獣人のあの子と
Synopsis
昔、知り合った女の子がいる。親族の集まりで見つけたその子は獣人で、年に数回、会うのが楽しみになっていた。その子が、僕の家に居候するらしい。
お題チャレンジ:ケモノとの暮らし
Chapitre1
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夏の日の記憶は、縁側の木の香りとともに蘇る。
親戚の家の庭に、大きなケヤキがあった。樹齢百年を超えるというその木は、広い屋敷の裏手を覆い尽くすほどの枝葉を夏ごとに広げ、地面に濃い影を落とした。俺はいつも、その縁側の端っこに座って、大人たちの話し声を遠くに聞きながら、時間が過ぎるのを待っていた。
親戚の集まりは一年に二度。お盆と正月。他に共通点がない親族が、慣習だけで顔を合わせる場所だった。小学生の俺にとっては、固い笑顔の大人たちの間で、何をして良いのかわからない時間だった。
そこに彼女は現れた。
獣人だということは、最初からわかっていた。耳と尻尾が、人間とは違う。耳は三角形に尖り、毛並みが風に揺れるように動いた。尻尾は長く、先端が白い。種族までは知らなかった。ただ、犬っぽいとも猫っぽいとも言えず、どちらかというと狐に近いような、その辺りのどれかだろうと、子供なりに考えた。
彼女は親戚の親戚だった。つまり、血の繋がりは遠い。獣人の家系がどう混ざったのか、大人たちの話を聞いても、俺には複雑で理解できなかった。
最初に会ったのは、七岁か八歳の時だった。縁側にいた俺に、彼女は近づいてきた。他の子供と違って、俺は外で遊ぶことを拒否し、大人たちの気配を遠くに感じながら、ただ座っていた。
「なにしてるの?」
彼女はすぐ隣に腰を下ろした。近すぎる。人間の子供は、もう少し距離を置くものだと、俺は思っていた。けれど彼女は平然と、膝を抱えて、俺の顔を覗き込んだ。
「なんにも」
「なんにもって、退屈じゃない?」
「……退屈じゃない」
嘘だった。退屈極まりなかった。でも、外に出て他の子供と遊ぶのは、もっと退屈だった。どちらかというと、こちらを選んだだけだった。
彼女は笑った。歯が白く見えた。獣人の子供は、人間と比べて発達が早いとも遅いとも言われるが、彼女のその笑い顔は、当時の俺よりずっと大人っぽく見えた。
「私、レナ」
「……俺」
名前を言ったかどうか、覚えていない。レナは名前を聞きそびれたのか、それとも聞いて忘れたのか、それ以降も「ねえ」と呼びかけるだけだった。
その日、彼女は一時間ほど、そばにいた。話しかけてくる。木の上にいた蝉について。雲の形について。縁側の下に住む、何かの虫について。俺はほとんど口を開かなかったが、レナはそれを気に留めなかった。一人で喋り、時々俺を見て、笑う。それだけだった。
次の年の集まりでも、彼女はやってきた。再会の挨拶もなく、隣に座った。
「去年より背が伸びたね」
「……そう?」
「うん。確かに」
確かに、という言い方が面白かった。俺は初めて、少しだけ笑った気がする。レナはその顔を見て、満足そうに頷いた。
その年は、少し話した。学校のこと。嫌いな科目。好きな給食。些細なことだった。レナは獣人の学校に通っていて、人間の学校の話を知りたがった。俺の周りに獣人の生徒がいないことを不思議そうに言い、都会と地方の違いかもしれないと、自分で納得した。
「来年も来る?」
「来ると思う」
「そう。じゃあ、またね」
またね、という言葉に、俺は何かを感じた。翌年、再来年、その先も。確約はない。けれどレナは「またね」と言った。それが約束のように、そうでないように、俺の中に沈んだ。
思えば、あれが初恋だったのかもしれない。正確には、もっと後になって気づいた感情だ。当時の俺には、ただの退屈な夏の日の出来事に、彩りが加わった程度の認識だった。胸が少し熱くなる。彼女の尻尾が揺れるのを、目で追う。それ以上の言葉はなかった。
10歳の夏。最後に会った。
レナは変わっていた。体が伸び、顔立ちが整い、獣人特有の早熟さが、人間の子供とは違う形で現れていた。でも、笑い方は変わらなかった。縁側に座り、膝を抱えて、こちらを見て笑った。
「また会えたね」
「……ああ」
「私、来年は来れないかもしれない」
「どうして」
「お父さんの仕事で、遠くに引っ越すことになったの」
「そう」
言葉が少ない。いつも少なかったが、その日は特に。何を言えば良いのかわからなかった。来年がないのは、それまでと同じだ。いつも「来年も来るかどうか」はわからなかった。けれど、この年だけは、確実に来ないとわかっていた。それが、何かを変えた。
レナは最後に、尻尾を振りながら言った。
「忘れないでね」
「……忘れない」
本当だった。忘れていない。名前も、笑い方も、蝉の声も、木の匂いも。ただ、思い出す頻度が減り、日常に埋もれ、引き出しの奥にしまわれただけだった。
目が覚めた。
部屋は薄暗い。カーテンの隙間から、午後の光が差し込んでいる。俺は布団の上で、天井を見つめた。梦を見ていたわけではない。ただ、ぼんやりと、遠い記憶を辿っていた。寝不足で、頭が重い。今日は何の日だったか。
玄関のチャイムが鳴った。
「来たわよー!お待たせしちゃってごめんなさいねー!」
母の声が階下で響く。客人を迎える声。俺は時計を見た。もうそんな時間か。知っていたはずだ。今日、誰かが来る。親戚の、遠い親戚の。進学を理由に、しばらくこの家に居候する。
その事実は頭にあった。母から二週間ほど前に聞かされた。遠い親戚の娘が、大学受験のために都会に出てくる。うちに預かることになった。部屋は空いているから、と、俺に断りもなく決まった話だった。
名前までは聞いていなかった。気にしていなかった。ただの親戚だ。十五年以上会っていない親戚の、その子供だ。どうでも良い話に思えた。
階段を昇る足音がする。母と、もう一人。俺は部屋を出て、廊下に立った。挨拶ぐらいはすべきだ。面倒だが、礼儀だ。
「じゃあ、この子が暫くお世話になる、レナさん。ほら、挨拶しなさいよ」
母が階段の上に現れた。隣に、女性が立っていた。
時間が止まった。
獣人だ。耳が三角形に尖り、尻尾が長く、先端が白い。子供の頃より大きく、美しく、整った耳と尻尾。肌は健康的に晒け、目は大きく、鋭い瞳孔が光を捉えていた。
レナ。
名前が喉まで出かかった。出なかった。5年前の記憶と、目の前の現実が、ずれを生じていた。同じだ。確かに同じだ。けれど、違う。子供だったものが、大人になった。天真爛漫だった笑顔が、今は緊張で引き締まっている。
彼女も、こちらを見ていた。目が合う。瞳が、わずかに揺れた。覚えているのか、覚えていないのか。俺にはわからなかった。
「……初めまして」
彼女が先に口を開いた。声が低くなっていた。子供の頃より、確実に。それでも、どこかで聞いた音色があった。
「ああ」
俺の声が掠れた。咳払いをして、なんとか言葉を続けた。
「初めまして。……俺が、その」
「息子です。よろしくお願いします」
母が間に入って、名乗らせる。レナは小さく頷き、一礼した。尻尾が、控えめに揺れた。子供の頃のように、大きく振り回すのではなく、大人のように、押さえた動きだった。
「こちらこそ、お世話になります」
また、短い沈黙。
俺は何を言えば良いのかわからなかった。久しぶり、と言うべきか。覚えていますか、と聞くべきか。それとも、初めまして、で正しいのか。十五年前の縁側の少女を、ここに呼び戻して良いのか。
レナも、何かを言いたそうに、口を少し開けた。けれど、言葉は出てこなかった。ただ、視線が、俺の顔を探るように動いた。
「じゃあ、部屋案内するわよ。レナさん、こっち」
母が割って入った。レナは、ほっとしたような、残念そうなような、どちらともつかない表情で、母の後ろについて歩き出した。廊下を進む。尻尾が、壁に近づきすぎないように、注意深く避けていた。
俺はその場に立ち尽くした。
夏の蝉声が、遠くで鳴いている。幻聴かもしれない。季節も違うのに。それでも、俺の耳には、あの縁側の午後の音が、重なって聞こえた。
レナが振り返らなかった。振り返る理由はない。初対面の人間に、振り返る理由などない。俺は、自分の部屋に戻ろうと、踵を返した。
ドアノブに手をかけた時、背後で足音が止まった。
「……あの」
振り返る。廊下の向こう端で、レナが立ち止まっていた。母は階段を下り、レナの荷物を運ぶと言って、すでに居なくなっている。二人きりだった。
「何か?」
声が、思ったより冷たく出た。後悔した。けれど、レナは気にした様子もなく、小さく首を傾げた。耳が、微かに動いた。
「いえ。……失礼しました」
また、一礼。それから、部屋のドアに手をかけた。白い尻尾の先が、一度だけ、大きく揺れた。子供の頃のように。
ドアが閉まる音が、静かに響いた。
Derniers chapitres
電車の窓ガラスが規則正しくカタンと音を立てるたびに、蕾の尻尾が微妙に揺れる。彼女は座席に浅く腰掛け、窓の外を飛んでいく緑の帯を見ていた。時折耳を微かに動かし、車内のアナウンスより早く停車駅を察知
朝が来ると、レナはいつも同じだった。
布団を蹴飛ばす音が隣の部屋から聞こえる。次に、クローゼットをガタガタと開ける音。何かを落としたらしく、小さな悲鳴。それから
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夏の日の記憶は、縁側の木の香りとともに蘇る。
親戚の家の庭に、大きなケヤキがあった。樹齢百年を超えるというその木は、広
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