Ringkasan
泳ぎたい。めっちゃ泳ぎたい。
お題チャレンジ #16:夏の学園生活を過ごす
Bab1
蝉が鳴き始めた。
朝の登校路、それは毎年決まって五時半ごろに窓の外で始まる無礼なアラームだ。まだ眠い目をこすりながら布団を蹴ると、湿った空気がすぐに肌に張り付いてくる。六月後半ってのはこう、夏の入り口で立ち往生してる時期なんだよな。カレンダーにはまだ「夏休み」って文字が遠いし、それでも体温を越える気温が毎日のように叩きつけてくる。
今朝もそうだ。
制服が背中に貼り付いて気持ち悪い。歩くたびに、脇の下や膝の裏で汗がじわじわと滲んでくるのがわかる。電車の中はもう地獄で、窓際の席に座ったおっさんの脇汗の匂いと、隣に立ってた女子高生の制汗スプレーの香りが入り混じって、何とも言えない瘴気を作り出してた。乗り換えのホームでは、スーツ姿のサラリーマンがハンカチで顔を拭きながらぼやいてるのが聞こえた。
「早くもう梅雨明けしちゃったかなあ」
誰も否定しなかった。それが答えみたいなもんだ。
校門をくぐる段階で、もう俺は機嫌を損ねきっていた。教室に着く前からシャツは汗で透けてるし、背中が冷えたり暑くなったりで気持ち悪い。カバンを机に放り投げて、窓際の席に座る。窓を全開にしても入ってくるのは熱風だけで、黒板に書かれた「テスト範囲」の文字が歪んで見えた気がした。
昼休みのチャイムが鳴るまで、時間はのろのろと進んだ。
俺の席は教室の後方、窓から二列目という絶妙なロケーションだ。昼食はいつものパンと牛乳。隣の席の山田がそのパンをちらりと見て、鼻を鳴らした。
「またメロンパンかよ」
「お前が買えよ」
「高いんだよ、メロンパン」
山田は自分のきざみソーセージのパンをかじりながら、窓の外を見上げた。青空が燦燦と広がってて、その眩しさに眉根を寄せる。
「暑くねえか」
「うるせえ、そういうこと言うな」
「だって暑いじゃん。今年おかしくねえ?梅雨明けてないのにこんな暑いの」
俺もパンを齧りながら外を見た。校庭の向こう、プールの棟が見える。白い波型の屋根が青空に浮かんでて、閉鎖されてることが一目でわかる。窓が全部閉まってて、入り口のシャッターも下りてる。プールの水はまだ溜まってないんだろうな。
ふと、想像が膨らんだ。
青く澄んだ水。足先から浸ってくる冷たさ。水平線みたいに広がる水面に、太陽の光が反射してキラキラ揺れる。水の中に潜れば、暑さも忘れられる。肺いっぱいに空気を吸って、勢いよく飛び込めば——
「おい、聞いてんのか」
山田が肘で小突いてきた。
「ん?」
「来週末、暇?」
質問の意味を咀嚼するのに数秒かかった。来週末、つまり土曜日か日曜日のどっちか。あるいは両方。今週は期末テストの範囲発表があったばかりで、来週は小テストが二つ。でもその次の週は体育の補講があるはずで、その次が——
「暇だよ」
「じゃあプール行かねえか」
俺はパンを握る手を止めた。
「プール?」
「プール。泳ぐ。水の中に入る。わかる?」
「——行く」
返事が早すぎて、山田が一瞬引いた顔をした。
「お前、急に乗り気じゃねえか」
「別にいいだろ。行くって言ってるんだから」
実際、胸の奥がざわついてた。プール。水。冷たい。それだけの単語が頭の中をぐるぐる回って、朝からの鬱陶しさが嘘みたいに吹き飛んだ。机に突っ伏して、山田の顔を覗き込んだ。
「誰呼ぶ?」
「え、他にも呼ぶの?」
「男だけじゃないか。お前、女呼べよ」
「呼べねえよ、急に」
山田が苦笑いを浮かべた。そうだよな、急に「来週プール行かない?」なんて女子に言われたら、普通は警戒する。何の冗談かと思う。いや、そもそも呼ぶ相手がいるかどうか。
「じゃあ男四人でいいか。佐藤と高橋も誘うわ」
「佐藤はスイカ割りで有名だぞ」
「スイカ割り?」
「去年の夏、海の家でスイカ割りして大暴れしてた。警察来る寸前だった」
「——覚えてる、あれ」
山田が遠い目をした。俺も覚えてる。佐藤がブラインドfoldしたままスイカを探して、代々木公園のトイレの看板を壊した事件だ。賠償金で夏の小遣いが全部消えたと嘆いてた。
「高橋は泳げんのか?」
「平泳ぎなら。あいつ背泳ぎすると沈む」
「ぜんぶ沈むだろ、背泳ぎって」
「いや、高橋は特に。真っ直ぐ沈む。鉛みたいに」
それは見てみたい気もした。
会話が盛り上がってきた。山田が席を立って、教室の前方にいた佐藤を呼びに行った。佐藤は弁当を食べ終わったばかりで、箸をくわえたままこっちに歩いてくる。後ろから高橋もついてきた。四人が俺の机を囲む形になった。
「プール?」
「プールだ」
「来週?」
「来週の土曜」
佐藤が箸をポケットに突っ込んで、腕を組んだ。
「どこのプール?」
核心の質問だ。選択肢はいくつかある。町の公園プールは安いが混んでる。近所のスポーツセンターは空いてるが高い。都内の大きなプールだと電車賃もかかるし、時間もかかる。
「埼玉のプールなんかどうだ」
高橋が小さく手を挙げた。
「遠くね?」
「でも空いてるらしいぞ。去年行った先輩が言ってた」
「お前、先輩とプール行ったのか」
「別に、偶然会っただけ」
「埼玉まで偶然かよ」
無視して、山田が話を進めた。
「埼玉なら川越のプールとか?あそこ滑り台あるぞ」
「滑り台?」
「ウォータースライダー、ウォータースライダー」
佐藤が指を鳴らした。
「あれ楽しいよな。去年行った時、高谷がビキニのお姉さん追いかけて滑り台の出口で待ち構えてたらしいじゃん」
「高谷ってあの高谷か?」
「そう、あの高谷」
「アイツ相変わらずだな」
会話が脱線する。いつものことだ。男子の集まりってのは、最初の五分で話題が三回は変わる。プールから高谷のエピソードに移り、そこから去年の林間学校の話、さらに先月のクラス替えの話へと枝葉が伸びていく。
俺は時計をちらりと見た。昼休みはまだ半分ある。
「おい、戻そう」
「ん?」
「プールの話」
山田が笑った。
「お前、急に熱心じゃん」
「別に。計画を立てねえと行けねえだろ」
「計画?」
「何時に集合するかとか、昼飯どうするかとか」
山田と佐藤が顔を見合わせた。高橋は制服のポケットに手を突っ込んで、天井を見上げてる。どいつもこいつも、考えてなかった顔だ。
「とりあえず朝イチでいいんじゃね」
「開園は九時だ。八時半には駅集合?」
「俺、朝弱いんだけど」
高橋が呟いた。
「朝弱いのは知ってる。だから八時半だ。普通なら九時とか言うとこだろ」
「優しいなあ」
「昼はどこで食う?」
佐藤が割って入った。
「プールの中にフードコートあるよ。チキンとかポテトとか」
「高くねえ?」
「高い。でも泳いで腹減ったら食いたくなるぞ」
「持ち込みは?」
「禁止だろ、普通」
「弁当持って行って外で食えばいいんじゃね」
「入園料払って外で食うのか」
「じゃあ朝メシ食いまくって、夜に豪勢にするか」
議論が交差する。意見が食い違うたびに、誰かが笑い声を上げて、誰かが文句を言う。机が軋んで、窓から入る風がノートのページをめくる。プールという単語が口に出るたびに、俺の体温が少しずつ下がっていく気がした。まだ水には触れてないのに、もう冷たい。
議論はしばらく続いた。
最終的に決まったのはこうだ。集合は駅の改札前、午前八時三十分。埼玉の川越プールを目指し、電車で向かう。昼食はプール内のフードコートで適当に。解散は閉園の午後五時。夜の予定は未定——ただし、帰りにゲーセンに寄る案が山田から出ていて、これは現地で判断ということになった。
「ゲーセンはプール帰りに汗かくだろ」
「うるせえ、プール帰りは汗かかねえ」
「かくよ。水分蒸発する時に熱奪われるから、かえって汗かくんだよ」
「理論武装すんな」
佐藤が時計を見て、腰を上げた。
「そろそろだな」
チャイムが鳴るまであと三分。四人はそれぞれの席に戻る。俺は窓際に座り直して、校庭を見下ろした。プールの棟は相変わらず静かに佇んでいたが、今はそれが来週には違う景色になることを知ってる。水が満ちて、人が集まって、騒音と水しぶきが上がる。それが目前に迫ってる。
前の席の山田が振り返った。
「なあ」
「ん?」
「お前、本当に楽しみにしてんな」
言われて、自分の顔に手をやった。妙に熱い。照れてるのか、単に室温が高いのか、区別がつかない。
「別に」
「顔赤いぞ」
「暑いんだよ」
「そうかあ」
山田は意味ありげな笑い方をして、前を向いた。チャイムが鳴る。教室に緊張が走る——というより、諦めの空気が満ちる。午後の授業が始まる。
担任の先生が入ってきて、黒板に「現代文」の文字を書いた。出席を取り、雑談を一巡させて、教科書のページを開く。俺も形だけはページを開いた。が、視線は窓の外へ向いてた。
青空だ。雲一つない。
プールの水はどんな色だろう。去年は緑がかった青だった気がする。それとも違うプールだったか。水の匂いは漂白剤のようでもあり、何とも言えない生臭さのようでもある。足先をつけた時の冷たさは、一瞬だけギンと来て、そのあとじわじわと体温を奪う。飛び込んだ瞬間、耳が水で塞がれる。外界の音が消えて、自分の鼓動だけがドクドクと響く。
——来週だ。
机に突っ伏して、目を閉じた。先生の話なんて声だけが遠くで流れてる。宣誓の時間になる。みんなが立ち上がる騒がしさを聞きながら、俺はそのまま動かなかった。
「起立」
班長の声がする。
「気をつけ」
足音が揃う。
「礼」
「ごきげんよう」
「着席」
椅子が床を軋ませる。
「では、教科書を開いて——」
先生の声が続く。が、俺にはもう届かない。頭の中では既に、水しぶきが上がってる。来週の土曜日、埼玉のプールで。四人で騒いで、泳いで、笑って、多分日焼けして帰ってくる。それがどんな一日になるかはまだわからない。でも、絶対に暑さは忘れられる。
教科書の余白に、無意識にペンを動かしてた。気づいた時、そこには「川越プール」と書かれてた。斜め上から山田が覗き込んできて、俺は慌てて手で隠した。山田は何も言わなかった。ただ、口角がゆるんだのが見えた。
窓の外、プールの棟が眩く光ってた。まだ誰も入ってない、静かなプールが。来週には違う世界になる。
俺はそっと、もう一度だけその文字を眺めた。
川越プール。
高校最後の夏が、そこから始まる。
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