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レガリアの継承者 外伝 〜王冠より重き絆〜

レガリアの継承者 外伝 〜王冠より重き絆〜

Last Updated: 2026-06-16 01:48:36
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Synopsis

亡国の王子アレンが辺境で「夜明けの国」を築き始めた頃、かつての祖国アーデルハイドでは、兄ガイアスが傀儡の王として玉座に縛られていた。父王を失い、妹セレスティアを人質に取られ、叔父ヴォルフラムの命に従うしかない日々。そんな彼に下された王命は、生きていた弟アレンを「反逆者」として討つことだった。


王家の守護巨神アルビオンに乗り、討伐軍を率いて灰の街道を進むガイアス。焼けた村、飢える民、逃げ惑う難民たちを目にするうち、彼は自分が守ろうとしていた「国」の正体に疑問を抱き始める。


やがて戦場で再会する兄弟。アレンは王座を奪うためではなく、目の前の民を明日まで生かすために剣を取っていた。弟を討てと命じる王冠。兄として呼びかける「兄さん」の声。民へ向けられる砲口。そのすべてを前に、ガイアスはついに選ぶ。


王冠よりも重いものがある。 それは、斬り捨ててはならない絆だった。


弟を殺す王にはならない。 そう誓った時、沈黙していたアルビオンが真の王命に応える。


Chapter1

 王冠は、思っていたほど重くはなかった。

 幼い頃のガイアスは、父王アルトリウスの頭上に輝くそれを、もっと特別なものだと思っていた。戴冠式の日、光を受けて燦然と輝く黄金の輪。臣下たちは膝をつき、民は歓声を上げ、楽師たちは勝利の曲を奏でる。

 王冠とは、きっと太陽のように温かいものなのだと、そう思っていた。

 だが、実際に額へ載せられたそれは、ただ冷たかった。

 金属の内側が、骨まで凍らせるように冷えている。まるで、死者の手が額を撫でているようだった。

 大聖堂の天井には、聖輪を模した巨大な円環のステンドグラスが嵌め込まれている。赤、青、金、白。無数の色が朝の光を受け、床へ神々しい模様を落としていた。その光の中心に、ガイアスは立っていた。

 アーデルハイド王家の長子として。

 鉄血のアイゼンリッター王国の新たなる王として。

 けれど、祝福の光を浴びているはずの彼の耳には、歓声など届いていなかった。

 聞こえていたのは、五年前の炎の音だった。

 燃え落ちる王都。

 砕ける城門。

 夜空を裂いた黒い巨神の咆哮。

 父王アルトリウスが、王家の守護巨神アルビオンに乗り込む時の背中。

 そして、二度と戻らなかったその背中。

 遠くで、幼い弟が泣いていた。

 ――兄さん。

 あの声は、今も耳の奥に残っている。

 父を失い、弟を失い、妹を守ることすらできなかった日。ガイアスの中で、何かが折れた。

 それでも、彼は立っていた。

 立たされていた。

「笑え、陛下」

 隣に立つ男が、唇をほとんど動かさずに囁いた。

 叔父ヴォルフラム。

 摂政にして、今やこの国の実権を握る男。

 黒い軍服に身を包んだ彼は、祭壇の脇で深々と頭を垂れていた。だが、その姿勢は忠誠ではない。獲物を前にした猛禽が、翼を畳んでいるだけに見えた。

「民は強い王を求めている」

 ガイアスは、笑った。

 笑ったつもりだった。

 大聖堂に集まった貴族たちが拍手を強める。将軍たちが剣を掲げる。聖職者たちが声を揃えて祈りを捧げる。

 新王万歳。

 鉄血の王に栄光あれ。

 アイゼンリッターに永遠の勝利を。

 その声の中で、ガイアスはただ一つのことを悟っていた。

 これは戴冠ではない。

拘束だ。

 王冠は、鎖だった。

     *

「――陛下」

 低い声に呼ばれ、ガイアスは意識を現在へ戻した。

 王城北翼、黒鉄の軍議室。

 壁一面には大陸西方の地図が掲げられ、各地に赤と黒の駒が置かれている。国境線。街道。要塞。鉱山。水源。そこに暮らす民の顔など、地図の上には一つも描かれていない。

 描かれているのは、奪うべき土地と、守るべき線だけだった。

 長卓の左右には、王国軍の将軍たちが並んでいる。誰もが鋼のような顔をしていた。いや、鋼で顔を覆っているだけなのかもしれない。そうでなければ、この部屋で交わされる言葉に耐えられない。

 ガイアスは上座に座っていた。

 王の椅子に。

 しかし、彼の隣には常にヴォルフラムが立っている。

 それだけで、この国の本当の中心がどこにあるかは明らかだった。

「辺境より、追加の報告が入りました」

 参謀の一人が羊皮紙を読み上げる。

「旧アーデルハイド西方辺境、通称“肋骨原”周辺にて、難民、敗残兵、盗賊、異種族の集団が結集。指導者は自らを“夜明けの国の王”と称しているとのこと」

夜明けの国。

 その名を聞いた瞬間、軍議室の空気がわずかに歪んだ。

 嘲笑する者。眉をひそめる者。興味深そうに地図を見る者。

 ガイアスだけが、何も言わなかった。

 ただ、卓の下で拳を握った。

 辺境に国など作れるはずがない。

 あの土地は神にも見捨てられた荒野だ。

 水は少なく、魔物は多く、星の欠片を狙う連中が毎年のように死ぬ。

 そんな場所で国を名乗るなど、狂気か、奇跡か、そのどちらかだった。

「反乱勢力と見るべきでしょう」

 老将軍が言った。

「難民と称してはおりますが、実態は王国に不満を持つ者どもの寄せ集め。放置すれば周辺諸侯に動揺が広がります」

「加えて、指導者の名が問題です」

 別の将校が言葉を継ぐ。

 ガイアスは、聞きたくなかった。

 だが、王は聞かなければならない。

「首魁の名は――アレン・フォン・アーデルハイド

 誰かが、わずかに息を呑んだ。

 ガイアスの耳の奥で、あの夜の声が蘇る。

 兄さん。

 幼い弟の声。

 火の粉の中で振り返った顔。

 乳母エルザに抱えられ、遠ざかっていく小さな背中。

 死んだと思っていた。

 いや、死んだと思うことでしか、耐えられなかった。

 生きているかもしれないと考えれば、探しに行きたくなる。

 探しに行けば、セレスティアを置いていくことになる。

 セレスティアを置いていけば、叔父の手が彼女に伸びる。

 だからガイアスは、弟は死んだのだと、自分に言い聞かせてきた。

 その名前が今、反逆者として軍議室に置かれている。

「偽名の可能性は」

 ガイアスは、ようやくそれだけを言った。

 声は思ったよりも平静だった。

 将校が答える。

「当初はその線も疑いました。しかし複数の証言が一致しております。年齢、外見、王家特有の青銀の髪。そして――」

 一瞬、将校はためらった。

 ヴォルフラムが視線だけで続きを促す。

「神機級と思われる白銀の巨神を起動させた、との報告が」

 軍議室がざわめいた。

 神機。

 その言葉は、将軍たちからさえ冷静さを奪う。

 王威の巨人アルビオンを擁するアーデルハイド王家は、かつて西方でも屈指の名門だった。だが、神機は別格だ。伝説の中にしか存在しない、世界の運命そのものに干渉すると言われる巨神。

 もし弟が本当に神機を得たのなら。

 もし、死んだはずのアレンが、辺境で王として立ち上がったのなら。

 ガイアスは、胸の奥で何かが震えるのを感じた。

 喜びだった。

 恐怖だった。

 あるいは、五年ぶりに息を吹き返そうとする自分自身だった。

「陛下」

 ヴォルフラムが静かに言った。

 その声で、胸の震えは凍りつく。

「これは、王国の根幹に関わる問題です」

 彼は長卓の上へ、一枚の黒い駒を置いた。王都を示す駒。そのすぐ西に、白い小さな駒が置かれる。辺境の反乱勢力を示すものだろう。

「旧王家の血を引く者が、王を名乗り、巨神を得た。辺境の難民どもがそれに従った。これを放置すれば、各地の諸侯はどう見るでしょうな」

 ヴォルフラムはガイアスを見ない。

 地図を見ている。

 まるで、ガイアス自身もまた地図上の駒の一つでしかないように。

「この国には、二人の王がいる。そう囁く者が出るでしょう」

 老将軍が頷く。

「王権の分裂は内乱を呼びます」

「内乱は周辺諸国を呼び込みます」

聖輪教会も黙ってはいないでしょう」

「ならば、早期に芽を摘むべきです」

 言葉が次々と積み重なる。

 反乱。

 偽王。

 討伐。

 粛清。

 秩序回復。

 そこには弟の名がない。

 誰一人、アレンと呼ばない。

 ガイアスは、長卓の木目を見つめた。

 爪が掌に食い込むほど拳を握っていた。

 言え。

 あれは俺の弟だと。

 死んだと思っていた弟が生きていたのだと。

 まずは使者を送るべきだと。

 話を聞くべきだと。

 戦う前に、兄として会いたいのだと。

 言え。

 だが、口は動かなかった。

 この部屋には、ヴォルフラムの目がある。

 将軍たちの耳がある。

 そして、王城の奥にはセレスティアがいる。

「陛下」

 ヴォルフラムが、今度はガイアスを見た。

 その瞳に怒りはない。

 失望もない。

 ただ、試すような冷たさだけがあった。

「王命を」

 王命。

 その二文字が、喉に刃のように触れる。

 ガイアスは問うた。

「……討伐軍の規模は」

 自分の声が、どこか遠くから聞こえた。

 参謀が即座に答える。

「辺境軍二個旅団を基幹に、機兵隊を三個中隊。さらに、陛下自らアルビオンで御親征なされば、反乱勢力の士気は一戦で崩れましょう」

「俺が出る必要があるのか」

「ございます」

 ヴォルフラムが答えた。

「反逆者が王族の名を騙る以上、本物の王が討つ。それが最も明快です」

 本物の王。

 その言葉が、ひどく滑稽に聞こえた。

 本物の王なら、なぜ自分の命令一つ自由に出せない。

 本物の王なら、なぜ妹一人守れない。

 本物の王なら、なぜ弟の名を聞いて立ち上がることすらできない。

 ガイアスは唇を噛んだ。

「……アレンが本物だった場合は」

 軍議室が静まり返った。

 それは、王としては口にすべきではない問いだった。

 ヴォルフラムだけが、表情を変えなかった。

「であれば、なおのこと討つべきです」

 叔父の声は穏やかだった。

「血筋とは、時に旗になります。旗は、人を集める。人を集めれば、戦が起こる。陛下もご存じのはずだ。国を守るためには、切り落とさねばならぬ枝がある」

「弟でもか」

 気づいた時には、言葉が漏れていた。

 将軍たちが硬直する。

 ヴォルフラムは、少しだけ目を細めた。

「弟だからです」

 その返答に、ガイアスは息を止めた。

「敵であれば倒せばよい。偽物であれば暴けばよい。しかし、弟であるならば、陛下の王位を脅かす最も危険な存在となる。陛下が迷えば、国が迷う。国が迷えば、民が死ぬ」

「……」

「王とは、最も多くを救うため、最も大切なものから切り捨てる者です」

 静かな声だった。

 だが、その言葉は軍議室の石床よりも冷たい。

 ガイアスは、反論できなかった。

 ヴォルフラムの理屈は間違っていないように聞こえる。

 戦乱の世では、迷いは死を呼ぶ。

 王権の分裂は内乱を呼ぶ。

 内乱は民を殺す。

 だが。

 それでも。

 弟を殺して守る国とは、何なのか。

 そう問いかける声が、胸の奥にあった。

 その時、ヴォルフラムがわずかに身を屈めた。

 臣下が王に耳打ちする姿勢。

 だが、その声は毒だった。

「そういえば、セレスティア様が昨夜もお加減を崩されたとか」

 ガイアスの呼吸が止まる。

「医師には手厚く看させております。ご安心を。陛下が王としてお務めを果たされる限り、王妹殿下の身は、王城で最も安全でありましょう」

 脅しではない。

 少なくとも、言葉だけを見れば。

 だが意味は一つだった。

 逆らうな。

 ガイアスは椅子の肘掛けを握った。

 視界の端で、地図の上の白い駒が揺れて見える。

 弟を示す駒。

 辺境に立つ、死んだはずの血。

 そして、王都の奥にいる妹。

 片方を選べば、片方を失う。

 ガイアスは目を閉じた。

 王冠の冷たさが、額に蘇る。

「……反乱勢力を討つ」

 軍議室の空気が動いた。

 将軍たちが一斉に姿勢を正す。

 ガイアスは続けた。

「辺境討伐軍を編成。三日後、王都を発つ」

 声は震えなかった。

 震えなかったことが、何よりも恐ろしかった。

 老将軍が深く頭を下げる。

「御意」

 参謀たちが命令書を走り書きする。

 地図上の黒い駒が西へ動かされる。

 それはもう、戦争が始まったことを意味していた。

 ヴォルフラムが満足げに頷く。

「ご立派なご決断です、陛下」

 ガイアスは彼を見なかった。

「アルビオンを出す」

 その一言を口にした瞬間、遠くで音が鳴った。

 王城地下、巨神格納庫の方角。

 石の壁を越え、鉄の扉を越え、地の底から響くような低い音。

 ゴォン――。

 古い鐘の音に似ていた。

 軍議室の者たちは気づかなかった。

 あるいは、気づいても風の音だと思ったのかもしれない。

 だがガイアスには分かった。

 アルビオンだ。

 沈黙していた父の巨神が、今、確かに鳴った。

 まるで、眠っていた何かが、ガイアスの罪を聞き届けたように。

 まるで、亡き父が問いかけているように。

 ――その剣は、誰のために振るう。

 ガイアスは答えられなかった。

 王として弟を討つと命じたばかりの口で、答えられるはずがなかった。

 ただ、膝の上で握った拳だけが、わずかに震えていた。

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