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ハマタケと秋の山

ハマタケと秋の山

Last Updated: 2026-09-26 02:14:29
Language:  English4+
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Synopsis

王国と隣国での失敗後、ハマタケは再び王国の拠点へ戻ってきて豆苗を育て始めるも


水やりをサボって育成の段階で大失敗してしまい


ハマタケは酒に溺れる自堕落な生活を送っていた


Chapter1

サビ付いたシャッターの隙間から、湿った秋の風が入り込む。廃工場の空気は重く、油と埃と、それから安酒の入り混じった饐えた臭いが充満していた。

かつては機械の轟音が響いていたであろう広い空間に、今は不格好なプラスチック容器が整然と並んでいる。そこから申し訳程度に顔を出しているのは、元気がなくひょろひょろと伸びた「豆苗」の残骸だ。

「……終わったな」

西田は、膝の上に置いた通帳の数字を見つめ、力なく呟いた。数字は残酷だ。彼らが生きていくための「武力」となるはずの資金は、豆苗の栽培キット代に消え、残ったのは雀の涙ほどの端数。

「何が『非合法な豆苗ビジネス』ですよ。ただの園芸じゃないですか。しかも失敗だし」

視線の先では、この計画の首謀者である男――ハマタケが、一升瓶を抱えてコンクリートの床に転がっている。32歳、マフィアの皮を被った奇人。自称「天才」の頭脳は今、安物の焼酎によって完全に機能停止しているように見えた。

「うう……あー、腹たつわぁ。なんで豆苗、あんなにひょろひょろなんや……。わしの計算では、今頃この工場は緑のジャングルになっとるはずだったんだがや……」

ハマタケが寝返りを打つと、空のワンカップがカランと音を立てて転がった。うわ言のように繰り返される怪しいエセ名古屋弁。西田はもう、それを指摘する気力も残っていない。

工場の隅に置かれた、いつ拾ってきたかも分からないブラウン管テレビが、ザーザーと砂嵐混じりの映像を映し出していた。地方ニュースのキャスターが、妙に明るい声で季節の話題を伝えている。

『――続いてのニュースです。今秋、記録的な猛暑の影響により、山の王様・松茸が空前の高騰を見せています。市場では一本数万の値がつくことも珍しくなく……』

その瞬間。

床に転がっていたハマタケの体が、バネ仕掛けの玩具のように跳ね上がった。

「……ま、松茸?」

顔を上げたハマタケの目は、泥酔していたはずなのに爛々と輝いている。いや、輝いているどころではない。西田の目には、その瞳の中にくっきりと「¥」のマークが浮かび上がっているのが見えた。

「西田ぁ! 聞いたか! 今、数万円って言ったがや! 一本で! 豆苗何パック分だと思っとるんだ!」

「はぁ……。まあ、高いでしょうね。高級食材ですから」

「一本二万だとして、十本で二十万。百本なら二百万……。千本採れば二千万だがや! 億万長者も夢じゃないがや!」

ハマタケは汚れたシャツの袖で口角の泡を拭い、狂ったように手元のスマホ――これも画面がバキバキに割れている――を操作し始めた。指が震えているのはアルコールのせいか、それとも強欲のせいか。

「見てみぃ、このネットの記事! 『手入れのされていない天然の山には、お宝が眠っている』って書いてあるわ! 誰も入らん山なら、松茸なんて生え放題、取り放題に決まっとる!」

「……あの、ハマタケさん」

西田は、嫌な予感しかしない胸の鼓動を押さえながら、極めて冷静に声をかけた。

「まず、松茸はそんな簡単に生えません。その辺のキノコとは違うんですよ。それに、どこの山にも所有者がいます。勝手に入って採ったら、それは『窃盗』とか『不法侵入』の類になります」

「堅苦しいこと言いなさんな! 山の神様がくれた恵みだがや! 神様が『ハマタケ、おみゃあさんに授けるわ』って言っとるのが聞こえんのか!」

「聞こえませんね。あと、偽物の名古屋弁がいつも以上に酷いですよ」

ハマタケは西田の言葉など一切耳に入っていない様子で、立ち上がるとフラフラとした足取りで工場の奥へと向かった。そこにあるのは、かつての豆苗ビジネスで使おうとして結局出番のなかった、汚れた軍手とビニール袋の山だ。

「これだ! これがあれば億万長者だがや! 西田、準備しろ! 今すぐ『黄金の山』へ出発だ!」

「正気ですか? 素人が適当な山に入って見つけられるようなもんじゃないですよ。遭難するだけですって」

「素人? 誰が素人だ! わしのこの『知性』があれば、松茸の心理を読むなんて赤子の手をひねるようなもんだがや! キノコはな、影を好むんだ。わしの暗い過去と同じだぎゃ!」

言葉の意味は全く分からないが、その勢いだけは凄まじい。ハマタケの目は、もはやこの現実の廃工場を見てはいなかった。彼の視界には、黄金色に輝く松茸の森と、札束で埋め尽くされたベッドが広がっているのだろう。

西田は深いため息をついた。
ハマタケは確かに「天才」の片鱗を見せることがある。かつて組織の窮地を、その常人離れした計算と根回しで救ったこともある。だが、その知性は常に決定的な方向性の間違いと、致命的な人間理解の欠如を伴っている。

(豆苗の時もそうだった。二酸化炭素の濃度と光の波長を完璧に計算したとか言ってたけど、結局、水をやるのを忘れてただけだし……)

「西田! 何をしとる! 早く車を出さんか! 銭が逃げてまうがや!」

ハマタケが、どこから持ってきたのかボロボロの麦わら帽子を被り、鼻息荒く叫んでいる。その姿は、およそマフィアの幹部候補とは思えないほど滑稽で、それでいて、何故か否定しきれない圧倒的な気迫に満ちていた。

「……分かりましたよ。行けばいいんでしょ、行けば」

西田は諦めたように立ち上がり、尻についた埃を払った。
結局、自分はこの男を見捨てられない。この破滅的な情熱の後に残る、無残な失敗の後始末をするのはいつだって自分の役目なのだ。

「ただし、警察に捕まっても僕は知りませんからね」

「何を言っとる! 捕まるのはわしらじゃねえ、松茸の方だがや!」

意味不明な宣言を残し、ハマタケはスキップするように廃工場の外へと飛び出していった。

外は、雲が低く垂れ込めた秋の夕暮れ。
冷たい風が吹き抜ける中、西田は中古の軽トラックのエンジンをかけた。助手席に乗り込み、まだ酒の臭いをプンプンさせているハマタケは、スマホで「松茸 最強 見つけ方」というページを必死にスクロールしている。

軽トラがガタガタと音を立てて走り出し、廃工場の重い空気を切り裂く。
目指すは、ネットの情報だけを頼りに決めた、誰も寄り付かないという深い山。

西田の心にあるのは、松茸への期待などではなく、山道で車がパンクしないか、あるいはハマタケが毒キノコを食って倒れないかという、極めて現実的で切実な不安だけだった。

山際が暗く沈み始め、遠くでカラスが鳴いている。
その鳴き声すら、ハマタケには「銭、銭」と鳴いているように聞こえているのかもしれない。

「見ていろ西田ぁ……。明日には、わしらは山を買う側になっとるがや……」

窓の外に広がる黒い山影を指差し、ハマタケが低く笑う。
その笑い声は、夜の静寂に吸い込まれ、ただ寒々しく響くだけだった。

二人の乗った軽トラは、街の灯りを背に、欲望と無謀が渦巻く闇の中へと突き進んでいった。

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