Synopsis
三つの街を行き来する少年、日向蒼太。西口商店街の凛、東部高架下の零、北部山の手の咲良。三人は互いを知らず、蒼太もそれを意図的に避けていた。双子の姉たちの対立に挟まれ、「誰かを選ぶこと」を恐れた蒼太は、関係を分断することで平穏を保っていた。しかし合同文化祭の実行委員会で三人が初対面。互いの知る「蒼太像」が衝突し、蒼太の秘密が露見する。文化祭前日、蒼太は双子のトラウマと、三人を大切に思うがゆえに遠ざけていた本音を告白する。文化祭当日、三人の長所が噛み合い、地域ごとの友人たちまで協力し始める。かつて分断されていた三つの世界が、四人の関係によって一つに繋がっていく。終章、赤レンガ通りの郵便ポスト前。四人は「幼馴染とは何か」を再定義し、新しい関係を歩み始める。
Chapter1
第一章:分割された日常
ペダルを漕ぐたび、アスファルトの振動が足の裏から静かに伝わってくる。
愛用のママチャリは、変速ギアすら付いていない廉価品だ。チェーンが小さく軋むたび、右ポケットの中で「ジャラッ」と金属音が跳ねる。ママチャリの予備鍵に付けた、緑色の小さなアクリルのキーホルダー。焦ったり、誤魔化したりするとき、日向蒼太は無意識にそれを指で弾く。
長年の癖だった。
蒼太の暮らす街は、ひとつの行政区でありながら、はっきりと三つの世界に分かれていた。
古い文房具屋と定食屋が並び、駅前に錆びた時計台が立つ西口の商店街。
高架下にグラフィティが走り、スケボーの音が響く東部地区。
そして坂の上、生垣と洋館が続く北部の山の手。
地理的にも、文化的にも、三つの領域はほとんど交わらない。
その境界を、蒼太は毎日、自転車で横断していた。
どの街にも完全には属さない。
ただ、繋ぐだけ。
朝七時十五分。
蒼太はまず、西口の商店街へ向かっていた。
朝日が赤レンガの歩道を橙色に染める時間。商店街の角にある、古い空色の郵便ポストの前に、彼女はいた。
「遅いですよ、日向くん。集合時間より四分超過しています」
腕を組み、背筋をピンと伸ばして立っているのは、朱音凛だった。
長い深紅の髪は毛先まで丁寧に手入れされ、左側だけ細く編み込まれている。落ち着いた赤褐色の瞳は、朝の光の中でも揺るがなかった。制服は完璧だ。第一ボタンまで留められ、リボンは左右対称、スカートの丈も靴下の位置も規定通り。風が吹いても、彼女の身なりだけは乱れない。
本人が、直しているからだ。
「悪い。途中の交差点で、信号に引っかかってさ」
蒼太は笑って、自転車のスタンドを立てた。
この商店街で蒼太が見せるのは、「真面目で頼れる同い年の少年」という顔だ。
中学時代、テストの点数に落ち込んで時計台の下で膝を抱えていた凛に、缶コーヒーを買って黙って隣に座った。あの日から、蒼太はこの顔を演じ続けている。
「……たく。相変わらず時間管理が甘いです。まあ、良いでしょう。今日も校門までご一緒します」
凛は小さく鼻を鳴らし、風紀委員の腕章をキュッと位置調整した。
動揺や気恥ずかしさを隠すときの、彼女の癖だ。
商店街のコロッケ屋のおばちゃんが、笑いながら声をかけてくる。
「蒼太くん、今日も仲がええねぇ!」
頑張れば認められる。努力すれば評価される。そういう、温かくて狭い世界。
凛はそこで、「期待に応える正しい生徒」として呼吸していた。
だが、完璧な彼女にも弱点はある。
極度の方向音痴と、機械音痴だった。
スマホの地図アプリを見ながら、なぜか真反対の路地へ歩き出そうとする凛の袖を、蒼太はそっと引いた。
「凛。学校は、あっち」
「っ……! わ、分かっています! たまたま、あちらの文具店のリボンが気になっただけです!」
顔を朱に染めて言い張る凛の後ろ姿を見送りながら、蒼太は胸の内で小さく息を吐いた。
(よし。西口の『朱音凛』の時間は、クリア)
なぜ、こんな面倒なことをしているのか。
理由は単純だ。
人と人を、引き合わせないため。
関係が近づけば、必ず衝突する。衝突すれば、壊れる。
そう、身体が覚えているからだ。
蒼太の家には、二歳上の双子の姉がいる。
長女の玲奈は、文系スパルタ派だった。「人の心の裏を察しなさい」と、感情論で攻め立てる情熱の赤。
次女の理央は、理系直感派だった。「感情なんて不確定要素は切り捨てなさい」と、論理で冷徹に裁く理性の青。
二人は顔こそ瓜二つなのに、事あるごとに対立した。
そして幼い蒼太は、いつもその修羅場の真ん中に立たされていた。
『蒼太! あんたはどっちの味方なの!?』
『理屈で考えなさい、蒼太。あんな感情論に与する気?』
どちらかを選べば、選ばれなかった方が傷つく。
どちらも選ばなければ、二人から「無責任だ」と責められる。
胃をキリキリと痛ませながら、蒼太が幼い頃に体得した唯一の生き残り戦略。
それが、人と人を引き合わせず、別々の世界に分散しておくことだった。
放課後。
夕暮れ時。
蒼太は自転車を漕ぎ、電車のガード下が重く響く東部地区へ向かう。
高架下の薄暗い壁には、色鮮やかなグラフィティが走っていた。スケボーのウィールがコンクリートを削る高い音。キッチンカーの油の匂い。名前よりニックネームが通じる、匿名と自己表現の街。
「遅い。猫でも追いかけてた?」
フェンスに背を預け、首に掛けた大型ヘッドフォンを指で弄っていたのは、黒沢零だった。
艶の少ない黒髪をウルフボブに切り、後ろだけ少し長く伸ばしている。毛先は無造作で、寝癖なのかセットなのか、本人にも分からない。夜のような濃い灰色の瞳。制服は規定を自由に解釈し、ネクタイはせず、パーカーを重ね、指ぬき手袋をしている。
ストリートの空気が、そのまま人の形になったような少女だった。
「いや。風紀委員の指導を交わすのに、手こずってさ」
「ふーん。真面目ちゃんは大変だね」
零は缶チュッパチャプスを口にくわえたまま、だるそうに笑った。
ここでの蒼太の顔は、「何も気にしない、等身大の適当な相棒」だ。
誰とも馴染めず孤立していた中学時代。猫を追いかけて高架下に迷い込んだ蒼太と、零は出会った。
それ以来、零は蒼太の前でだけ、少しだけ力を抜く。
「ほら」
零がポケットから取り出したのは、高架下のキッチンカーで買ったミートパイだった。
「半分やる。今日、新しいトリック成功したから」
「サンキュ。零は相変わらず自由でいいな」
「やりたいことやってるだけ。自分は自分だし」
無造作にパイを口に運ぶ零。
だが、蒼太が他の誰かの話をしようとしたり、スマホの画面に目を落としたりすると、彼女は露骨にヘッドフォンの音量を上げる。
自分の世界に、閉じこもるように。
自立しているように見えて、その実、誰よりも寂しがり屋で甘やかし下手なのが零だった。
(東部の『黒沢零』の時間も、無事に終了)
そして休日。
日曜日の早朝。
蒼太はペダルを重く踏み込み、北部の山の手へ続く長い坂を登っていた。
静謐な住宅街。高い生垣の向こうに洋館や日本庭園が並び、私立女子学園の鐘の音が遠くから聞こえる。
伝統と家柄がすべてを支配する、品格の街。
「まあ、蒼太さん。おはようございます」
立派な鉄製の門扉の向こう、イングリッシュガーデンのバルコニーから手を振っていたのは、皇咲良だった。
蜂蜜色のブロンドは、朝日を受けて金糸のように輝いていた。長い髪はハーフアップにまとめられ、毛先だけ柔らかいウェーブを描く。透き通った琥珀色の瞳。長い睫毛。穏やかな表情。
同じ制服を着ているはずなのに、彼女だけはなぜか高級品に見えた。
理由は、姿勢だ。
常に背筋が伸びている。無意識に滲み出る、上流階級の所作。
「おはようございます、咲良さん。今日のお庭の手入れの道具、持ってきました」
「ふふ、いつもありがとうございます。まあ……そんなところで立ち話もなんですわ。温室で、淹れたてのアールグレイをいただきませんこと?」
山の手での蒼太の顔は、「礼儀正しくたくましい、庶民の少年」だ。
庭師の手伝いのアルバイトで屋敷を訪れた際、「家」という重圧に押し潰されそうになっていた咲良に、自販機の当たりガムや駄菓子屋の楽しさを教えた。
それ以来、蒼太は彼女にとって「外の世界を見せてくれるヒーロー」だった。
「わたくし、昨日初めて立ち食いそばというものを遠目で見ましたの! 自動で券が出てくる機械、いつか押してみたいですわ……!」
レースのハンカチを両手でギュッと握りしめ、目を輝かせる咲良。
完璧なお嬢様として振る舞うことを求められる彼女にとって、蒼太と過ごす早朝の時間だけが、唯一呼吸のできる隙間だった。
西口商店街の朱音凛。
東部高架下の黒沢零。
北部山の手の皇咲良。
三人はそれぞれ、蒼太の異なる側面を知っている。
そして蒼太自身も、三つの世界を自転車で周回し、それぞれの街に自分の居場所を分割して保管することで、平穏を保っていた。
(これでいい)
(お互いが出会うことさえなければ、誰も傷つかない。衝突も起きない)
ポケットの中で、緑色のキーホルダーが、ジャラリと寂しげな音を立てた。
このときの蒼太は、まだ知らなかった。
自分が必死に守ってきた境界線が、もうすぐ訪れる高校の「文化祭実行委員会」という小さなきっかけによって、脆くも崩れ去ることを。
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終章:幼馴染の再定義
文化祭終了直後。
片付けがひと段落した校庭には、まだ生徒たちの笑い声が残っていた。
西口商店街チームの榊原恒一と桐生美咲、緋山
第四章:四人の文化祭
文化祭当日。
西口の商店街、東部の高架下、そして北部の山の手。
三つの地域を繋ぐ中央広場に、特設の大きなアーチが組まれていた。
第三章:秘められた過去と救いの開示
文化祭前日の夕暮れ。
合同実行委員の作業がすべて終わり、第一特別教室からは他の生徒たちの姿が消えていた。
窓の外
第二章:交差する境界線
秋の気配が混じり始めた、九月の半ば。
放課後の第一特別教室は、西日の熱気と印刷インクの匂いに満ちていた。
二学期最大の行事―







