は?」


唇はほとんど動かさない。周囲には独り言にも見えない程度の声量だった。


『南側二百メートルに警察車両三台。北西の倉庫屋上に狙撃手と思われる熱源。マフィア側の見張りは東側に偏っています』


「突入まで?」


『推定二分四十秒』


「早すぎる」


『警察側の作戦開始時刻が予定より前倒しされています』


レイナは目を細めた。


榊は何も言っていなかった。いや、言う必要がないと思ったのだろう。現場の駒に、盤面すべてを教える指し手はいない。


「逃走経路は?」


『現時点で最も安全な経路は、第三倉庫裏の排水路です。ただし、単独行動の場合に限ります』


「私はまだ単独で動けない」


『承知しています』


アイの声を聞くと、レイナの呼吸は少しだけ楽になる。


警察の命令は彼女を縛る。


マフィアの視線は彼女を刺す。


けれどアイだけは、いつも道を示した。


逃げろと言う時もある。撃つなと言う時もある。笑えと言う時もある。


それが人間の優しさではないことは、レイナにもわかっていた。


それでも、人間の優しさよりは信用できた。


「レイナ」


ルカの声で、彼女は現実へ引き戻された。


「さっきから、誰と話してる?」


「自分と」


「それは危ないな」


「この仕事をしていて正気でいられる方が危ないわ」


ルカは楽しそうに目を細めた。


「君、本当に何者なんだろうな」


「あなたが思っているより、つまらない女よ」


「つまらない女は、そんな目をしない」


コンテナの扉が開いた。


中には、木箱がぎっしりと積まれていた。男のひとりが蓋をこじ開ける。油紙に包まれた黒い鉄の塊が、霧の中のライトを鈍く反射した。


銃。


その瞬間、遠くで一発の銃声が響いた。


誰かが予定より早く引き金を引いた。


次の瞬間、港の静寂が砕け散った。


「警察だ!」


誰かが叫ぶ。


南側から赤と青の光が霧を裂いて近づいてくる。マフィアの男たちが一斉に武器へ手を伸ばした。怒号。足音。金属音。コンテナの影に駆け込む者、車へ戻る者、撃ち返そうとする者。


レイナは一瞬で状況を読む。


警察の突入が早い。マフィア側も動揺している。だが、完全な奇襲ではない。誰かが事前に警察の接近を察知していた。見張りの配置が不自然に南側を空けていたのは、そのせいか。


情報は漏れていた。


警察からも。


マフィアからも。


「レイナ!」


ルカが叫んだ。


彼女は答えない。


「アイ、選択肢」


『警察側に合流した場合、正体露見確率八十四パーセント。マフィア側に残留した場合、逮捕または射殺確率六十一パーセント』


「生き残るルートは?」


『あります。ただし、どちらかを裏切る必要があります』


レイナは笑った。


「今さらね」


『第三コンテナのロックを解除してください。内部の武器を警察の突入経路上に露出させます。その後、東側通路からマフィア側の退避を誘導してください』


「警察には成果を渡し、マフィアには恩を売る」


『はい』


「最悪の綱渡りね」


『現時点で最も生存確率が高い選択です』


レイナは走り出した。


銃弾がコンテナを叩き、火花が散る。悲鳴と怒号が混ざる中、彼女は第三コンテナの脇に滑り込んだ。腰の小型端末を取り出し、アイが送ってきた解除コードを入力する。


ロックが外れた。


重い扉が半分だけ開き、中の木箱が崩れ落ちる。油紙に包まれた銃器が、警察のライトの前に晒された。


「武器を確認!」


警察側の声が聞こえた。


これで榊は成果を得る。


同時に、レイナは無線を拾ったマフィア側へ叫んだ。


「東へ抜けて!南は塞がれてる!」


数人が彼女の声に反応して走った。


ヴィットリオも、ルカも。


レイナは彼らを先導するように東側通路へ向かった。逃げ道を知っている者は、それだけで一時的に信頼される。たとえその道が、誰かの計算で作られたものだとしても。


「こっちだ!」


ルカが前方の男に叫ぶ。


次の瞬間、倉庫の屋上から銃声が落ちた。


ルカの肩口を狙った弾丸が、霧を裂いて飛んでくる。


レイナは考えるより早く、彼の腕を掴んで引き倒した。


弾丸はルカの頬をかすめ、背後のコンテナに食い込んだ。


ルカは地面に転がりながら、目を見開いた。


「……俺を助けたのか?」


「勘違いしないで。あなたが死ぬと、私が疑われるだけ」


「可愛くない理由だな」


「生きてるだけ感謝して」


レイナは立ち上がり、彼に手を貸さなかった。


それでもルカは笑った。


「今夜の借りは返すよ、姉妹」


「その呼び方、やめて」


「じゃあ、相棒?」


「もっと嫌」


ルカは笑いながら立ち上がり、彼女の背後を守る位置に入った。


その行動が計算なのか本心なのか、レイナにはわからなかった。


だから信じない。


信じないまま、背中を預ける。


それがこの街で生き残る方法だった。


『右前方、警察官二名。左の通路へ』


アイの声。


レイナは迷わず左へ曲がる。


『十メートル先、監視カメラ。顔を伏せてください』


レイナは髪を揺らして顔を隠す。


『次の角で三秒停止。その後、走ってください』


「理由は?」


『銃弾が通過します』


レイナは足を止めた。


一秒。


二秒。


三秒。


目の前の通路を、弾丸が横切った。


ルカが口笛を吹いた。


「君、予知能力でもあるのか?」


「勘がいいだけ」


「怖い女だ」


「今さら?」


やがて彼らは港の東側、古い排水路へたどり着いた。


錆びた鉄格子は、すでに半分外れていた。


アイが事前に選んだ道。


いや、違う。


レイナは一瞬だけ、胸の奥に冷たい違和感を覚えた。


都合が良すぎる。


警察の突入が早まり、マフィアが混乱し、銃器コンテナだけが押収され、幹部候補たちは逃げ延びる。まるで最初から、そういう形に収まるように組まれていたみたいだった。


「レイナ、早く」


ルカの声で、彼女は考えを止めた。


今は疑う時ではない。


生きる時だ。



隠れ家に戻った時、夜はまだ終わっていなかった。


港から離れた旧市街の地下。表向きは閉店したワイン倉庫だが、奥にはヴァレンティノ・ファミリーの会合部屋がある。


濡れたコートの匂い。血の匂い。煙草の匂い。


誰もが怒っていた。


誰もが怯えていた。


銃器の大半は警察に押収された。何人かは捕まり、何人かは撃たれた。だが全滅は免れた。それはレイナが退避路を示したからだと、そこにいた全員が知っている。


だからこそ、彼女を見る目には感謝と疑惑が同じだけ混ざっていた。


部屋の奥で、ボス――カルロ・ヴァレンティノが葉巻に火をつけた。


白髪混じりの髪を後ろへ撫でつけた、老いた狼のような男だった。声を荒げる必要のない人間ほど、怒る時に静かになる。


「今夜、我々は大きな損害を受けた」


誰も答えない。


「警察は正確すぎた。突入の時刻も、場所も、荷の中身も知っていた」


カルロはゆっくりと全員を見回した。


「この中に、警察の犬がいる」


レイナはまばたきひとつしなかった。


心臓だけが、肋骨の内側を叩く。


犬。


そう呼ばれることには慣れている。


警察にも飼われ、マフィアにも飼われている。首輪が二本あるだけで、自分が自由だと思い込むほど愚かではない。


カルロの視線がレイナで止まった。


「レイナ」


「はい」


「お前が探せ」


部屋の空気が変わった。


ルカがわずかに眉を上げる。


ヴィットリオは表情を変えない。


レイナは静かにカルロを見返した。


「私が、ですか」


「お前は今夜、我々を逃がした。だからこそ、お前に任せる」


信頼の形をした疑い。


疑いの形をした命令。


「裏切り者を見つけろ。三日以内にだ」


「見つからなかった場合は?」


カルロは薄く笑った。


「その時は、見つけられなかった者が責任を取る」


つまり、私が死ぬ。


レイナはゆっくりと頭を下げた。


「承知しました」


自分自身を探せと命じられる。


これほど滑稽で、これほど危険な任務はない。



夜明け前、レイナはひとり車の中にいた。


旧市街の裏路地。フロントガラスに細かい雨が当たり、街灯の光を滲ませている。


端末には、榊警視からのメッセージが残っていた。


『なぜ予定外の行動を取った。報告を待つ』


別の端末には、ヴィットリオから。


『三日以内に裏切り者を提示しろ』


そしてルカからは、短いメッセージ。


『今夜の借りは忘れない』


誰もが自分の言葉で彼女を縛ろうとしている。


警察は命令で。


マフィアは恐怖で。


ルカは恩で。


レイナは端末をすべて伏せた。


静かになった車内で、硝煙の記憶だけがまだ鼻の奥に残っていた。


彼女は右耳のイヤーカフに触れる。


「アイ」


『はい、レイナ』


すぐに返事がある。


それだけで、ほんの少しだけ胸の奥が緩んだ。


「あなたは、私を裏切らないわよね」


雨音が答えを待つように車を叩いていた。


数秒の沈黙。


それから、アイはいつもの優しい声で言った。


『私は、あなたを目的地まで案内します』


レイナは目を閉じた。


その答えに安心した

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