剣術の秘密
Synopsis
政府が帯刀を禁じてしばらく経った時代。町並みは和洋折衷なものへと変わりつつあった。刀の在り方も剣術から剣道へ、時の流れが変化しつつあるこの時代に、辻斬り事件が起こる。とある道場の師範代、仙石正太はその事件に巻き込まれていく。
Chapter1
政府が帯刀を禁じてより、久しい歳月が流れていた。帝都の景色は日毎に様変わりし、煤けた瓦屋根の間に赤煉瓦の洋館が顔を覗かせ、人々の往来には着物と洋装が乱雑に混じり合う。そんな時代の奔流から取り残されたかのように、「仙石剣術道場」は静かに佇んでいた。
かつて、二百人もの門弟を抱え、その名を轟かせた道場も、今や見る影もない。古びた木材の匂いと、陽光に舞う埃だけが、過ぎ去った栄光を物語っている。
その静寂を裂くように、甲高い金属音が道場に響き渡った。
真剣による鍔迫り合い。火花こそ散らないものの、互いの全霊を乗せた刃が軋む音は、聞く者の肌を粟立たせる。
一人は、仙石豪太。五十代。白髪の混じる髪を無造作に束ね、その深く刻まれた目尻の皺は、彼が生きてきた年月の厳しさを物語る。
対するは、息子の仙石正太。二十四歳。短く切りそろえられた黒髪が、汗で額に張り付いている。
体格で勝る豪太の圧し斬りを、正太は必死の形相で受け止めていた。だが、力の差は歴然。正太の腕が震え、刀身が悲鳴を上げる。均衡は、もはや紙一重だった。
「てりゃあああ!」
獣のような咆哮と共に、豪太の刃が閃いた。一瞬、正太の視界が白く染まる。凄まじい衝撃が腕を駆け上がり、握っていたはずの刀が宙を舞った。
「うわっ!」
抗いようのない力に弾き飛ばされ、正太は無様に尻もちをつく。畳に叩きつけられた衝撃よりも、手から伝わる痺れと、心の芯まで響く敗北感の方が強かった。カラン、と乾いた音を立てて、愛刀が畳の上を転がった。
豪太はゆっくりと刀を鞘に収めながら、冷え冷えとした視線を息子に突き刺す。
「正太、それでも師範代か!」
叱責は、斬撃そのものよりも鋭く正太の胸を抉った。道場に満ちる父の気迫に、ただ頭を垂れることしかできない。
「申し訳、ありません。父さん」
絞り出した声は、自分でも情けないほどにか細かった。
その凍てついた空気を破ったのは、溌剌とした娘の声だった。
道場の入り口に、仁王立ちで立つ人影。長い黒髪を赤いリボンで束ね、袴を履いている。だが、その袴は明るい黄色地に白い花の模様が散りばめられた、いわゆる「ハイカラ」な仕立てだった。妹の初子だ。
「お父さん!また正太兄さんと真剣ごっこしてるの!?」
まるで道場全体を震わせるかのような怒声に、先程までの威厳はどこへやら、豪太がたじろぐ。
「そんな暇があったら、少しは門下生を増やす努力をしてよ!」
「は、初子……こ、これはだな、来たるべきときの為に……」
しどろもどろに言い訳を紡ぐ父の言葉を、初子は容赦なく遮る。
「この時代にどこの誰が真剣を振り回して戦うのよ!?これからは剣術じゃなくて剣道!学校の教育課程でも取り入れられたんだから、門下生を増やす絶好の機会でしょ!」
そうだ、と正太は心の中で頷いた。かつてのように、真剣で命のやり取りをする時代は終わったのだ。人を斬るための「剣術」は、心身を鍛える武道としての「剣道」へと姿を変えた。だが、この道場は違った。人を斬ることを真髄とし、その証として家宝である二振りの刀――白い柄と鞘の「白雪」、黒い柄と鞘の「黒羽」を代々受け継いできた仙石の家は、時代の隅へと追いやられ、忘れ去られようとしていた。
*
「はっ!」「やぁ!」
乾いた竹刀の打撃音と、子供たちの幼い掛け声が道場に響く。
あれから数日が経ち、いつもの稽古が始まった。豪太は腕を組み、不機嫌そうな顔でその光景を眺めている。剣術道場とは名ばかりで、教えているのは結局のところ剣道だ。その実務的な指導は、すべて師範代である正太に任せきりだった。
しかし、道場は閑散としている。子供たちの声が響けば響くほど、その空間の寂しさが際立った。
「ご先祖様に顔向けできん……」
深々と吐き出された父のため息が、正太の背中に重くのしかかる。稽古の合間に振り返ると、豪太の肩は力なく落ちていた。
「父さん。剣術が剣道に変わっても、剣の道が消えたわけではありません。僕も、門下生たちも、父さんのその想いは……受け継ぐつもりです」
慰めようと口にした言葉は、ひどく空虚に響いた。豪太は顔を上げたが、その表情に光は戻らない。ただ、諦観にも似た昏い影が揺らめいているだけだった。
その日の指導を終え、道場の奥にある自宅へと戻る。正太の足取りは、父の落胆を映したかのように重かった。
だが、母屋の引き戸を開けると、ふわりと香ばしい匂いが鼻をくすぐった。西洋から伝わった香辛料の、食欲をそそる匂い。
「初子、今夜はライスカレーか?」
豪太の声が、心なしか弾んでいる。
母が五年前に病で世を去ってから、仙石家の家事一切は初子が取り仕切っていた。年頃の娘でありながら、女学校に通い、新しい知識を吸収し、人生を謳歌している。それが、豪太には面白くないらしかった。
「そうよ。私はお父さんと違って、色々と勉強してるから」
初子が、ちらりと父に視線をやりながら皮肉を言う。その言葉には、時代に取り残された父への苛立ちと、微かな憐れみが混じっていた。
「女学校など行かせなければよかったわ!余計なことばかり覚えてきおって……!」
豪太の怒声が飛ぶ。亡き母が「これからは女性も知識をつけ、学ぶ時代よ」と遺言のように語っていたことを、正太は思い出していた。道場がまだ豊かだった頃の財産を使い、初子を女学校に通わせたのは豪太自身だったが、そのことに今も納得がいっていないのだ。
父と妹の関係は、決して交わることのない平行線のようだった。
「じゃあ、お父さんはお漬物と雑穀でも食べていればいいわ」
ぷいっとそっぽを向き、初子は豪太の前に置かれたライスカレーの皿を取り上げようとする。その瞬間、豪太の顔色が変わった。
「い、いや!それはだな!食べ物を粗末にしてはならんのだ!」
慌てふためき、もっともらしい言い訳を並べる父。
古き剣術の伝統を守ろうと頑なな姿勢を見せる豪太だが、実はライスカレーはもちろん、コロッケといった洋食、甘味であればカステラと、舶来の食べ物が大好物だった。本人は必死に隠しているつもりだろうが、正太と初子にはとうの昔にバレバレだ。
「父さん、落ち着いてください。初子も、年頃なんだからもう少し大人になりなさい」
ため息をつきながら、正太が二人の間に割って入る。これが仙石家のいつもの日常。変わらないと思っていた、ありふれた光景だった。
*
その夜、正太は自室で休もうとしていた。廊下を渡る途中、不意に道場の方から微かな物音が聞こえた。
昼間の稽古で使った竹刀でも転がったのだろうか。そう思いつつ、そっと障子戸に目をやる。
隙間から覗き込んだ道場は、月明かりにぼんやりと照らされていた。その中央、神棚のように設えられた場所に飾られている二振りの家宝――白い鞘の「白雪」と黒い鞘の「黒羽」――その前で、父の豪太が正座をしていた。
「父さん……」
昼間の落胆した姿が脳裏に蘇る。あの厳格な父が、今はひどく小さく、頼りなく見えた。時代の流れと、守るべき伝統との板挟みになり、一人、人知れず苦悩しているのだろう。その背中が、そう語っているように思えた。
声をかけるべきか、一瞬迷う。だが、今の自分に、父を慰める言葉などあるだろうか。結局、正太は音を立てぬよう、そっとその場を離れた。
それが、取り返しのつかない後悔に繋がるなど、知る由もなかった。
翌朝。
家宝として道場に飾られていたはずの「黒羽」が、忽然と姿を消していた。
そして、消えたのは黒羽だけではなかった。
父、仙石豪太の姿も、どこにもなかった。
その夜からだった。
後に「恐怖の辻斬り」と呼ばれる、帝都を恐怖に陥れる連続殺傷事件が始まったのは。
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「あの刀鍛冶は、粗悪品を作っていたんじゃない。わざと切れ味のない刀を作っていたんだ」
正太の一言は、それまで彼女を覆っていた狂気の熱を、一瞬で凍てつかせた。沙苗
沙苗は、いつもと変わらない、少し儚げな笑みを浮かべていた。だが、その瞳の奥の色だけが、決定的に昨日までとは違っている。午後の光が、彼女の背後から差し込み、その輪郭を曖昧に溶かしていた。
<警察の捜査は、依然として仙石豪太を辻斬りの最重要容疑者として追い続けているようだった。帝都の喧騒を背に、仙石道場の静寂の中へ帰った正太は、一人、広々とした道場の真ん中に座り込んでいた。磨き抜かれ
「沙苗さんのお父様が、朝比奈道場と繋がりがあるですって!?」
初子の驚きに満ちた声が、仙石道場の静寂を切り裂いた。その場にいた全員の視線が、一点に注がれる。正座
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