Synopsis
ついに大魔王ゾーマの城にたどり着いた、勇者ジャン。しかし、彼が率いるパーティメンバーは皆、強烈な個性の塊のようなメンバー。ジャンは胃を薬草で労わりながらゾーマの城へ突撃するが⋯!?(ドラゴンクエスト3より)
Chapter1
薄暗い石造りの教会には、絶えず冷気がよどんでいる。
かすかに漂うのは、長年燻されてきた安物の香の匂いと、乾いた土の気配。祭壇の前に並べられた三つの棺桶は、どれも酷く傷ついていた。角が削れ、表面には魔物の爪が走らせた深い溝が白く残っている。
「復活させてよろしいですかな?」
老神父の問いかけは、乾いた紙を擦り合わせるような響きだった。その声が鼓膜に届くたび、胃の奥が小さく痙攣する。
革の財布を握る指先が、冷え切っていた。中に残っているゴールドの重みを確認する。大魔王の城の、ほんの入り口で叩き伏せられた代償としては、あまりにも重い端数だった。
「あぁ、頼むよ⋯」
掠れた声を出した。
神父の手が、厳かに、しかし事務的に動く。呪文の詠唱が始まると、堂内に満ちる光の粒子が棺の隙間からこぼれ出た。蓋が内側から押し上げられ、重い摩擦音が狭い礼拝堂に反響する。
これで、何度目になるのだろうか。
旅を始めた頃の、あの高潔な使命感は、今や胃壁を削り取る酸性の熱へと形を変えていた。世界を救う勇者という名誉な肩書よりも、ただ、明日の朝に痛みのない腹で目覚めたいという切実な願いが勝る。
生き返ったばかりの三人を引き連れ、町の片隅にある酒場へと足を向けた。
扉を開けると、油と安酒の混ざり合った熱気が顔を打つ。騒音の中に身を沈めることで、ようやく死の淵から戻ってきたという実感が、泥のように身体へ染み込んできた。
テーブルの端の席を陣取り、ジャンは小さく息を吐き出す。木肌の剥げたテーブルを見つめる視界の端で、金色の塊が激しく揺れた。
「許さない!私のどこがイケないのよぉぉ!いかないでぇぇぇ!」
フランがテーブルに突っ伏し、獣のような声を上げて泣き始める。
綺麗に切り揃えられた金髪のツインテールが、こぼれたスープの皿に浸かりそうになっていた。すかさずその頭を掴み、皿から遠ざける。
彼女は拳でテーブルを叩いた。格闘家としての鍛錬が積まれた拳は、手加減されているとはいえ、ぶ厚いオークの板をみしりと軋ませる。この一撃が魔物の急所に当たれば一撃で粉砕できるというのに、今はただ、実らぬ恋の怨嗟をぶつける道具に成り下がっていた。
彼女がこの旅に同行した理由は、いたってシンプルだった。
強すぎるがゆえに同郷の男たちから恐れられ、行き遅れかけた彼女が求めたのは「生涯を共にする頑強な伴侶」だ。旅の途中で強い男を見つけてはアプローチをかける。だが、その手法が致命的だった。
一度目を付けた男の行動を分単位で把握しようとし、少しでも視線が他の女に向かえば、泣き叫びながら宿屋の壁を破壊する。当然、男たちは夜逃げ同然に姿を消す。残されるのは、さらに歪んだ被害妄想と、彼女の圧倒的な破壊力だけだった。
顔立ちだけは、無駄と言っていいほど整っている。旅の酒場で男が声をかけてくる初期段階までは極めてスムーズに進むのが、この悲劇をより一層深刻なループへと叩き込んでいた。
「フランちゃんっ!女の子は傷ついて傷ついて恋を成就させるのよ!私、フランちゃんが報われるまで応援しちゃうから!」
隣から、野太いながらも妙に甲高い声が響く。
メキが、フランの背中を大きな手のひらで叩いていた。その親切な慰めは、叩かれるたびにフランの肺から空気が押し出されるような鈍い音を伴っている。
顎には青々とした剃り跡があり、立派な髭が蓄えられている。それにもかかわらず、その身体を包んでいるのは、聖なる光を放つ「ひかりのドレス」だった。女性用の防具として最高峰の性能を誇るそれが、彼の逞しい胸板と発達した大腿四頭筋によって、張り裂けんばかりに引き伸ばされている。
元は名の知れた高名な戦士だった。戦場での獅子奮迅の働きは今でも語り草だが、さとりの書を使い賢者へ転職する際、己の中の違う「さとり」に目覚め、おねぇ賢者へと転身した。
彼の呪文の精度と、かつての戦士としての肉体から繰り出される力は、間違いなくこの風変わりなパーティの攻守の要だ。しかし、彼が同行する条件は「気に入った子がいること」だけだった。ジャンとフランという若者を気に入ったがために、このおねぇ賢者はひらひらとドレスの裾を翻しながら、魔王討伐の最前線に立っている。
「⋯⋯アメリはどこいった?」
ジャンは眉間を指で揉みほぐしながら呟いた。
さっきまでそこに転がっていたはずの、もう一人の仲間の姿が見当たらない。
「あらんっ!アメリったらまたお化粧直しだわっ!あの厚化粧のケバケバ小娘!」
メキが、不自然に整えられた眉を吊り上げてグラスを置く。
アメリ。元僧侶で、今は戦士。
僧侶としての回復魔法の知識を持ちながら、戦士としての腕力も備える万能の存在だ。彼女が真面目に動きさえすれば、ゾーマの城の1階など、本来は通過点に過ぎないはずだった。
だが、その実力を発揮するのは「気が向いた時」に限られる。
「あん?うるせえよ!このカマ賢者!化粧がバチッと決まらないとテンション上がんねえんだよ!おい!店員!こっちに早くエール持ってこい!」
乱暴に木枠のドアが蹴り開けられ、香水の匂いがテーブルに雪崩れ込んできた。
戻ってきたアメリは、細く整えられた眉の鋭さをさらに強調し、目の周りを黒く縁取っていた。唇には、この地方の市場では見かけないような紫色のグロスが厚く塗られている。ゆるやかに巻かれた髪を派手に振り乱しながら、彼女はジャンたちの対面にどさりと腰を下ろした。
彼女が身につけているのは、伝説の防具「しんぴのビキニ」のはずだった。しかし、その布地は彼女自身の手によって大幅に切り詰められ、神秘性など微塵もない、ただの露出度の高い衣装へと改造されている。
聖職者の家系に生まれ、厳格な修行を強いられた反動だった。彼女は自由を求め、教会を飛び出し、ヤンチャなギャルとしての生を謳歌していた。まともな回復魔法を使えるのに、頑なに棍棒を振り回したがるのも、過去の窮屈な日々への当てつけのようだった。
「ジャン、あんたも暗い顔してんじゃないわよ。ほら、飲みなよ!」
アメリが運ばれてきた大ぶりのジョッキをジャンの前に押し付ける。
泡の溢れる琥珀色の液体を見つめると、胃の腑がズキリと疼いた。ジャンは静かに首を振り、腰のポーチから乾燥した薬草の束を取り出す。
それは、本来なら戦闘中の傷を癒やすための薬草だった。だが、今のジャンにとっては、胃の粘膜を保護するための常用薬となっていた。
一枚の葉を口に含み、奥歯で噛みしめる。
薬草特有の、鼻に抜ける青臭さと強烈な苦味が舌の上に広がっていく。その苦痛が、不思議と胃の不快感を一時的に麻痺させてくれた。
「明日も、また行くのよねぇ、あの小汚い城へ」
メキが、太い指先でグラスの縁をなぞりながら、少しだけ声を低くした。
酒場全体の喧騒が、一瞬だけ遠のく。
ゾーマの城。
世界を闇に突き落とした根源が潜む場所。その門をくぐった瞬間に肌を刺すあの濃密な瘴気と、冷徹な魔物たちの連携。今日、彼らが全滅した時の記憶が、痛覚とともに蘇る。
フランの突きが狂乱の戦士の盾に弾かれ、彼女が動揺して叫び声を上げた瞬間、陣形は崩壊した。アメリは自分の爪が割れたことに激怒して前線を離脱し、メキは彼らを守るためにひかりのドレスの袖を破りながら大呪文を唱えたが、最後には圧倒的な暴力の前に沈んだ。
ジャンが最期に見たのは、薄暗い天井と、冷たい石の床に広がる仲間たちの血の海だった。
「許せないわ⋯次こそは、私の愛を分かってくれる素敵な戦士様を見つけて見せるんだから⋯!」
フランが涙を拭い、鼻を赤くしながら言った。ターゲットがずれている。大魔王の城は合コンの会場ではない。
「アタシのこの新しいアイシャドウ、魔王の闇の中でも映えるかしら?ねえ、ジャン、どっちがいいと思う?」
アメリが顔を近づけてくる。紫色の唇から漂う強い酒の香りに、頭痛が加わりそうになる。
「⋯⋯どっちでもいい。魔物は化粧なんて見てない」
「はぁ?あんた本当にデリカシーないわね。だからいつまで経っても童貞臭が抜けないのよ」
アメリがつまらなそうに鼻を鳴らし、エールを一気に煽る。
ジャンは黙って、もう一枚、薬草の葉をちぎって口に放り込んだ。
彼らには才能がある。それは紛れもない事実だった。生き返るたびに、彼らの身体は確実に強くなっている。死線をくぐるたびに、その異常なまでの生命力は研ぎ澄まされていくのだ。
しかし、それと同等かそれ以上の速度で、ジャンの精神は削り取られていく。
世界の人々は、選ばれし勇者とその仲間たちが、一糸乱れぬ団結力で魔王に立ち向かっていると信じている。城下町で浴びせられる歓声や、王からの重々しい言葉が、今のジャンには冷たい鉄の枷のように感じられた。
夜が更けていく。
酒場の明かりが少しずつ落とされ、他の客たちもまばらになっていく中、三人の会話は相変わらず噛み合わないまま続いていた。
フランは逃げた男の愚痴を言い続け、メキは美容と筋肉の維持について語り、アメリは明日の装備のカスタマイズについて熱弁を振るっている。
ジャンは席を立ち、一人で店の外に出た。
夜風は冷たく、火照った皮膚を優しく撫でる。
見上げる夜空の向こう、はるか北方には、重苦しい黒雲が渦巻いている。あの雲の向下に、大魔王ゾーマの根城がある。
明日になれば、またあの門を叩かねばならない。
死の恐怖は、すでに麻痺していた。何度も死んで、何度も生き返った。感覚が擦り切れるほどの経験が、死をただの「一時的な機能停止」に変えてしまっていた。
恐怖よりも重くジャンにのしかかるのは、明日もまた、この愛すべき、そして致命的に面倒な仲間たちの背中を追いかけ、彼らの我が儘に振り回されながら、自らの胃を痛め続けるという確実な未来だった。
「はぁ⋯」
誰もいない路地裏で、今日何度目か分からないため息がこぼれた。
ジャンは左手でそっと腹部を押さえる。鈍い痛みが、暗闇の中で静かに脈打っていた。
腰の剣の重みを確認し、彼はもう一度、懐のポーチに手を伸ばす。明日を生き延びるために必要なのは、聖なる剣でも、伝説の盾でもない。
ただ、この痛みを和らげてくれる、苦い緑の葉だけだった。
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ゾーマの城が、見上げるような鈍色の空の下に聳えていた。
分厚い雲の隙間から差す朝の光は、城壁に触れる前に冷え切って、ただただ灰色の石を照らし出している。吐く息が
宿屋の薄暗い一角で、掌の上の赤黒い粒を見つめていた。指先で転がすと、ざらついた皮の奥でかすかに脈打つような熱を感じる。メキに見せたあの劇的な変化が一時的なものであることは確
神父が差し出した手のひらは、慈悲深いというよりは、冷酷な徴収官のそれに見えた。
祭壇に置かれた三つの棺桶。その蓋を叩くたび、虚しい空洞の音が教会に響く。ジャンは震える指先で、使い古し







