개요
ひょんなことからスライムが生まれた。
ブラックヴァルキリー・カーラは驚く。
一体どうなってしまうのか!
장1
冷気と甘露は、腹の中で容易に牙を剥く。
氷菓子を収めていた薄紙の容器が、卓の上で幾つも折り重なり、ぬるい午後の光を浴びてしおれていた。かつて神々の戦場を駆け、死者の魂を導いていた黒き翼の乙女は、いま、寝台の端に腰掛けて自らの下腹部を抱え込んでいる。
指先がじっとりと冷たい。額の生え際ににじんだ汗が、一筋、こめかみを伝って顎のラインへと逃げていく。
「うう……。腹が、いや、これは……」
ブラックヴァルキリー・カーラは、ロングの銀白色の髪をくしゃりと掻きむしった。
痛みの波は情け容赦なく、二度、三度と寄せては返す。胃の腑のさらに奥、魔力を練り上げる器官のあたりが、凍りついた鉄の塊のように重く沈んでいた。下界の美味に胃袋を委ね、甘美な冷たさを貪り食ったことへの、これは紛れもない肉体からの抗議であった。
寝台から立ち上がろうとすると、腰のあたりに鋭い引き攣れが走る。
戦乙女の矜持など、この寄せては返す波の前には無力に等しい。漆黒の羽を少しだけ震わせながら、足元をふらつかせ、部屋の隅にある小さな扉へと向かう。公爵邸の回廊を歩く余裕すら、今の腹中には残されていなかった。
木製の扉が重々しく閉まり、錠が内側から降りる。
薄暗い室内に置かれた、白磁の魔導水洗便器。その冷ややかな座面に肌を寄せた瞬間、背筋に走る悪寒とともに、腹の底で溜まっていた熱が限界を迎えた。
外界の音は、厚い扉の向こうへと遮断されている。
ただ、自らの荒い呼吸と、陶器の冷たさだけが皮膚を通じて伝わってきた。
かつて天界の宮殿で聞いた厳かな竪琴の音色も、血の滴る戦場の雄叫びも、この狭い個室に漂う沈黙の前には消え去る。カーラは目をきつく閉じ、便器の縁を両手で掴んだ。指先が白くなるほどに力がこもる。
体内から、不要となったものが一気に押し出されていく。
それは単なる排泄という現象を超えていた。神聖なる戦乙女の体内で、過剰に摂取された霊気と、氷菓子の冷たい糖分、そして彼女自身の持つ漆黒の魔力が、暗い熱となって凝縮された塊。それが、肉体の最も卑近な出口を通じて、世界へと解放される瞬間であった。
じわじわと腹の圧迫感が薄れていく。
「……はあ」
吐き出した息は熱く、湿り気を帯びていた。額の汗を手の甲で拭い、ようやく息を整える。
便器の底、澄んだ水の中に落とされたそれは、しかし、通常の排泄物のような沈殿の仕方をしていなかった。
光を吸い込むような、深い藍色。半透明の粘体を揺らしながら、それは水底で丸みを帯びていく。
カーラは自らの腹が軽くなった爽快感に浸るあまり、背後の水たまりでうごめくものに目を向けることはなかった。ただ、一刻も早くこの無様な時間から逃れたいという思いだけが、彼女の足を動かす。
立ち上がり、衣服を整える。
そして、壁に取り付けられた真鍮のレバーを、躊躇なく押し下げた。
じょおおおおおおおっ、と。
魔導の力で吸い上げられた水が、勢いよく渦を巻き、白磁の器の中を洗い流していく。青い粘体はその渦に巻き込まれ、排水口の奥へと吸い込まれていった。
「ああ、すっきりした……」
額の汗をぬぐい、カーラは扉を開けて洗面所へと去っていった。自らが何を生み出したのか、その爪の先ほどの疑念も抱くことなく。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
暗い排水管の中は、魔力を含んだ排水が絶えず流れる水路であった。
渦に呑まれ、らせん状の闇を下っていく過程で、青い粘体は自らの輪郭をより強固なものへと再構築していった。
(……冷たい)
最初の思考が、暗闇の中で生まれた。
それは言葉というよりは、感覚の芽生えであった。四肢はなく、まだ目も耳もない。しかし、周囲の水の流れ、管の壁に触れる微小な魔力の振動を、全身の皮膚――粘体の表面すべてで感知していた。
(わたしは、流されている)
水路の奥へと押し流されながらも、粘体は自らの意志でその流れに抗い始めた。管の繋ぎ目に微かな突起を見つけ、そこに半透明の体の一部を押し付ける。
ずるり、と這い上がる。
重力に逆らい、湿った鉄と石の壁を登る動きは、生まれたばかりの生物にしては驚くほどに滑らかであった。それは、親である戦乙女から受け継いだ、強靭な生存本能の表れに他ならない。
(あの上には、光がある)
排水口の隙間から漏れ出る、わずかな光の束を目指し、青いスライムは自らの体を細長く伸ばしながら、ゆっくりと逆流していった。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
公爵邸の一角にある執務室では、書類の擦れる音と、羽ペンの走る乾いた音だけが響いていた。
窓から差し込む午後の光は、室内に浮遊する埃の粒を金色に染めている。
リディア=ド=フレージュは、机の上に広げられた領地の財務帳簿を前に、頬杖をついていた。茶色の長い髪が、肩から滑り落ちて机の端をかすめる。黒いタイトスカートの裾から伸びた脚を、退屈そうに貧乏ゆすりさせていた。
「ねえ、これ本当に今日中に終わらせなきゃダメかしら」
手にした羽ペンを指先で回しながら、リディアは隣の席で書類を整理しているフローラへと視線を向けた。
フローラ=ド=ステヴナンは、薄緑色の長い髪を丁寧に切りそろえた姫カットの頭を少しだけ傾け、黄金色の瞳でリディアを凝視した。
「リディア、家令の仕事は領地の血液を管理することです。滞れば、私たちの明日の食事も滞りますよ」
「分かってるんだけどさあ。カイアスにいた頃の荒仕事を思えば、こうして椅子に座ってられるだけでも天国なんだけど……」
リディアは机の上に突っ伏した。豊かな胸が帳簿の端を押し潰す。
「あの時は、毎日が食うか食われるかだったものね。ミハエル卿に拾われなかったら、今頃私たちはどうなっていたことか」
部屋の隅で、木製の剣の刃を磨いていたクロディーヌ=ド=ロアンが、静かに声を挟んだ。銀白色の髪が、窓からの光を反射して冷ややかに光る。深紅の瞳には、かつての貴族令嬢としての名残と、泥臭い何でも屋としての鋭さが同居していた。
「……んっ、この汚れ、なかなか落ちませんね。……まったく、贅沢な悩みを言うのはやめよーよ。あの荒野の飢えを忘れたわけではないでしょ」
「クロディーヌは真面目ねえ。まあ、そこがいいところなんだけど」
エミリエンヌ=ド=アレルが、水色の髪を揺らしながら、黄色のケープを羽織り直した。彼女は魔法と格闘を組み合わせた戦いを得意とするが、今はその俊敏な体を小さく丸め、ソファーの上で丸くなっている。
「でも、ヴァーレンスは平和すぎるのよ。冒険者ギルドの依頼なんて、ドブさらいか農家の手伝いばかり。私たちの出番なんて、そうそうないわ」
「いいじゃないの、平和なのは。私は海賊服のままでこうしてのんびりできるのが一番気に入ってるわ」
金髪を無造作に揺らし、黒い 海賊服を羽織ったカトリーヌ=ディ=ルパージュが、机の上に足を投げ出した。ブーツの踵が、古い木製の床を小さく鳴らす。
彼女たちの雑談が、ふと途切れた。
部屋の隅にある排水用の小穴――床の掃除をした際に水を流すための、鉄格子の隙間から、奇妙な音が聞こえてきたからだ。
にゅるり。
濡れた粘土が擦れ合うような、湿った音。
「……あら?」
フローラが最初に気づき、ペンを置いた。
鉄格子の隙間から、青く澄んだゼリー状の塊が、じわじわと這い出てきていた。それは自らの体を平たく伸ばし、格子をすり抜けると、床の上で再び丸い塊へと戻っていく。
大きさは、子どもの頭ほど。
半透明の体内には、微弱な光の粒子が明滅しており、不思議な清潔感すら漂っていた。
「スライム……? どうしてこんなところに」
リディアが身を乗り出し、タイトスカートが突っ張るのも構わずに床を見下ろした。
スライムは、床の上でぷるぷると身震いを一つすると、二つの気泡のような「眼」を形成し、室内の女たちを見上げた。
「……ふぅ。やっと出られた」
その体から、幼い子供のような、しかし妙に落ち着いた声が響いた。
「しゃ、喋った!?」
エミリエンヌがソファーから飛び起き、背中のアホ毛をピンと立たせた。
「スライムが言葉を使うなんて、魔導書にも載っていませんよ」
フローラが警戒の眼差しを向けつつ、指先に微かな風の魔力を宿らせる。
「待ちなさい、敵意はなさそうだわ」
クロディーヌが木剣を構えつつも、その動きを止めた。
スライムは床の上を滑るように動き、リディアの足元へと近づいていく。
「お腹が空いたな。何か食べるものはない?」
「食べるものって……あんた、一体どこから入ってきたのよ」
リディアが怪訝そうな顔をしながらも、腰のポーチから干し肉の切れ端を取り出し、スライムの前に落とした。
スライムは干し肉に触れると、瞬時にそれを体内に取り込み、包み込むようにして消化し始めた。青い粘体の中で、肉の繊維が徐々に溶けて消えていく。
「おいしい。でも、もっと甘いものがいい。冷たくて、甘いやつ」
「冷たくて甘い?」
カトリーヌが眉をひそめた。
「そんなもの、この屋敷じゃあの黒い鳥の姉ちゃんくらいしか常備してないだろ」
その時、執務室の重い扉が静かに開いた。
現れたのは、金髪の前髪を左目の上に垂らし、金色の唐草模様があしらわれた黒いコートをまとった男。
ミハエル=シュピーゲル=フォン=フリードリヒ公爵。
184センチメートルの長身が、扉の枠を塞ぐようにして立つ。その鋭い青い瞳が、床の上でぷるぷると揺れる青いスライムを捉えた。
「おや、騒がしいと思えば、珍客の来訪か」
ミハエルは歩み寄り、スライムの前で屈んだ。コートの裾が床に広がる。
「閣下、このスライム、言葉を話すのです。それに、この魔力の波長は……」
フローラが報告しようとするのを、ミハエルは手を挙げて制した。
男は細い指先を伸ばし、スライムの表面に軽く触れた。スライムは嫌がる様子もなく、彼の指に吸い付くようにして形を変える。
「ふむ。この波長、そして冷気と闇の混ざり合った残留魔力。実に興味深いな。創意工夫の余地がある」
ミハエルは口元に薄い笑みを浮かべた。
「これは、我が家に居候しているあの『元戦乙女』の、少々不名誉な副産物だ。この霊気カーラのだもん」
「え?」
リディアが声を上げた。
「それって、どういう……」
「カーラが先ほど、腹を下して魔導トイレへ駆け込んでいたのを見かけてね。彼女の体内には、天界の霊気と下界の不純物――特に大量の氷菓子が蓄積されていた。それが彼女の持つ漆黒の魔力と混ざり合い、体外へ放出される過程で、新たな生命の核として結実したのだろう。つまり――」
ミハエルはスライムを見つめ、淡々と言い放った。
「彼女の排泄物が、この国の高い魔導環境と融合し、知性を持ったスライムに進化したのだ。う○こスライムだ。浄化の能力生まれつき持ってるみたいだから、大腸菌とかそんな心配はしなくていいみたいだがな」
室内が、一瞬にして凍りついたような静寂に包まれた。
「……汚っ!?」
エミリエンヌが叫び、思わず数歩後退した。
「いえ、魔力的な観点から見れば、非常に純度の高い魔導生命体ですが……その、誕生の経緯が少々……」
フローラが複雑な表情で口元を押さえる。
「……なぜあなたは、そのようなことを平然と言うのですか」
クロディーヌは顔をわずかに赤らめ、ミハエルから視線を逸らした。
「でも、可愛いじゃない」
リディアはスライムを見つめ直した。
「カーラから生まれたってことは、彼女が母親ってことかしら?」
「そうなるな。本人がそれを認めるかどうかは別だが」
ミハエルは立ち上がり、スライムを手のひらに乗せた。スライムは彼の掌の上で、心地よさそうに平たくなっている。
「さて、当事者を呼んで話し合うとしよう。親としての責任というものをな」
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
数分後、腹痛が治まってすっきりした顔をしたカーラが、執務室へと呼び出された。
彼女は部屋に入るなり、室内の妙に重苦しい空気に眉をひそめた。
「何の用だ、ミハエル。わたしは今、非常に気分が良いのだ。あの忌々しい腹の苦痛から解放されてな」
カーラは黒い甲冑の胸を張り、黄金の目でミハエルを見つめた。
「ああ、それは良かった。だが、君が残していった『忘れ物』について、少々説明が必要なんだよ。鳥なのに卵で産まなかったか」
ミハエルは卓の上を指差した。
そこには、陶器のお皿の上に乗せられた、青いスライムがいた。
「うん? スライムか? 我が領地の防衛用か何かか?」
「違うよ、お母さん」
スライムが、澄んだ声で言った。
カーラの動きが、ピシリと止まった。その黄金の目が、限界まで見開かれる。
「……お、お母さん、だと? 誰がだ」
「おまえぢゃ。わたしはあなたの体内から生まれ、あの水洗式の水路を通ってここへ来た。あなたの魔力と、甘い冷たさの記憶をしっかりと引き継いでいる」
スライムは皿の上で、カーラの羽を模したような、小さな突起を左右に形成してみせた。
「なっ……ななななっ……!」
カーラは顔を真っ赤に染め、背中の黒い翼を大きく広げて威嚇するように羽ばたかせた。風圧で卓の上の書類が舞い上がる。
「馬鹿なことを言うな! わたしは清らかなる戦乙女! このような粘土質の生命体を産んだ覚えなどない!」
「でも、タイミング的にも魔力の質的にも、君以外にあり得ないよー、カーラ」
ミハエルは舞い上がった書類を魔法で静かに卓へと戻しながら、楽しげに言った。
「君がトイレで出した『あれ』が、魔導トイレの活性水と混ざり合い、奇跡的な変異を遂げた。誇るべきことじゃないか。君の排泄物は、世界で唯一の知性生命体を生み出す力を持っているということだ」
「誇れるか、そのようなこと!」
カーラは叫び、リディアたちの顔を見た。
リディアは同情と、わずかな笑いを堪えた表情で目をそらした。
「まあ、カーラ。男の私でも、自分の子供がスライムだったら、最初は戸惑うと思うわ。でも、生きている以上、育ててあげなきゃ」
「育てるだと!? わたしがこれをか!?」
「……んっ、カーラ様、逃げてはいけません。母としての義務を果たすのです」
クロディーヌが、真剣な顔で言った。その真面目さが、かえってカーラを追い詰めていく。
「違う! これは、その、事故だ! わたしはお腹が痛くて、ただ……!」
「お腹が空いた。お母さん、冷たくて甘いものをちょうだい」
スライムが、皿の上でぷるぷると揺れながら、懇願するように言った。
その姿は、かつてカーラ自身が、下界の屋敷でミハエルに料理をねだっていた時の様子に、どこか酷似していた。
「……っ」
カーラは言葉を失った。
自らの血肉(あるいは排泄物)から生まれたという事実が、その貪欲な食欲を通じて、確かなリアリティを持って彼女の胸に迫ってきたからだ。
「よし、では名前を決めよう」
ミハエルが提案した。
「名前……?」
カーラは力なく呟いた。
「そうだ。君の不名誉から生まれ、しかし我が領地に新たな風をもたらすであろうこの生命体に、ふさわしい名前を。創意工夫の第一歩だ」
ミハエルはスライムを見つめ、静かに微笑んだ。
「名は――『シロップ』。氷菓子の甘みから生まれ、粘り強く生き抜く者、という意味だ」
「シロップ……」
スライムは、その名前を反唱するように身を震わせた。
「いい名前だ。気に入ったよ、お父さん」
「おい、なぜミハエルがお父さんになるのだ! わたしはこいつの親切に思いっきり甘えて部屋を独占しているが夫婦になった覚えはないぞ! ただ単に家を占領して毎日食べ物を貰っているだけで夫婦の営みなんかもした事ないぞ!」
カーラが鋭く突っ込んだ。
「神経ずぶとっ!」
ミハエルが突っ込む。
「彼が名付け親だからね。それに、お母さんを養っているのはこの人だから、実質的にお父さんだろう?」
スライムの理路整然とした反論に、室内の全員が納得の表情を浮かべた。
「なるほど、一理あるわね」
リディアが深く頷く。
「……なぜか、妙に納得してしまいます」
フローラも同意した。
「わたしは認めん……認めんぞ……!」
カーラは頭を抱え、その場にしゃがみ込んだ。
漆黒の翼が、彼女の体を包み込むようにして閉じられる。その姿は、かつて戦場で敗北を知らなかった乙女の、初めての、そして最も不名誉な「敗北」の瞬間であった。
窓の外では、ヴァーレンスの穏やかな風が吹き抜け、木々の葉を揺らしていた。
公爵邸の騒がしい午後は、新たな家族(?)の誕生とともに、ゆっくりと更けていく。
シロップと名付けられたスライムは、リディアが差し出した冷たい果汁のコップの中に嬉々として飛び込み、その体を鮮やかな茜色へと染めていった。
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あれから、ひと月が経った。
公爵邸の庭園に面した広いテラスは、近頃、妙な青い影に占領されることが多くなっていた。
水たまりが意思を持って膨れ上がったような、あるいは陽だ
冷気と甘露は、腹の中で容易に牙を剥く。
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