Synopsis
日本史の転換点では、必ず「神々のOS更新」が行われていた──
本作は、平家・太平記・戦国・幕末の四時代を舞台に、
歴史の裏側で密かに進行していた 封神演義の異譚 を描く短編集である。
Chapter1
瀬戸内海の荒波が夕陽に血の色を映すころ、
壇ノ浦の海底深くで、巨大な 歴史演算盤(天命OS) の歯車が軋む音を立てていた。
◆
「おや、こんな深海にまで魚以外の客とはね」
水底の宮殿のような社殿の梁に腰掛け、不敵な笑みを浮かべる女がいた。
八百比丘尼──八百年の時を生きる不老不死の尼僧は、朱色の長槍の石突で床板を軽く叩く。
彼女の眼前に立つのは、滅びゆく平家の赤旗を背負った総大将の亡霊たち。
だが、その肉体はすでに人間のものではなく、禍々しい角と赤黒い鱗に覆われていた。
「比丘尼……我が一門の怨念を、上界の秩序どもにくれてやるための生贄(パッチ)にする気か」
かつて福原の海を支配した大妖怪の化身が、濁った眼光を向ける。
その背後では、九尾の妖狐の気配を纏う者が、西洋から持ち込んだ禁断の錬金術の魔方陣を床面に刻んでいた。
ここで行われているのは、単なる源平の合戦ではない。
上層の天津神が仕切る情報・神威の管理システム 「神籬(ひもろぎ)システム」 のバージョンアップ──
すなわち 日本列島の強制データ上書き・均質化プロトコル(天津秩序サクラ・ORDER) である。
戦死する英雄たちの魂から個別の文脈を削ぎ落とし、
強制的に「八百万の神(Read-Onlyパッチ)」として組み込むことで、
国の霊的セキュリティを固定するための冷酷な儀式だ。
「生贄などと、人聞きの悪い。あなたたちはただ、歴史という名のシステムに『名前(ラベル)』を書き換えられ、都合よい記号としてデフラグされようとしているだけです」
比丘尼はふっと息をつき、腰に下げた陶器の重箱を軽く叩いた。
今回の妖怪調律の依頼主から、この領域に巣食う怪異は特殊なルールを持つと聞かされていた。
「名前派」と「食事派」。
この深海領域に澱む敗者たちは、人間のアイデンティティ(真名)を剥ぎ取って無力化し(名の観測失敗:NOF)、
その概念そのものを特定の料理として「咀嚼(食事同調:EAF)」することで自らの力に変える特性を持っていた。
「来るがいい、歴史を喰らう者たちよ。我が八百年の記憶(コンテキスト)の排熱に耐えられるならね」
異形の影たちが一斉に這い出てくる。
奴らの皮膚には、源平の戦で消えていった名もなき武士たちの戸籍や、捨てられた幼名、武士の誇りが赤黒い文字となって浮き沈みしていた。
「キサマの……その永遠の命の『真名』を……よこせ……!」
妖怪たちが一斉に襲いかかる。
比丘尼は一歩も引かず、長槍を鋭く薙ぎ払った。
水術と密教の法力が融合した青白い衝撃波が、押し寄せる異形の群れを一時的に押し返す。
だが、相手も西洋魔術のノイズを取り入れたイレギュラーな 「彼岸花のERROR領域(バグの眷属)」 の落とし子。
数で勝る敵の呪詛が、比丘尼の肩や腕の「存在データ」を少しずつ削り取っていく。
「ふう……やはり、しぶといですね」
息を整えた比丘尼は、妖艶な笑みを浮かべ、重箱の蓋を開けた。
潮風と血の匂いが充満する海底に、
なぜか香ばしい醤油とみりん、そして炒り卵とほうれん草の鮮やかな匂いが広がる。
鶏そぼろの茶色、炒り卵の黄色、茹でほうれん草の緑。
それは、地上の民たちが戦火の合間に口にした、
あまりにもささやかな、しかし確かな「日常の食事」の形をした概念の結晶だった。
「お前たちが求めているのは、神格たちの真名でも、歴史の勝者の称号でもないでしょう。……これを、お食べなさい」
比丘尼が重箱を床に滑らせた。
瞬間、妖怪たちの動きがピタリと止まる。
「名前」を奪うことに執着していた連中が、その異形の巨体を震わせ、重箱の前に這いつくばった。
「ニク……タマゴ……ハル……これは、私たちが捨てた……」
妖怪たちは、恨み言を忘れたかのように、規則正しく一層ずつその「食事」を口に運び始めた。
それは概念を喰らい尽くすことで、自らの存在理由を満たす唯一の儀式。
「今です!」
比丘尼の合図と共に、海底のあちこちに隠されていた五芒星の封印陣が一斉に光を放った。
「食事派」の執着を利用して敵の意識を釘付けにし、
「名前派」の呪縛を逆手に取った完全な封殺の陣。
「馬鹿な……我らの混沌が、このようなささやかな『日常の味覚』に……!」
大妖怪の化身が叫び声を上げる。
だが、その体は光の粒子へと分解され、ゆっくりと海の泡に溶けていく。
妖狐の気配も、西洋魔術の呪陣と共に霧散していった。
静けさが戻った海底の社殿。
そこには、綺麗に平らげられた空の重箱と、ぽつんと佇む比丘尼の姿だけがあった。
「……さて」
比丘尼は長槍を肩に担ぎ直し、遠く陸の方角を見上げた。
削り取られた記憶の代わりに、胸の奥には、
また一つ新しい「ささやかな日常の味」と、儚い恋物語の記憶が静かに刻まれていた。
永遠を生きる女の旅は、明日もまだ、終わらない。
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◆
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瀬戸内海の荒波が夕陽に血の色を映すころ、
壇ノ浦の海底深くで、巨大な 歴史演算盤(天命OS) の歯車が軋む音を立てていた。
◆







