Synopsis
海底国家マリーローズに宮廷料理バイトをしに来たフィオラ達ギャラリー黒竜のメンバー他。フィオラの妹ユエリシアがその腕を披露する! 失敗料理はブラックヴァルキリー・カーラがいただく!
Chapter1
海水と酸素を隔てる魔導の薄膜が、ぷるんと震えて背後で閉じた。
一歩足を踏み入れた先は、青の静寂に支配された世界。
火明星の東に広がる深海、海底国家マリーローズ。
見上げる視界を埋め尽くすのは、空ではなく、幾重にも重なる濃淡の蒼。時折、巨大な海獣の影が悠然と横切り、そのたびに宮廷の広間を照らす魔導光の飛沫が、鱗のようにきらめいた。
「いやぁ、やっぱり海の下ってのはいいもんだ。お姉さんたちの肌も、陸の上よりずっと潤って見える」
漆黒の鎧を纏った男、フレデリック=ローレンスが、出迎えた人魚の侍女たちに早速ウィンクを飛ばしている。
ミハエルが
「ミニスカキャラのパンチラがどうの」
と母国でネットゲームに興じている間、護衛という名目でこの華やかな海底の宮殿に同行したのは、この軟派な騎士だった。
彼の背後に控える面々は、普段ならヴァーレンス王国の「ギャラリー黒竜」を支える個性豊かな顔ぶれ。今日はバイトに留守を任せ、揃いも揃ってこの異郷の地へとやってきていた。
「フレッド、あまり羽目を外さないでくださいよっ。私たちは遊びに来たわけじゃあありませんから!」
長い水色の髪を揺らし、エルファーネ=ストラード=ブレイユがたしなめる。
額の一本角と背中の白い翼は、水中でも変わらぬ神聖な輝きを放っていた。その隣では、姉のユイリーナが興味深げに周囲の建築装飾を見渡している。
「でもエル、見て。あそこのサンゴの細工、風の流れを感じさせるような曲線だわ。空の上とはまた違う、水の自由さがあるのね」
姉妹の穏やかな会話を遮るように、鼻腔を突いたのは、むせ返るような磯の香り。
海底国家の住人にとって、魚介は日常。呼吸と同義の食事。
今回の依頼は、その「当たり前」を覆すこと。
「海のものには、もう飽き飽きなの。陸の香りがする、熱くて、脂の乗った、刺激的なものが食べたいわ!」
人魚たちの王妃が、宝石を散りばめた尾びれを苛立たしげに振るいながら、そう告げたのだ。
「……というわけで、出番ですよ。ユエリシアさん」
月日リアナが、少し緊張した面持ちで、調理台の前に立つ少女の背中を見つめた。
大学生活を悪魔に奪われ、この世界に流れ着いた彼女にとって、この非日常は未だに眩しすぎる。けれど、エプロンを締め直すユエリシアの背中には、確かな信頼感が宿っていた。
「任せて! 美味しいもの、いっぱい作っちゃうからね!」
ユエリシア=アマオカミ。
十二支神獣族、辰年の女。姉のフィオラが芸術家としての気まぐれを爆発させる一方で、彼女の情熱はすべて「食」へと注がれている。
彼女が調理台に並べたのは、ヴァーレンス王国から魔法の保冷箱で運び込んだ、最高級の「陸の肉」。
霜降りの牛肉、脂の乗った豚バラ、そして香り高いハーブやニンニク、香辛料の山。
「うわわぁ……すごい。この匂いだけで、人魚さんたちが気絶しそうですよ」
エルファーネが、透明な仕切り越しに広間を覗き込んだ。
そこには、期待と空腹で瞳をギラつかせた人魚たちが、わらわらと集まっている。中には、あまりの「異質な匂い」に、頬を上気させて尾びれを激しくパタつかせる者までいた。
「よし。まずは、レティちゃん、刻むの手伝って!」
「心得たでーす! 忍法、微塵切りの術!」
金髪のエルフ、レティチュ=ド=エーロが、青い忍者服の袖を捲り上げ、まな板の前に参上した。
彼女の手元で、数振りのクナイが銀色の閃光と化す。
トトトトトトト
と、驚異的なリズムで、玉ねぎとニンニクが吸い込まれるように細かな粒へと変わっていく。
「うん、いい手際ね。だが、香りの『圧』が足りないわ」
調理場の隅で、重厚な椅子をどこからか調達して踏ん反り返っているのは、フィオラ=アマオカミ。
深紅のスリットドレスから大胆に脚を出し、ルビー色の瞳を愉しげに細めている。
「ねぇフィオラ、手伝わないの? これだけの人数分、大変だよ」
ユイリーナが苦笑しながら尋ねるが、フィオラは手に持った和菓子を口に放り込むと、だらしなく笑った。
「私は芸術の監修。妹の料理が、この水の都というキャンバスにどう馴染むかを見届けるのが仕事よ。……あぁ、でも、そこにある肉を一口味見させてもらえるなら、少しは知恵を貸してもいいわよ?」
「フィオラ、さっきから食べてばっかり! もう、後でね!」
ユエリシアが頬を膨らませ、大きな鉄鍋に火を点ける。
魔力によって生み出された焔は、水中であっても消えることなく、むしろ青い水光を反射して幻想的な黄金色に燃え上がった。
じゅわっ、と、熱した油に肉が触れる音が響く。
その瞬間、海底の調理場を支配していた磯の香りが、一気に「陸」の暴力的なまでの芳香に塗り替えられた。
ニンニクの芽が踊り、肉の脂が弾ける音。
重厚な醤油とスパイスの香りが、魔導の排気システムを突き抜けて、宮廷の広間へと漏れ出していく。
「……っ、これは、反則だな」
それまで壁に寄りかかって欠伸をしていたブラックヴァルキリー・カーラが、黄金の目を大きく見開いた。
漆黒の翼をわずかに震わせ、彼女はふらふらと調理台に引き寄せられる。
「おい、ユエリシア。その肉、今すぐ一切れよこせ。これは……魂の価値に換算すれば、王国の貯蓄庫を半分空にしても足りないほどの『欲望』の匂いだ」
「カーラさんまで! まだ、味付けも終わってないですよ!」
ユエリシアは巨大な中華鍋を軽々と振り回す。
辰年の神獣としての膂力が、重い鉄鍋をまるで羽毛のように扱わせる。
今回、彼女がメインに据えたのは「特製・陸海空(おか・うみ・そら)知らずの爆烈スタミナ炒め」と「金貨餃子」。
あえて魚介を一切使わず、豚肉とニラの刺激、そして豆板醤の辛味を前面に押し出した料理だ。
「さあ、リアナちゃん! 餃子の皮、包むのやってみて!」
「えっ、わ、わたしですか!? でも、こんなにたくさん……」
リアナが戸惑いながらも、白いブラウスの袖をまくる。
彼女の手元には、レティチュが刻んだ具材が山のように積まれていた。
「大丈夫、リアナさんならできますよ。心を込めて、一つずつ」
エルファーネが優しく微笑み、自分も手伝うように横に並んだ。
水中宮殿のキッチンで、天使と忍者と現代の大学生が、ひたすら餃子を包む。
そのシュールな光景を、フレデリックはニヤニヤしながら眺めていた。
「いい。実にいい図だ。美女たちが一丸となって、飢えた民(人魚)のために食卓を囲む準備をする。これぞ、騎士が見るべき最高の夢だね」
「フレッド、見ている暇があるなら、あっちの広間に飲み物を運んでください。人魚さんたち、匂いだけで喉が渇いてるみたいですよ」
ユイリーナに促され、フレデリックは肩をすくめた。
「承知したよ、お姫様。さあて、水の中で飲む極上のワイン、お姉さんたちに振る舞ってくるとしようか」
調理は佳境に入る。
ユエリシアの瞳に、竜の因子の輝きが宿る。
彼女は空中から魔力で作り出した水を一気に中華鍋に注ぎ、蓋を閉じた。
「蒸し」の工程。
鉄鍋の中で、肉の旨味が凝縮され、ニンニクの香りが皮の奥深くまで浸透していく。
広間の静寂が、期待で張り詰めている。
人魚たちは、もはや会話も忘れ、調理場の薄膜に顔を押し付けるようにして中を覗き込んでいた。
「よし……完成! レティちゃん、エルちゃん、配膳お願い!」
「承知でーす!」
「はい、運びますね!」
魔導の台車に乗せられたのは、黄金色に焼き上がった巨大な円盤状の餃子。
そして、立ち昇る湯気と共に現れた、真っ赤なソースを纏った肉の山。
海底ではまずお目にかかれない、視覚的にも嗅覚的にも強烈な「陸の料理」。
人魚の王妃の前に、最初の一皿が置かれた。
彼女は疑り深い目で、その茶色い塊――餃子を見つめた。
「これが……陸の料理? ずいぶんと……無骨なのね」
フォークで突つくと、カリッとした感触。
彼女は意を決して、それを口に運んだ。
パリッ。
静かな広間に、皮が砕ける心地よい音が響いた。
次の瞬間、彼女の瞳が、これ以上ないほど見開かれた。
「……っ!!」
溢れ出す、熱い肉汁。
海水の温度とは明らかに異なる、暴力的なまでの「熱」。
そして、鼻を突き抜けるニンニクとニラの刺激。
深海で淡い味の魚ばかりを食べてきた彼女の味覚にとって、それはまさに雷鳴が落ちたような衝撃だった。
「……おかわり! おかわりを出しなさい! これは、何!? 体が、熱くなる……尾びれの先まで、血が巡るのがわかるわ!」
王妃の絶叫を皮切りに、広場は狂乱の渦へと変わった。
「なんだこの味は! 噛むたびに元気が湧いてくるぞ!」
「あぁ、このピリピリする感じ……癖になる! 海藻なんて、もう見てたくない!」
「陸の人間は、毎日こんな美味しいものを食べているのか!?」
人魚たちが、我先にと料理に群がる。
その様子を、ユエリシアは腰に手を当てて、満面の笑みで見守っていた。
「えへへ、よかった。みんな、お腹空いてたんだね」
だがそれで終わりというわけではなかった!
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
一方、その頃。
ヴァーレンス王国の公爵邸では、ミハエルがソファに寝転がりながら、虚空を睨んでいた。
「……あー、ダメだ。今のパンチラ、一瞬だった。もっと……こう、カメラアングルを下に……」
彼は、自分が送り出した美女たちが、海底で伝説的な料理の宴を繰り広げていることなど露ほども知らず、ただひたすらに、ポリゴンで作られたスカートの裾を追っていた。
「ま、平和が一番だよな。まじでさ」
独り言と共に、彼はコントローラーを握り直す。
海底国家マリーローズ。
そこには今、潮の香りを消し飛ばすほどの、香ばしいニンニクの匂いが満ち溢れていた。
それは、陸からやってきた者たちが残した、あまりにも熱く、あまりにも鮮やかな、一夜の夢の香りだった。
「……ユーシャ。もう一皿、作ってくれ! 今度は、わたしのために」
カーラが、少しだけ照れ臭そうに、皿を差し出した。
漆黒の翼を小さく畳み、かつての戦乙女は、少女のように目を輝かせている。
「もちろん! 特盛りでいくね!」
泡の向こう側で、人魚たちの歌声が響く。
それは、これまでのような哀愁を帯びた旋律ではなく、どこか力強く、明日への活力を感じさせる、熱い生命の歌だった。
ユエリシアは再び、重い中華鍋を握った。
彼女の冒険は、まだ始まったばかり。
食卓という名の戦場で、彼女はこれからも、多くの人々の心に、消えない火を灯し続けていくのだろう。
「さあ、みんな! まだまだ焼くよー!」
青い海の下。
一番熱い場所が、そこにはあった。
「……あ。ねぇ、エル、フレッド。もしミハエルさんがこれを知ったら、どう思うかな?」
ふと、ユイリーナが思い出したように呟いた。
「そうですね……
『なんでわたしも連れて行かなかったんだー!』
って、きっと騒ぎますよ。あ、でも、今はパンチラに夢中なんでしたっけ?」
エルファーネの言葉に、全員が顔を見合わせ、そして、深い海の底で明るい笑い声を上げた。
水圧さえも跳ね返す、賑やかな笑い声。
それが、何よりの隠し味だったのかもしれない。
宮廷の広間では、人魚の若者たちが、口の周りを醤油だらけにしながら、幸せそうに尾びれを揺らし続けていた。
陸の文化が、海の底で、確かに花開いた瞬間だった。
が、まだ戦いは終わらない。
Latest Chapters
深海に沈む宮廷を包み込んでいた、あの暴力的で芳醇な「肉の焦げる匂い」が、ゆっくりと潮風――あるいは魔導の換気システムによって吸い出されていく。残されたのは、真珠の粉をぶちまけたよ
深い、深い、蒼。光さえも屈折し、粘り気を持つ水の重圧が宮殿を包んでいる。
海底国家マリーローズの謁見の間。そこには、陸上の住人が一生かかっても目にすることのない「静寂」が支配していた
深海に沈む、静止した蒼の世界。
海底国家マリーローズの宮廷を支配するのは、重く、粘りつくような水の沈黙。そこでは、音も匂いも、陸のそれとは全く異なる法則に縛られている。揺らめく発光サ
海水と酸素を隔てる魔導の薄膜が、ぷるんと震えて背後で閉じた。
一歩足を踏み入れた先は、青の静寂に支配された世界。
火明星の東に広がる深海、海底国家マリーローズ。
見上







