Synopsis
農業のハラで田舎の雰囲気をその身に浴びるヴァルキリー達!
Chapter1
籠の中に並んだ蕪は、白く、瑞々しく張っていた。皮の表面には朝露が残り、陽光を浴びて真珠のような光沢を放っている。
天馬蒼依は、その中から小振りの一つを手に取り、齧りついた。
小気味よい音が畑に響く。溢れる水分。しかし、舌の上に広がったのは、記憶にあるあの透き通るような甘みではなかった。奥歯の裏に残る、わずかに重い、粘土のような渋み。
「……ねえ。なんか、いつもと違わない?」
短い巫女装束の裾を揺らし、蒼依は隣に立つアン=ローレンを見た。
アンは銀色の長い髪を手で払いのけ、同じように蕪の断面を凝視した。エメラルドグリーンの装束の袖を捲り上げ、指先で果肉を少し削り取って口に入れる。明るい紺色の目が、怪訝そうに細められた。
「確かに。甘みが奥に引っ込んでいる感じね。繊維も少し硬い気がするわ。どうしたのかしら、今年のハラのお野菜」
「味覚の個体差、という範囲を超えているな」
低い、慇懃無礼な声が頭上から降ってきた。
黒いアーマーに身を包んだブラックヴァルキリー・カーラが、背中の大きな黒い翼をわずかに羽ばたかせ、未舗装の農道に降り立つ。漆黒のコンバットブーツが乾いた土を踏みしめた。手にはすでに半分かじった胡瓜が握られている。
「このわたしが、都市の守護者としての巡回を一時中断し、わざわざ足を運んだのだ。あのオーブン焼きの感動が薄れるような事態は、帝国の損失と言わざるを得ない」
「大袈裟ねえ、カーラは」
背後から、楽しげな声が重なる。
水色の長い髪を揺らしながら歩み寄ってきたのは、ユーナ=ショーペンハウアーだった。青いミニスカートの裾を軽快に翻し、腰のポーチから小さな魔導端末を取り出す。その隣には、銀白色の短い髪をふんわりと弾ませたガートルード=キャボットが、流れるような白いドレスの裾を気にしながら、おずおずとついてきていた。
「でも、お水の問題かもしれないよ? ほら、このあたりは水路によって全然味が変わるって、前におじいさんが言ってたし」
「お水……。私の治癒魔法でも、土壌の味そのものを変えるのは難しいの。元の水が綺麗じゃないと、お野菜の細胞も元気をなくしてしまうから」
ガートルードはマゼンタの瞳を揺らし、畑の脇を流れる細い水路を見つめた。
ハラの村の特異性は、その細分化された水網にある。同じ山から流れ出る水でありながら、引かれるルート、通り抜ける地層、途中の石積みの材質によって、水路から水を引く米や根菜の味は劇的に変化する。ある水路はトマトを極上に育て、別の水路は米に独特の粘りを与える。
「まあ、能書きはどうでもいいわ! とにかく、美味しい餃子が作れなくなったら大問題よ!」
大股で歩み寄ってきたユエリシア=アマオカミが、太ももまでスリットの入ったピンクの衣装を揺らし、頭の白い角を誇らしげに揺らした。背後では、太いピンクの竜のしっぽが激しく左右に振られている。
「今日の夜はハラのニラとキャベツで山盛り餃子を作るって、みんなで約束したんだから! お姉ちゃんもギャラリーで待ってるんだよ!」
「ユエリシア、落ち着きなさいな。空腹は知性を鈍らせるわよ」
いつの間にか現れた黄緑色の長髪の少女、シルフィードが、古代ギリシャ風の白いキトンを風になびかせながら空中を漂っていた。黄緑色の瞳が、水路の底に沈む灰色の沈殿物を捉える。
「それにしても、この水。少し澱んでいる気がしない?」
全員の視線が、水路へと注がれた。
さらさらと流れる水は、一見すると透明だ。しかし、注意深く観察すると、水底の小石の輪郭がわずかにぼやけている。極めて微細な、灰色の泥の粒子が水中に混ざり込んでいるのがわかる。
「これじゃな」
背後から、地響きのような低い声が響いた。
麦わら帽子を被り、首に白タオルを巻いたサンゼンテンが、丸太のような太い腕を組んで立っていた。麻の作業着からはみ出た胸筋が、呼吸のたびに大きく波打つ。背中には巨大な鋤が背負われていた。
「サンゼンテンさん!」
蒼依が呼びかけると、老人は重い足取りで水路の縁まで歩み寄り、泥だらけの手を水の中に差し入れた。手のひらで水を掬い、鼻先に近づけて匂いを嗅ぐ。さらに、指先を濡らして舌の上に載せた。
「……粘土の匂いじゃ。それも、ただの畑の泥じゃない。山の奥、古い地層の赤土が混じっとる。今年の夏前から、上流の第一水路の水が妙に濁り始めてな。最初は気のせいかと思うたが、蕪の味が落ちた。これは間違いない」
「でも、役場の人たちは何て言ってるの?」
アンが尋ねると、サンゼンテンは大きな鼻からフンと息を吐き出した。分厚い胸板が硬く引き締まる。
「都市から来た役人どもは、あの光る板を叩くだけじゃ。基準値以内、安全、問題なし。そう言って、わしの話を聞こうともせん。数値は嘘をつかないとか何とかほざきおって。1200年この土地で土をいじってきたわしの舌が、その程度の玩具に劣るわけがなかろうに」
老人の声には、静かだが確固たる誇りがあった。
遺伝子修復を受け、遥かな時間を生き抜いてきた肉体。その感覚器官は、都市の魔導計測器が「異常なし」と切り捨てる微細な変化を、完璧に感知していた。
「よし、決まりね!」
蒼依は巫女装束の帯をきゅっと締め直した。
「その役人たちの鼻を明かしてやりましょう。原因を突き止めれば、文句は言わせないわ。案内して、サンゼンテンさん。その第一水路の元まで」
「おい、蒼依。わたしも行くぞ」
カーラが黒い翼を大きく広げ、黄金の目を鋭く光らせた。
「ハラの作物の味が落ちることは、わたしの夕食の質に直結する。看過できない死活問題だ」
「ふふ、カーラったら、結局食べ物のためじゃない」
ユーナがクスリと笑い、水色の髪を揺らした。
「でも、水の流れを調べるなら、わたしの水魔法が役に立つと思うわ。行きましょう!」
一行は、黄金色の田園地帯を離れ、背後にそびえる深山へと足を踏み入れた。
山道は狭く、湿っていた。
背の高い杉の木々が日光を遮り、周囲は薄暗い緑に包まれている。足元には苔むした岩と、這うように広がる木の根。都市の整備された道路とは異なり、一歩進むたびに足の裏から大地の湿り気と凹凸が直接伝わってくる。
「うう、湿気がすごいわね。髪が広がっちゃう」
シルフィードは地面から数十センチ浮いた状態で、不満そうに黄緑色の髪を指でいじっていた。
「浮いているお前はいい。わたしのこの重装甲と翼の重量を考えてみろ。泥に足が沈むたびに、余計なエネルギーを消費している」
カーラは不機嫌そうに、大きな黒い翼を木々の枝にぶつけないよう細心の注意を払いながら歩いていた。アーマーの隙間から覗く太ももが、険しい傾斜に耐えるたびに硬く緊張している。
「カーラさん、頑張って! 疲れたら私の治癒魔法をかけますから!」
ガートルードが白いドレスの裾を両手で持ち上げ、小走りにカーラの後を追う。少し足元が滑り、おっとっと、と上体を揺らしたが、隣にいたアンがすかさずその細い腕を支えた。
「気をつけて、ガートルード。ここは足場が不安定だから、体幹を意識して歩くのよ」
「は、はい! ありがとうございます、アンさん」
アンの明るい紺色の目は、周囲の木々の配置や斜面の角度を鋭く分析していた。魔法剣士としての視点が、自然と地形の警戒に向いている。
「ねえ、お水の気配が強くなってきたよ」
先頭を歩くユーナが立ち止まり、人差し指を立てた。水色の髪が、目に見えない湿気の流れに反応するように微かに揺れる。
「あっちの谷の奥。第一水路の源流とされる古い水路があるはず」
一行はユーナの案内に従い、獣道とも呼べない急斜面を下った。
そこに現れたのは、苔に完全に覆われた、古い石積みの水路だった。
ヴァーレンス王国が建国される遥か昔、かつてこの地に住んでいた人々が築いたとされる、半ば野生化した石の遺構。幅は1メートルほどで、山肌にへばりつくようにして配置されている。
しかし、その一角が、無残に変形していた。
「……あれね」
蒼依が指差した先。
上方の斜面から突き出た巨大な老木の根が、歳月をかけて石積みを内側から押し広げたのだろう。長年の浸食に耐えかねた古い石壁が、十メートルにわたって崩落していた。崩れた隙間から、背後の山肌の赤土や細かな砂利が、絶え間なく水路の中へと滑り落ちている。
水路の水は、その崩落地点を境に、澄んだ透明から灰色を帯びた濁り水へと表情を変えていた。
「やっぱり……! 工場の汚水とかじゃなくて、この古い水路の崩落が原因だったんだ!」
アンが崩れた石積みに近づき、崩落面を検分した。
「木や土がじわじわと崩れ落ちて、水に混ざり続けている。量としては微量だから、都市の魔導センサーには有害物質として引っかからなかったのね」
「でも、お野菜にとっては致命的だった。そういうことじゃな」
サンゼンテンが、大きな体を揺らして歩み出た。
「この赤土には、鉄分と強い粘土質が含まれとる。それが水路を通じて畑に流れ込み、土の通気性を奪い、根の呼吸を妨げておったんじゃ。機械にはわからん、土と生き物だけの対話じゃよ」
「おじいさんの言う通りだわ。このままだと、ハラ全体の味が数年かけて変わってしまう」
ユーナが水路に手をかざすと、水路の水が生き物のように盛り上がり、崩落した土砂を一時的に押し戻した。しかし、彼女の額にはすぐに微かな汗が浮かぶ。
「うう、流れを完全に止めるのは無理だよ。土砂の量が多すぎる」
「よし、わたしの出番ね!」
ユエリシアが腕捲りをし、一歩前に出た。
マゼンタ色の髪を乱暴に結び直し、ピンクの衣装から覗く白い腕を、崩れ落ちた巨大な石材へと伸ばす。
「こんな岩、竜族の力にかかれば軽いものよ! よいしょっと!」
ユエリシアが両手で抱え上げたのは、大の大人が三人でも動かせないような巨大な石の塊だった。それを軽々と持ち上げ、崩落した水路の脇へと積み上げていく。背後のピンクのしっぽが、まるでバランスを取るかのように激しく動き、地面の砂利を弾き飛ばした。
「すごい力ね……相変わらず」
シルフィードが呆れたようにため息をついた。
「呆れている暇があるなら手伝え、風の精霊。わたしもこの忌々しい土仕事を片付ける」
カーラは重い翼を羽ばたかせ、風圧で水路の周囲の雑草や倒木を吹き飛ばした。さらに、手にした槍の柄を器用に使って、崩れかけた土砂を掻き出していく。
「アン、蒼依、私たちが石積みを元に戻すわよ。ガートルードは、もし崩落が起きそうになったら防御魔法で支えて!」
「了解!」
「任せて!」
アンの指示に従い、蒼依は霊波動を指先に集めた。
崩落した土砂の中に混ざる不要な「穢れ」と「泥の重さ」を、呪禁の術で縛り、分離していく。蒼依が手をかざすと、水路の泥が凝縮され、乾いた粘土の塊となって外へと排出された。
アンは風の刃で邪魔な根を正確に切り落とし、ユエリシアが運んできた新しい石材を、元の石積みの形状に合わせてはめ込んでいく。
「ふふ、息がぴったりね」
ユーナは水の流れを制御し、作業中の水路に水が入らないよう、バイパスを作って迂回させていた。水流が彼女の意志に従って空中を通り、崩落地点を飛び越えて下流へと注がれていく。
ガートルードは、崩れやすい斜面に白い魔力の障壁を展開し、上からの土砂流出を完全に防ぎ止めていた。
「みんな、急いで! 私の魔力が切れる前に!」
山奥の静寂の中、少女たちの荒い息遣いと、石が擦れ合う重い音だけが響き渡る。
サンゼンテンは、その光景を静かに見守っていた。
かつて彼が若かった頃、同じように村の連中と力を合わせて水路を直した記憶が、脳裏をよぎる。当時の仲間たちはもう誰もいない。しかし、目の前で汗を流し、泥にまみれて働く若い命の中に、確かに同じ「ハラを守る意志」が息づいているのを感じていた。
「……よし、最後の石じゃ!」
サンゼンテンの声と共に、ユエリシアが特大の天端石をはめ込んだ。
ドン、と重い金属のような音が響き、石積みが完全に閉鎖される。
「ユーナ、水を戻して!」
アンの合図で、ユーナが水の制御を解いた。
迂回していた山水が、一気に新しく修復された石積みの水路へと流れ込む。
最初は、工事の泥でわずかに茶色く濁った。
しかし、数十秒が経過するうちに、流れは急速に透明度を増していった。水底に敷き詰められた滑らかな小石が、夕暮れの木漏れ日を反射してキラキラと輝き始める。
濁りのない、透き通った山の水。
それが、ハラの村へと続く水路を勢いよく下っていった。
「やったあ……!」
蒼依はその場にへたり込み、額の汗を拭った。短い巫女装束の膝元はすっかり泥だらけだったが、その顔には満面の笑みが浮かんでいた。
「これで、お野菜の味も元に戻るわね」
アンも額の銀髪をかき上げ、満足げに微笑んだ。
「ええ。数日もすれば、土壌に溜まった泥も流されて、いつもの甘い蕪が収穫できるはずよ」
「……当然だ」
カーラは槍を地面に突き立て、息を整えながらフンと鼻を鳴らした。だが、その黄金の目は、綺麗になった水流を嬉しそうに見つめていた。背中の黒い翼が、心なしか軽やかに揺れている。
「これで、わたしの夕食の質は保証された。この労働に見合うだけの餃子を要求するぞ、ユエリシア」
「わかってるってば! 特製のニラ餃子、皮から手作りで山ほど焼いてあげるから!」
ユエリシアはピンクのしっぽをパタパタと振りながら、誇らしげに胸を張った。
サンゼンテンは、新しく築かれた石積みに近づき、その頑丈さを確かめるように太い手で叩いた。
「見事な仕事じゃ。これなら、あと100年は持ちこたえるな」
老人はそう言うと、腰から下げていた竹の筒を取り出し、水路から直接水を掬った。
ゴクゴクと喉を鳴らして飲み干し、ふう、と深い息を吐き出す。
「……美味い。これが、ハラの本来の水じゃ」
その言葉に誘われるように、蒼依たちも水路の縁にしゃがみ込み、冷たい水を手で掬って口に運んだ。
冷たく、喉を打つような鋭さの奥に、ほんのりと大地の甘みが広がる。
都市の「基準値」という無機質な言葉では決して測れない、豊かな命の味が、そこには確かに存在していた。
「本当……美味しい」
ガートルードが両手で包んだ水を飲み干し、マゼンタの目を輝かせた。
「これなら、お野菜もすぐに元気になりますね」
「そうね。自然の恵みは、やっぱり自分たちの手で守らないとね」
シルフィードもいつの間にか地面に降り立ち、冷たい水に指先を浸して楽しそうに笑っていた。
沈みかけた太陽が、山々の稜線を赤い絵の具で塗りつぶしていく。
ハラの村へと続く帰路は、行きよりもずっと足取りが軽かった。
泥だらけの靴音と、今夜のご馳走を巡る騒がしい笑い声が、静かな山道にいつまでも響き渡っていた。大地の匂いを孕んだ温かい風が、少女たちの背中を優しく押し、黄金色の田んぼが待つ麓へと導いていく。
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籠の中に並んだ蕪は、白く、瑞々しく張っていた。皮の表面には朝露が残り、陽光を浴びて真珠のような光沢を放っている。
天馬蒼依は、その中から小振りの一つを手に取り、齧りついた。







