午前3時のロスト・モール
Synopsis
深夜のショッピングモールで、世界は止まった。
平凡な高校生・レンが忘れ物を取りに訪れたモールは、気づけば誰もいない異界へと変貌していた。時計は午前三時を指したまま動かず、出口はすべて閉ざされている。
そこでレンは、クラスに転校してきた謎の美少女・アキと出会う。
彼女は「禁区」と呼ばれる異界を狩る一族の末裔だった。
禁区とは、人々の未練や憎しみが積み重なって生まれる、現実から切り離された閉鎖空間。そして夜明けまでに脱出できなければ、人は存在そのものを失ってしまう。
脱出の鍵となるのは、禁区の中心に存在する「コア」。
しかし、その禁区にはレンが密かに想いを寄せていたクラスメイト・シオリが囚われていた。
消えた少女。
三年前の謎の転落死。
忘れ去られた姉の存在。
そしてショッピングモールの地下に隠された、誰も知らない真実。
レンは禁区を巡る謎を追ううちに、シオリの悲しみだけでは説明できない巨大な秘密へと辿り着く。
それは、アキの一族が何百年にもわたって続けてきた禁忌だった。
犠牲となった魂で怨念を封じる「禁区」。
忘れられた死者たち。
繰り返される封印。
そして、その果てに待つ選択。
人を犠牲にして世界を守るのか。
それとも誰一人見捨てないという不可能な理想を信じるのか。
午前三時の閉ざされたモールで、少年は答えを選ぶ。
これは、忘れられた少女の心臓を探す物語。
そして、世界のどこかに残された「禁区」を終わらせるために出会った、ひとりの少年とひとりの少女の最初の事件である。
Chapitre1
その異変に気づいたのは、モールの自動ドアをくぐった直後だった。
静かすぎる。
レンは思わず立ち止まった。
平日の夜とはいえ、ここは市内でも有数の大型ショッピングモールだ。二十二時近くになれば人は減るが、それでも完全な無人になることはない。
どこかの店舗から流れるBGM。
遠くで響く店員の声。
エスカレーターの駆動音。
買い物客の話し声。
本来なら耳に入ってくるはずの雑音が、ひとつも聞こえなかった。
まるで世界から音だけが切り取られてしまったようだった。
「……なんだ?」
独り言さえ妙に大きく聞こえる。
レンはスマートフォンを取り出し、時刻を確認した。
午後十時十三分。
表示は正常だ。
だが違和感は消えない。
ガラス張りの吹き抜け広場にも人影がない。
閉店準備をしている店員の姿すら見当たらなかった。
それでも、目的はすぐそこだった。
忘れ物を取って帰るだけ。
それだけの話だ。
レンは自分にそう言い聞かせると、エスカレーターへ向かった。
数分後。
二階の学習スペースにある机の上で、目的の本を見つけた。
図書委員のシオリから借りていた小説だった。
数日前から学校を休んでいる彼女に返そうと思っていたのに、うっかり置き忘れてしまっていたのである。
「よかった……」
本を鞄へしまい、肩の力を抜く。
これで帰れる。
そう思った瞬間だった。
カチリ。
どこかで時計が鳴った。
その音は妙に大きく、静まり返ったモール全体へ響き渡った。
レンは反射的に顔を上げる。
吹き抜け広場の巨大な壁掛け時計。
その長針と短針が、ぴたりと重なっていた。
午前三時。
そして秒針は動いていなかった。
「……は?」
思わず声が漏れる。
さっきスマホで確認した時刻は十時過ぎだったはずだ。
見間違えるはずがない。
だが時計は確かに午前三時を示している。
しかも。
秒針が止まっている。
故障だろうか。
そう考えながらスマートフォンを見たレンは、息を呑んだ。
画面上の時刻も。
午前三時〇〇分。
になっていた。
「なんだよ……これ」
電波表示は圏外。
再読み込みを繰り返しても繋がらない。
嫌な汗が背中を伝う。
レンは早足でエスカレーターへ向かった。
帰ろう。
とにかく帰ろう。
一階へ降り、正面入口へ向かう。
だが。
自動ドアの向こうには、鋼鉄製のシャッターが降りていた。
完全に。
隙間ひとつなく。
「嘘だろ……」
レンは駆け寄った。
叩く。
引く。
蹴る。
びくともしない。
非常口へ向かう。
閉まっている。
裏口へ向かう。
閉まっている。
搬入口へ向かう。
閉まっている。
すべての出口が封鎖されていた。
まるで最初から逃がすつもりなどないかのように。
心臓が嫌な音を立てる。
息が浅くなる。
落ち着け。
パニックになるな。
だが理性は急速に削られていった。
その時だった。
コツ。
足音が聞こえた。
レンは振り返る。
誰もいない。
長い通路の先には、閉ざされた店舗が並んでいるだけだった。
コツ。
再び。
今度ははっきり聞こえた。
婦人服売り場の奥からだ。
「誰かいるのか?」
返事はない。
だが足音は近づいてくる。
コツ。
コツ。
コツ。
規則正しく。
まるで人間のように。
やがて売り場の陰から現れたものを見て、レンは凍りついた。
白い脚だった。
マネキンの脚。
ただし、その上には何もない。
胴体も。
腕も。
頭も。
存在しない。
脚だけが歩いていた。
さらにその後ろから、無数の腕が這い出してくる。
マネキンの顔。
マネキンの指。
マネキンの胴体。
それらが溶けた蝋細工のように癒着し、一つの巨大な塊となっていた。
人間の形を真似ようとして失敗した何か。
そんな怪物だった。
レンの喉から声にならない悲鳴が漏れる。
怪物が動いた。
異様な速度だった。
逃げろ。
本能が叫ぶ。
だが足が動かない。
怪物が迫る。
白い腕が伸びる。
指先が顔に届こうとした、その瞬間。
銀色の閃光が闇を裂いた。
怪物の身体が斜めに滑る。
一拍遅れて、巨大な塊が崩れ落ちた。
床に散らばったマネキンの破片が乾いた音を立てる。
レンは呆然と顔を上げた。
一人の少女が立っていた。
長い黒髪。
夜を切り取ったような漆黒の衣装。
右手には、日本刀にも似た異様な剣。
刀身の奥で、赤黒い光が脈動している。
その姿を見た瞬間。
レンは目を見開いた。
「……アキ?」
同じクラスの転校生。
いつも教室の窓際で本を読んでいる、あの少女だった。
アキは怪物の残骸から視線を外さないまま言った。
「立てる?」
まるで日常会話のような口調だった。
「え……」
「急いで」
初めてレンへ視線が向く。
その瞳は驚くほど冷静だった。
「ここは安全じゃない」
そして少女は、さらに信じられない言葉を口にした。
「私たちはもう、現実の世界にはいない」
「私たちはもう、現実の世界にはいない」
レンは言葉の意味を理解できなかった。
「なにを言ってるんだ……?」
「説明は後」
アキは周囲へ鋭い視線を走らせる。
その様子は、レンに話しかけているというより、見えない何かを警戒しているようだった。
「ここはもう嗅ぎつけられてる。移動する」
「待てよ!」
思わず声が大きくなる。
「何なんだよ、あれ! 何でお前が刀なんか持ってるんだ!? ここはどこなんだよ!」
アキは一瞬だけレンを見た。
その目には苛立ちも呆れもなかった。
ただ事実を確認するような冷静さだけがあった。
「質問は生き残ったら聞く」
そう言うと、アキはレンの返事も待たずに歩き出した。
「お、おい!」
レンは慌てて追いかける。
一人で残る気には到底なれなかった。
通路を曲がり、閉鎖された店舗の横を抜ける。
やがてアキは従業員専用と書かれた鉄扉の前で立ち止まった。
鍵は掛かっているはずだった。
しかしアキが扉に触れると、金属が水面のように揺らぎ、そのまま静かに開いた。
レンは絶句する。
「……今の何だ」
「後で」
またそれだった。
アキは中へ入り、レンも続く。
扉が閉まる。
その瞬間。
外の世界が遠ざかったような感覚があった。
バックヤードは暗かった。
だが完全な闇ではない。
非常灯らしき青白い光が天井に点々と灯り、細長い通路を照らしている。
商品の段ボール。
パレット。
台車。
本来なら日常的な光景のはずなのに、不気味なほど人気がない。
アキは数十メートル進んだところでようやく足を止めた。
「ここなら少しは持つ」
「持つって……」
レンは息を切らしながら壁にもたれた。
「いい加減説明してくれ」
アキは数秒黙っていた。
その沈黙が妙に重い。
やがて彼女は剣を床へ立てかけた。
「まず確認する」
「何を?」
「今は何時?」
「は?」
「いいから答えて」
レンはスマホを取り出した。
画面を見る。
そこに表示されていた数字を見て眉をひそめた。
「午前三時……」
そして気づく。
数十分は経っているはずなのに。
秒表示は増えているのに。
時間だけが変わっていない。
「……何だこれ」
「ここでは時間が進まない」
アキは淡々と言った。
「正確には午前三時から夜明けまでの間が切り取られている」
「意味が分からない」
「分からなくていい。事実だから」
レンは頭を抱えたくなった。
だがアキの表情は冗談を言っている人間のそれではない。
「ここは真夜中の禁区。私たちはそう呼んでいる」
禁区。
聞き慣れない言葉だった。
「人間が残した負の感情。未練。後悔。憎悪。絶望。そういうものが長い時間をかけて蓄積すると、現実から切り離された空間が生まれる」
アキは天井を見上げる。
「そして夜になると、それは目を覚ます」
「そんな話……」
「信じなくてもいい」
アキは即座に言った。
「でも君はさっき怪物を見た」
レンは言葉を失う。
確かに見た。
あれは夢でも幻覚でもない。
今でも白い腕が脳裏に焼き付いている。
「禁区には核がある」
アキは続けた。
「コア」
「コア?」
「禁区を維持している中心部」
彼女は剣の柄を握った。
「それを破壊すれば出口が開く」
レンの表情がわずかに明るくなる。
「じゃあ、それを壊せば帰れるのか?」
「帰れる」
短い返答。
だがその直後。
「夜明けまでなら」
空気が冷えた。
「……夜明けまで?」
「夜明けを迎えると禁区は閉じる」
アキの声は変わらない。
だからこそ余計に重かった。
「閉じ込められた人間は禁区に取り込まれる」
「取り込まれるって……」
「消える」
レンの背筋を冷たいものが走った。
「存在そのものが」
沈黙。
遠くで何かが軋む音がした。
レンは無意識に唾を飲み込む。
「だから急がなきゃいけない」
アキは立ち上がった。
「コアはモールの中心部にあるはず」
「待て」
レンは慌てて呼び止める。
「お前は何なんだ?」
アキが足を止めた。
初めて少しだけ迷うような表情を見せる。
「私の家は代々、禁区を監視してきた」
それだけ言った。
「現れた禁区を見つけて、壊す。それが仕事」
「仕事って……」
「だからここにいる」
アキは再び歩き出そうとする。
だがその時だった。
通路の奥から。
ガタン。
何かが倒れる音が響いた。
二人は同時に振り向く。
暗闇の向こうから、かすかな声が聞こえた。
「……誰か」
女の子の声だった。
震えている。
怯えている。
助けを求めている。
レンの心臓が大きく跳ねた。
その声に聞き覚えがあったからだ。
「……シオリ?」
アキの表情が初めて変わった。
明らかな警戒。
それは怪物と遭遇した時以上だった。
「レン」
低い声。
「近づくな」
「え?」
「その声は――」
アキが剣を抜く。 赤黒い刀身が不気味な光を放った。
「本物とは限らない」
Derniers chapitres
気がつくと、 レンはショッピングモールの正面入口に倒れていた。
眩しい朝日。行き交う配送トラック。開店準備をする店員たち。
いつもの朝だった。
「……戻
「違う」
レンは心臓を見つめたまま呟いた。
どくん。
どくん。
弱々しい鼓動が響く。
「シオリは死にたくない」
巨大スクリーンの前。
祭壇のように並ぶ座席群の中央。
赤黒い光に照らされながら。
一つの心臓が脈打っていた。
どくん。
ど
映画館フロア全体が震えていた。
無数のスクリーンに映し出されたシオリたちが、一斉にこちらを見つめている。
笑う顔。
泣く顔。
怒る顔。<
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