Özet
ギャグをいれたかったけど恵子とのバランスが悪くなったため断念
Bölüm1
ウインカーの乾いた音が、密閉された車内にリズムを刻む。カチ、カチ、カチ。
フロントガラスの向こうには、昨日と、その前の日と、そしてきっと明日も変わらないであろうテールランプの赤い列が続いている。国道一六号線の下り坂。排気ガスと湿ったアスファルトの匂いが混じり合い、三年間使い続けている芳香剤の、抜け殻のような微かな香りが鼻腔をくすぐった。
田中やすおは、ハンドルの革がわずかに擦れている部分に親指を這わせた。三十二歳。どこにでもあるメーカーの営業職。どこにでもある、中古で買った白い国産車。
渋滞は、川の淀みのように動かない。
「……はぁ」
吐き出した吐息が、冷房の風に押し流されて消える。
カーラジオから流れてくるのは、交通情報と、それに続く午前中のバラエティ番組だった。パーソナリティの快活な声が、防音性の低い車体越しに響く外音をかき消す。
『……続いてのニュースです。プロバスケットボール、北米リーグで活躍する佐野選手が、昨夜の試合でキャリアハイとなる三十六得点を記録しました。弱冠三十一歳、日本人初の快挙に現地メディアも――』
やすおは、無意識のうちに音量つまみを右へひねった。
三十一歳。自分より一歳、若い。
スピーカーから溢れる熱量。歓声の地鳴り。それらはこの狭いコクピットの中に浸透し、座席に沈み込んだやすおの背中を、見えない針で突き刺すようだった。彼が異国のコートで数万人の観衆を熱狂させている間、自分は何をしていたか。
伝票の整理。取引先への謝罪電話。コンビニの冷えたおにぎり。
カチ、カチ。ウインカーの音が、秒針のように人生を削り取っていく感触がある。
やがてノロノロと動き出した車を駐車場に入れ、タイムカードを切る。定型文の挨拶を交わし、デスクに座る。昼休み、誰とも話す気になれず、スマートフォンの画面を指で弾いた。
SNSのタイムラインは、無機質な事務室よりも遥かに騒がしい。
大学時代の友人、健太の投稿が目に留まった。シンガポールの高層ビルを背景に、シャンパングラスを掲げる写真。
〈プロジェクト成功の打ち上げ!最高のチームに感謝。世界を変えるのは俺たちだ〉
画面をさらにスクロールする。かつてのゼミ仲間だった女性は、自身の立ち上げたブランドの展示会をパリで開いているらしい。光沢のある紙面に載るような、洗練された笑顔。
やすおはそっと、スマートフォンの電源を切った。暗転した画面に、蛍光灯の光で青白く照らされた自分の顔が映る。目の下の隈、わずかに緩んだ顎のライン。
そこにあるのは、何者でもない男の輪郭だった。
仕事が終われば、いつものスーパーで安売りされた総菜を買い、いつものアパートへと戻る。ドアを開ければ、そこには四年前から見慣れた景色が待っている。
「おかえり。今日、早かったね」
キッチンから顔を出したのは、恵子だった。
エプロンの紐を器用に結び直し、鍋の様子を見ている。彼女の髪からは、いつもしっとりとしたシャンプーの匂いがする。落ち着く匂い。だが今のやすおには、それが身体を動かなくさせる泥のように感じられた。
「……ああ。道が、少しだけ空いてた」
嘘だった。渋滞はいつも通りだったが、説明するのが億劫だっただけだ。
夕食は、恵子が作った肉じゃがと、スーパーの揚げ物。テレビの音だけが、食卓の沈黙を埋めている。恵子は箸を休めることなく、今日あった些細な出来事を語る。職場の同僚が結婚すること。近所の公園に新しいベンチができたこと。
彼女は、この平坦な日々を愛しているように見えた。波風の立たない、ぬるま湯のような安心感。
「ねえ、やすおくん。今度の週末、どうする? 駅前のあの居酒屋、クーポンあるんだけど」
恵子の問いかけに、やすおは噛んでいたコロッケの感触を失った。
あの居酒屋。三週間に一度の頻度で行く、チェーン店。座る席も、頼むメニューも、交わす会話のトーンまで、すでにプログラムされているかのように決まっている。食後はコンビニでアイスを買い、家で配信サイトの映画を観る。途中でどちらかが寝落ちして、夜中にシャワーを浴びる。
来週も。来月も。きっと、再来年も。
「……恵子」
「ん?」
恵子が、丸い瞳をこちらに向けた。そこには何の疑いも、焦りもない。彼女の瞳の中に映る自分は、あまりにも小さく、色褪せて見えた。
「俺たち、このままでいいのかな」
言葉が、意志を持つ前に唇から滑り落ちた。
恵子は首を少し傾け、箸を置いた。
「このままって……何が?」
「全部だよ。仕事も、週末の過ごし方も。……俺たちの関係も」
「私は、今がすごく幸せだよ」
迷いのない、柔らかな声だった。それはやすおを否定するものではなかったが、だからこそ、余計に彼を孤独にした。
恵子は、やすおが抱えている「空白」に気づいていない。あるいは、気づかない振りをしている。彼女は、停滞という名の安定の中で、平穏に老いていくことを受け入れているのだ。
その夜、恵子が先に寝室へ消えた後、やすおはリビングのソファで一人、暗闇の中に座っていた。
テレビの主電源が、カチリと音を立てて落ちる。窓の外では、夜の街が静かに息づいていた。どこか遠くで、サイレンの音が空気を切り裂く。それは、ここではないどこかへ向かう誰かの、切実な叫びのようにも聞こえた。
ふと、部屋の隅に置かれたままの健康器具に目が止まった。一年前、体を鍛えようと思い立って買ったものの、二週間と持たずに物置代わりになっていた腹筋ローラー。積もった埃が、月光を浴びて白く光っている。
やすおは立ち上がり、そのローラーを手に取った。
手のひらに伝わる、冷たいゴムの感触。指先に力を込めると、ひび割れたグリップが不快な軋み声を上げた。
(特別に、なりたい)
頭の中に、ラジオで聞いた佐野選手の歓声が蘇る。SNSで見た、世界を股にかける友人たちの輝きが、網膜に焼き付いて離れない。
このままここにいたら、自分という存在は、この芳香剤の匂いのように、いつの間にか誰にも気づかれずに消えてしまう。
凡庸な人生。凡庸な彼女。凡庸な悩み。
それら全てを、一度、根底から破壊してみたかった。自分がまだ、この手で何かを掴み取れる人間なのだと、証明したかった。
「……変えなきゃ」
誰にともなく呟いた言葉が、静まり返った部屋に落ちた。
やすおは、埃を被ったローラーを床に置いた。膝を着き、グリップを握りしめる。背筋が強張り、筋肉が鈍い拒否反応を示す。それでも、彼は重い体を前へと押し出した。
喉の奥が熱くなる。心臓の鼓動が、今までになく速く、激しく、肋骨の裏側を叩いた。
翌朝、やすおはいつもより三十分早く家を出た。
助手席に置かれたビジネスバッグの中に、昨日までは入っていなかった一冊のノートが忍ばせてある。「自分を変えるためのリスト」と一番上に書き込まれた、まだ真っ白なページが多いノート。
車のエンジンをかける。振動がシートを通じて全身に伝わる。
信号待ちの交差点。やすおは、いつもの国道へ向かう左折のレーンではなく、これまで一度も通ったことのない、細い脇道へとハンドルを切った。
見慣れない風景が、フロントガラスの中へ流れ込んでくる。古い民家の生垣、まだ開店前の小さなパン屋、色褪せた看板。
それらは相変わらず平凡な景色でしかなかったが、アクセルを踏むやすおの右足には、これまでにない確かな重みがあった。
俺は、ここから抜け出す。
誰のものでもない、「特別な男」としての人生を歩むために。
バックミラーに映る自分の瞳は、まだ眠気を含みながらも、かすかな光を宿していた。その視線の先にあるはずの未来が、どれほど険しく、あるいは滑稽なものであるか、今の彼はまだ知る由もなかった。
Son Bölümler
元の生活に戻るだけなのだと、簡単に考えていた。
嵐のような数週間が過ぎ去り、熱に浮かされたような全能感が引いてみれば、あとに残ったのはいつもと同じ、代わり映えのしない
会場を離れ、人通りのまばらな住宅街へと足を踏み入れる。背後で遠ざかる都会の喧騒が、今はどこか異国の出来事のように空々しい。アスファルトを叩く革靴の音が、街灯の下で硬く、寂し
シャンパングラスの中で弾ける気泡が、天井のシャンデリアを受けて無数の刺すような光を放っている。その光のひとつひとつが、
風呂上がりの鏡は、残酷なまでに真実を映し出す。
浴室の湿り気を帯びた空気の中で、やすおは自分の腹部を手のひらで押しつぶした。指の間から溢れる、柔らかく弾力のない肉。そ







