説明
剣道家の佐藤麗子が学園の道場で事件に巻き込まれる。学園ドラマ
エピソード1
――道場の古い廊下は、夕陽を浴びて赤く焦げていた。
佐藤麗子は胴着の胸紐を指で引き直しながら、ゆっくり歩く。木の床が足の裏に微かに沈み、昔ながらのヤニと汗の匂いが立ち込める。前任の教師が“行方不明”になってから半月。誰も口にしないが、廊下の隅に新しい爪痕が増えているのを彼女は見逃さなかった。
「佐藤先生、すみません、放課後に道場まで来てもらえませんか」
呼び出した女子生徒の声は、昼休みの喧騒に紛れて消えかけた。麗子は「いいよ、何でも相談に乗る」と答えたが、胸の奥に小さなとげが残った。同じ母校の後輩にしては、瞳の奥が濡れすぎている。
――カツ、カツ、カツ。
自分の下駄の音だけが耳につく。剣道部の顧問に就任してまだ一ヶ月。生徒たちは親しみやすい先生だと言うが、彼女自身は“馴れ合い”を嫌っている。オリンピック候補だった頃、コーチは「お前の竹刀は笑顔で相手を殺す刀だ」と罵った。試合の後など、笑顔のまま相手の肋骨にヒビを入れたこともある。
ドアの前に立つ。古い欅の一枚板、真ん中に無骨な鉄の引き手。
――おかしい。中に明かりが点いている。
彼女は息を抜き、襷を締め直した。指先が少し冷える。
「入るよ」
声をかけ、静かに引く。
熱い空気が顔を打った。
薄暗い道場の真ん中、畳の上に這い蹲る女子生徒がいた。
口に猿ぐつわ、手を後ろで縛られ、制服のスカートが捲れて太ももが露わになっている。
そして――三人の男子生徒。
一人はリーダー格らしい、髪を金に染めた大柄な三年生。
残り二人は左右に立ち、竹刀を逆手に持って出口を塞いでいる。
「やあ、先生、お待ちしてました」
金髪がニヤリと笑った。声は上ずっているが、手は揺れない。
猿ぐつわの女子生徒が「ん、んっ!」と必死に首を振る。涙が畳に染み、黒い染みを作る。
麗子は一度、大きく瞬きをした。
「……放してあげなさい」
低い声で告げる。足は自然に八の字、右手が竹刀の柄に伸びる。
「勝負だよ、先生。一本取られたらこの子を解放してやる。でも――」
金髪が顎をしゃくる。残り二人が一歩詰める。
「もし先生が一本取られたら、ここにいる全員が先生のこと、好きにしていい。どう?」
――まずい。
彼女は素早く視線を這わせる。出口は塞がれ、窓は高く、外はバスケ部の歓声が遠く響く。
女子生徒の目が絶望で濁る。
「……分かった。勝負を受ける」
麗子は左手で袴の裾を捌き、竹刀を抜き払う。
空気が唸った。
金髪が「面白い!」と叫び、竹刀を構える。
――初動は速い。
だが、隙だらけ。
麗子は一歩踏み込み、竹刀を真っ直ぐ突き出した。
金髪の胴に鈍い音が響く。
「面!」と同時に、彼の踵が畳から浮く。
「一本!」
金髪は呻き、膝をついた。
――終わった。
麗子は女子生徒の縄に手を伸ばしかけた。
「……はは、はははは!」
金髪が顔を上げ、血の混じった唾を吐いた。
「先生、まだ終わらないよ」
ガチャリ、と背後で鍵が鳴る。
最後の一人が出入口に立ち、南京錠を外した鎖を手に振っている。
「ルール無用だ。残り二人で遊ばせてもらう」
――囲まれた。
左右に残る二人が、獣のように歯を剥く。
麗子はゆっくり息を吸い込んだ。
――舐められたもんだな。
その瞬間、彼女の瞳に冷たい炎が灯った。
古い道場の空気が、まるで水面のように揺れた。
「……行くぞ」
低く呟き、竹刀を握り直す。
金髪が「殺せ!」と叫んだ。
二人が跳びかかる。
――左の竹刀が肩口から降ってくる。
麗子は半身になり、それを流す。同時に右肘を相手の顎に打ち込んだ。
カキィン、という湿った音。
少年の顎が外れ、白い歯が三つ、口から飛び散る。
身体が仰向けにのけ反り、畳に叩きつけられた。
「がはっ!」
悲鳴が響く。
残る一人は怯んだが、竹刀を振りかぶった。
麗子は一歩踏み込み、竹刀を胴に振り抜く。
バキッ!
竹刀が腹にめり込み、少年の身体がくの字に折れる。
肋骨の何本かが鳴り、彼は泡を吹いて崩れ落ちた。
出入口の男が「ちくしょう!」と鎖を振り回しながら突進してくる。
麗子は竹刀を逆手に持ち、横薙ぎに払った。
ガツン!
鉄の鎖が竹刀に絡まる。
彼女は腰を落とし、相手の肘を蹴り上げる。
「ぎゃああ!」
男の手が変形し、鎖が畳に落ちて跳ねた。
彼はドアにすがりつこうとするが、麗子は竹刀を振り下ろした。
バキリ、と手の甲が潰れる。
男は蹲り、嗚咽を漏らす。
――静寂。
畳に広がる血の滴。
遠くで吹奏楽部のチューバが低く鳴っている。
麗子は三人を見回し、竹刀の先を床についた。
「……座れ」
三人は震えながら正座を組んだ。
顎の外れた少年は涎を垂らし、肋骨の折れた少年は呼吸も荒い。
麗子はゆっくり歩み寄り、竹刀を彼らの鼻先に突きつける。
「次はない。殺すぞ」
金髪が額を畳にすりつけた。
「ご、ごめんなさい!許してください!」
残り二人も続く。
「これからは私がおまえらを指導してやる」
麗子は静かに告げた。
「逃げようとしたら、本当に折る。覚えておけ」
三人は涙と鼻水で畳を濡らしながら、何度も頭を下げた。
彼女は女子生徒の縄を解き、肩を抱いた。
「もう大丈夫。泣かないで」
女子生徒は声を上げて泣き崩れた。
窓の外、夕陽が完全に落ち、薄青い闇が道場を包む。
佐藤麗子は血の付いた竹刀を肩に担ぎ、静かに宣言した。
「――これから、この学園のルールは私が作る」
その夜から、三人の男子生徒は“女帝”の影として、廊下の隅で正座を組むようになった。
誰も口にはしないが、爪痕は増えなくなった。
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翌朝、校門のブザーが鳴る五分前、理事長の娘・岬玲奈は自宅のドアを蹴るように出た。いつもなら朝の挨拶くらいするものの、今朝はそんな余裕がない。スマホの画面を落としてもまたすぐに確認
――旧校舎・三階廊下、夜の九時三分。
蛍光灯が一本だけ点いた踊り場に、佐藤麗子は立っていた。黒の剣道胴着を着込み、紺帯は腰を締め付けるだけの余裕
――夜七時。
佐藤麗子のアパートは古い木造二階建ての角部屋だった。畳の色がくすみ、天井の蛍光灯だけが白々と照らす。エアコンはフィルターが詰まって
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