Özet
たった5分のスキマ時間が、未知の世界への扉に変わる。
SF、現代ドラマ、コメディ、ホラー、泣ける話まで、あらゆるジャンルを凝縮した100の短い物語。
通勤電車でも寝る前でも、ページをめくれば一瞬で日常を脱出できる。
笑って、ゾッとして、最後には予想もしない結末が待っている。
あなたのお気に入りの「1本」が必ず見つかる……かもしれない。
Bölüm1

液晶画面の右隅が、三秒周期で細かくぶれる。
安物の個人用端末(デバイス)から発せられる微弱なノイズが、レンの鼓膜を小さく刺激し続けていた。画面の奥で動くアバターは、テクスチャの境界線がガタガタにささくれている。無料配布の初期スキン。泥を薄めたような灰色。
「おい、レン。また処理落ちしてんぞ」
教室の向こう側から、軽い笑い声が飛んできた。
声の主はクラスメイトのタクミ。彼の身にまとうアバターは、細部まで精緻に作り込まれた限定仕様のモデルだった。髪の毛の一本一本が風に揺れ、肌は濡れたような光沢を放っている。親の経済力で買い与えられた、特級スキン。教育パッチも最新版が適用されているらしく、立ち居振る舞いの一つ一つに無駄がない。
レンは指先を動かし、視界の端に浮かぶ警告ウィンドウを消した。
『メモリ不足:グラフィック出力を制限します』
いつもこれだ。
親のランクが子供の初期値を決定する社会。レンの父親は三年前に事業を潰し、今はしけた日雇いの労働データを右から左へ流すだけの生活を送っている。母親はとうに家を出た。残されたのは、築四十年の湿ったアパートと、錆びついた回線契約だけ。
「初期スペックがこれじゃ、何をやっても無駄だよな」
タクミの取り巻きが同調する。彼らのアバターもまた、滑らかなモーションで相槌を打つ。その洗練された動き自体が、レンの安アパートの家賃数ヶ月分に相当するパッチの成果だった。
レンは無言のまま、端末の電源を切った。
暗転した画面に、自分の薄汚れた顔が映る。十六歳の、何の変哲もない、疲れ切った少年の顔。
夕暮れのアパートは、いつも同じ匂いがする。
油の古い匂いと、壁の裏で湿ったカビの気配。レンは玄関に靴を脱ぎ散らかし、六畳間の隅にある机に向かった。椅子は座面が破れ、中の黄色いウレタンが顔を出している。
キーボードの「D」のキーは、爪楊枝を挟まなければ押し込まれたまま戻らない。
レンは慣れた手つきでシステムを立ち上げ、ネットの裏通りにある匿名掲示板を開いた。画面には、同じような境遇の者たちが吐き出した言葉が、淀みのように溜まっている。
『親ガチャのハズレ枠、本日も生存報告』
『初期アバターの解像度が低すぎて就職面接で弾かれた』
『親の口座残高と連動するステータスシステムを破壊したい』
レンは「D」のキーを強く叩き、書き込みを始めた。
「親の遺伝子デバッグ機能があればいいのに。バグだらけの親から生まれたソースコードは、最初からコンパイルエラーだ」
送信ボタンを押す。
書き込むだけでは、腹の虫は収まらない。レンはエディタを開き、数日前から書き進めているプログラムのコードを呼び出した。
作ったのは、簡単なスクリプト。
ネット上に散らばる「親に対する愚痴」や「社会への呪詛」をクローリングし、マルコフ連鎖を用いて無限に『リアルな親の愚痴』を自動生成するツールだった。ボタンを一つ押すだけで、哀れで、惨めで、しかしどこか滑稽な親たちの言い訳が、画面を埋め尽くす。
「どうせ、俺にできるのはこの程度の嫌がらせだ」
自動生成されたテキストが、凄まじい速度で流れていく。
『お前のためを思って言っているんだ』
『俺の若い頃はもっと厳しかった』
『これだけ育ててやったのに、その態度は何だ』
出力される言葉の数々を見つめていると、胸の奥が冷たく強張る。それは、毎日のように狭いリビングで父親から聞かされる言葉そのものだった。
レンはツールのコードを共有サイトの隅に放り込み、端末の電源を落とした。
翌日の放課後。
レンの端末に、見慣れない金色の封筒のアイコンが届いた。
スパムメールだと思い、削除しようとして指が止まる。送信元のドメインには、この国で知らない者はいない総合IT企業『ネクスト・ジェネシス』の名が刻まれていた。
差出人は、最高経営責任者のシドウ。
「悪質な悪戯か」
呟きながらも、レンは添付されていたリンクをタップした。
画面が切り替わり、真っ白な背景の中にシンプルなテキストが表示される。
『君が作った自動生成スクリプトを見た。今日の十九時、本社の最上階へ来られたし』
住所と、一回限りの電子通行証が添付されていた。
ネクスト・ジェネシスの本社ビルは、街の中心部にそびえ立つガラスの塔だった。
ロビーに足を踏み入れた瞬間、レンの足元で自動センサーが作動した。床のスキャナーが彼の安物アバターを検知し、微かに電子音が鳴る。周囲を行き交うエリートたちのスキンは、どれも陽光を反射して眩しい。
エレベーターは、重力を感じさせない速度でレンを最上階へと運んだ。
扉が開いた先は、壁一面がガラス張りの広いオフィスだった。街の夜景が、眼下に光の海となって広がっている。
「よく来たな」
部屋の奥、ガラス窓を背にして立っていた男が振り返った。
シドウ。
メディアで見る姿よりも、実物は細身に見える。彼のアバターは極限まで無駄が削ぎ落とされ、現実の人間よりも人間らしく見えた。
「君のツールを見た」
シドウはデスクの上の空間を指先で払った。レンが作ったプログラムのソースコードが、空中に青く浮かび上がる。
「実に見事なスパゲッティコードだ。至る所にエラー回避のツギハギがあり、お世辞にも美しいとは言えない」
レンは奥歯を噛み締めた。やはり、馬鹿にされるために呼ばれたのだと、踵を返そうとした。
「だが」
シドウの声が、レンの背中に突き刺さる。
「このツギハギは、徹底的な現場主義の賜物だ。環境の悪いマシンで、メモリの制限と戦いながら、それでも『動かす』ために書かれている。綺麗に整備された開発環境で育った温室育ちのプログラマーには、逆立ちしても書けないコードだよ」
シドウが歩み寄り、レンの前に立った。
「この自動生成ツールが吐き出す言葉には、本物の『毒』がある。ネット上のゴミのようなデータから、人間の最も醜く、最も生々しい感情だけを抽出している。これは仕様書からは絶対に生まれない。君のハングリー精神と、最悪な環境という名のバグがもたらした奇跡だ」
シドウの指先が動き、空中に一枚の電子契約書が現れた。
『特別研修生契約書』
月額の報酬額の欄には、レンの父親が一年かけて稼ぐよりも多い数字が並んでいた。
「親から譲り受けた高級アバターで、用意されたレールを走るだけの奴らに用はない」
シドウはそう言って、契約書をレンの目の前までスライドさせた。
「うちの開発部門には、泥水の中からしか見つけられないバグを欲しているプロジェクトがある。どうする? そのボロいデバイスを使い続けるか、それとも我が社のリソースを食い潰して、世界を書き換えるか」
レンは差し出された光る契約書を見つめた。
自分の指先を見る。
爪の間に残る、安アパートの油汚れ。擦り切れた袖口。
視線を上げ、シドウの目をまっすぐに見据える。
「俺の環境は最悪だった」
レンは人差し指を伸ばし、契約書のサイン欄に触れた。
指先が熱を帯びる。
「でも、このバグだらけの初期スペックから、誰も追いつけないチートキャラを作ってやる」
サインが確定し、契約書が光の粒子となってレンの体に吸い込まれていく。
ビルの外に出ると、冷たい夜風がレンの頬を叩いた。
見上げる空は相変わらず狭く、煤けている。だが、視界の端で明滅していた警告ウィンドウは、もう消えていた。
レンはポケットの中で、古びた端末を強く握りしめた。
暗闇の中に、新しいコードの走る音が聞こえた気がした。
Son Bölümler
世界は、モノクロームの静寂に沈んでいた。
灰色の空。灰色のビル。灰色の人影。
視神経に埋め込まれた管理チップ「アイ・システム」は、脳が受け取る情報を
放課後の教室は、西陽が差し込んで床の埃を金色に照らし出し、奇妙なほど静かだった。チョークの乾いた匂いと、ワックスの微かな光沢が、まるで時間が止まった聖域であるかのように錯覚させる。
カタン、と頼りない音を立ててドアが閉まる。蛍光灯のスイッチを押すと、白い光がワンルームの殺風景な城を照らし出した。ただいま、と誰に言うでもなく呟く声は、がらんとした空間に吸い込まれて虚しく消える
ハヤシは、どこにでもいるしがない大学生だった。それも、友人たちとの華やかな交流とは縁遠い、いわゆるオタク系の男である。
四畳半の部屋はいつも薄暗く、世界のすべて







