ぽきもん逃がしマスター
Synopsis
君に、決めないぜ! 野生動物を逃がすホワイトライガー女! Seabellのお題に沿って出したオマージュ・パロディ小説。
Chapter1
風の匂いが変わったのは、足を踏み入れてから十歩目だった。
サリサ=アドレット=ティーガーは、白い耳をぴくりと動かし、立ち止まる。銀の髪が背中でゆるく波打ち、すり抜けるような日差しを受けてきらめいた。視界の端に広がるのは、見慣れない町並み——レンガ造りの小屋が並び、屋根の上で丸い生物が「ププッ」と鳴いている。人々の腰には、赤い光を宿した小さな球体が揺れていた。
「……ここは、どこの領域?」
つぶやきは、すぐに風に攫われる。右の赤い瞳と左の金色の瞳で、同じ景色を二度見る。二度目は、もっと正直に「痛々しい」ものとして映った。丸い球の中で、水を得た魚のように暴れる黒い影。鎖ではないが、逃げられないことに変わりはない。
サリサの耳が、ぴんと背筋を向いた。しっぽが、スカートの裾を押しのけるようにして大きく弧を描く。ざらり、と喉の奥で響く自分の声。
「かわいそうじゃない?」
声は小さかったが、足取りは迷わない。白いブーツが、石畳を蹴る。三段フリルのスカートが、くるりと弧を描いた。
――五分後、サリサは三人のトレーナーを見下ろしていた。
最初の少年は、緑の帽子を目深にかぶり、肩で息をしている。右手に握った球——彼らは「モンスターボール」と呼ぶらしい——が、びくびくと震えている。中身は、先ほどから
「ピカ……ピカ……」
と弱々しい声を上げている黄色いねずみのような生き物だった。
「ちびっ子。勝負、してもらうわ」
サリサは、両手を腰に当て、静かに告げる。少年は面食らったように
「ポ、ポケモンを出さないの?」
と訊き返す。サリサは首を振るだけ。必要ない。彼女の体には、天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊が刻みつけた霊気の奔流がある。年を食わぬ命。白虎より希少な、白いライガーの因子。こんな小さな檻の中の生命を、さらに痛めつける必要などどこにもない。
「ふぅん」
気の吐息が、陽光を裂いた。サリサは、ゆるりと右手を掲げる。指先に、白い靄のようなものが渦を巻く。一瞬、風が止んだ。次の瞬間、彼女の掌から放たれた白い波が、空気を薙いで迸った。
轟音は、まるで大きな太鼓を一発叩いただけだった。だが、少年の正面に立っていたコイル——灰色の巻き貝のようなポケモンは、音もなく吹き飛んだ。地面を三回転ばかり転がり、がくんと首を折るようにして動かなくなる。ボールに戻される音が、小さく響いた。
「……まさか、一撃……?」
少年の唇が震える。サリサは、ふわりと両足から離れる。霊波動が彼女の体を包み、宙に浮かべる。ゆっくり、三メートルほどの高さから、少年の目の前に降り立つ。銀の髪が、まるで羽のように広がった。
「逃がせって。野生動物」
しっぽを、ぱしり、と一度振る。先端が、石畳を軽く打つ。少年は、帽子のつばを押し上げて、顔を強張らせた。後ろに控えていた二人のトレーナーも、言葉を失っている。誰もが、ポケモンを使わずに戦う相手を初めて見たのだろう。
「野生動物じゃない! ポケモンよ!」
声は、震えていた。少年ではなく、後ろに立つ女性——会社の制服のようなジャケットを着たOLトレーナーだった。半泣きの声に、サリサは眉をひそめる。
「……ポケ、モン?」
「そう……これは、私たちの相棒なの!」
女性は、震える手でボールを掲げる。中で、ピンクのねずみ——シルフ、と名乗った——が、小さく鳴いた。耳を押さえるように丸まっている。サリサは、息を吸い込む。胸の奥で、ざわりと熱が広がった。
「相棒、ねえ」
彼女は、ゆっくりと女性に歩み寄る。一歩ごとに、霊波動が地面をなでるように広がり、小石がころころと転がる。女性の瞳が、大きく揺れる。サリサは、すぐ鼻先まで近づくと、小さく首を傾げた。
「なら、もっと大事にしたらどう?」
「……え?」
「勝負は、私の勝ち。約束通り、見返りをいただくわ」
女性は、ぎゅっとボールを胸に抱きしめる。指が、白くなるほど力がこもる。サリサは、声を柔らげた。
「この世界の状況を、わたしに教えて」
――五分後、近くの公園ベンチ。女性——名をリサ、と名乗った——は、膝の上にノートパソコンを開いていた。画面に映るのは、無数の光の流れ。彼女は「ポケノン」と呼ぶ、ポケモン専用の仮想空間だった。
「逃げられたり、捨てられたりしたポケモンは、ここに保護されるの。ネットの海の先——つまり、サーバーの奥」
リサの指が、キーを叩く。光の流れが、一つの箱形の建物に収まっていく。中で、ねずみの群れが、ごろごろと転がっている。誰かが放り込んだのだろう。サリサは、唇を噛んだ。
「……こんなに」
「今日だけで、十二件。昨日は三十四件よ」
リサの声が、沈む。彼女は、画面をスクロールさせる。ポケモンごとの保護数、引き取り数、そして「マスタープレイ」と呼ばれる高難易度ゲームで「邪魔」とされた理由——。
「……これ」
サリサは、ある画像を指差す。小さな男の子が、ゲーム機を投げ出して立ち去るところだった。後ろで、ねずみが
「チュ……」
と小さく手を振っている。リサが、眉を垂れる。
「さっきの話、本当なの」
「話?」
「マスタープレイ中、ねずみが後ろをついてくるのが鬱陶しくなって……右を調べたいのに話しかけられて煩わしい。ねずみ、そんなに強くないし、進化させてもらえないし、って……」
リサの声が、震えた。サリサは、黙って画面を見つめる。風が、ベンチの脇の桜の枝を揺らし、花びらが一枚、パソコンの上に落ちる。しばらく、沈黙が続いた。
「……わたし、さっきの子を見たの」
サリサは、低く呟く。耳が、ぴくりと動いた。
「公園の端で、ねずみをボールごど放り出して歩いていく子。ボールは草むらに転がって、野生動物が出ようとして震えてた。……あんな扱いされるくらいなら、わたしが逃がしてやった方がいいって、思った」
リサは、ゆっくりと顔を上げる。目尻に、涙の跡が光っている。
「……あなた、本当にポケモンを……『野生動物』と呼ぶのね」
「うん。檻の中で人の命令で戦わされる生き物に、ほかにどんな言い方がある?」
サリサは、静かに立ち上がる。銀の髪が、夕風になびいた。しっぽが、ゆるりと左右に振られる。彼女は、リサの手の中のボールを見下ろした。
「リサ、あなたの‘相棒’は、今日から私が預かる」
「……え?」
「心配しないで。ケガはさせない。ただ、少しの間、‘檻’を開けてやるだけよ」
サリサは、指先をボールに近づける。白い靄が、ふわりと巻きついた。ボールの表面が、小さく震える。リサは、息を呑んだ。
「……私、負けたから。約束は守るわ」
彼女は、震える手でボールを差し出す。サリサは、優しく受け取る。掌の中で、ボールはまだ温かかった。中のシルフが、小さく鳴いた。
「ありがとう」
サリサは、微笑んだ。右の赤い瞳と左の金色の瞳が、同時に細まる。彼女は、ぱしり、としっぽを振ると、歩き出した。夕陽が、白いスカートをオレンジに染める。
「……待って」
背後から、リサの声がかかる。サリサは、振り返る。
「あなた、名前は?」
「サリサ=アドレット=ティーガー。暇なら、また勝負して」
彼女は、にやり、と口元を吊り上げる。耳が、ぴくりと動いた。リサは、小さく頷いた。指先が、まだ震えている。だが、瞳の中に、かすかな光が灯っている。
「次は……私が勝つわ」
「その時は、もっと大切にしてみせて」
サリサは、片手を上げて答える。そして、公園の小道を進んでいく。夕風が、銀の髪を撫でる。しっぽが、くるりと弧を描いた。掌の中で、ボールが小さく震えた。中のシルフが、もう一度、鳴いた。
「大丈夫よ。すぐに、空を飛べるようにしてあげる」
彼女は、低く呟く。声は、風に乗って、町の向こうへ消えていった。太陽が、ゆっくりと西の空に没していく。長い影が、石畳を這う。サリサの足取りは、軽かった。次の檻は、どこにあるのだろう。次に、どんな声が、彼女の耳を打つのだろう。銀の髪が、夕暮れの中で、小さく、確かに揺れた。
――ポケモンを、野生動物として扱う世界。檻を開ける旅は、まだ始まったばかりだった。
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サリサ=アドレッ
草原の春風は、まるで誰かの指で髪を梳るように優しかった。サリサ=アドレット=ティーガーは白い三段スカートの裾を指でつまみ、ゆるゆると歩いている。頭のライガー耳がぴくりと動き、遠くで鳴いているポ







