贋作
Synopsis
無才の建築家、長谷川圭。彼の人生は、天才と謳われた親友・桐谷彰人が崖から«事故死»したことで一変する。彰人の全財産と彼の“帝国”を相続した圭に課せられたのは、「彰人として10年間、未完の夢を生きる」という悪魔の契約だった。
圭は彰人の“亡霊”となり、成功と名声、その婚約者さえも手に入れる。だが、完璧な偽りの人生の頂点で彼を待っていたのは、魂が“贋作”であるという耐え難い絶望。遺言に隠された真の目的――それは、天才の苦悩と孤独を丸ごと“継承”させるための、死してなお続く、完璧な精神的殺人だった。
Chapter1
桐谷彰人(きりたにあきと)が死んで三十日目のことだった。俺は彼の弁護士に呼び出され、丸の内にある高層ビルの最上階の会議室にいた。
重厚なオーク材の扉を開けると、そこにいるべき人間が全員揃っていた。彰人の年老い、悲しみに暮れる両親、彼が所属していたデザイン事務所の代表、そして彼の美しい婚約者――月島沙耶(つきしまさや)。
彼らは皆、まだ終わらない葬儀のように、厳かな黒い服を身にまとっていた。
一方の俺、長谷川圭(はせがわけい)は、借り物で明らかにサイズの合わないスーツを着て、まるで告別式に迷い込んだ通行人のようだった。俺は彰人の唯一の親友であり、彼が「事故」で崖から転落した時、唯一の同行者でもあった。
弁護士は表情ひとつ変えず、咳払いを一つすると、俺の人生を変えることになるその文書を読み上げ始めた。
遺言書の前半はありきたりな内容だったが、最も重要な財産処分に関する部分に差し掛かった。
「……本人、桐谷彰人は、不動産、株式、デザインの著作権、美術品のコレクション、並びに『桐谷彰人デザイン事務所』の全株式及び進行中のプロジェクト契約に関する権利を含み、これに限定されない、名義下の全財産を……」
弁護士はそこで言葉を切り、顔を上げた。その視線は、メスのように正確に俺を捉えた。
「……我が親友、長谷川圭氏に、そのすべてを遺贈する」
会議室は静まり返った。自分の心臓が狂ったように鼓動するのが聞こえる。彰人の両親が信じられないといった表情を浮かべ、事務所の代表の口が奇妙な形に歪むのが見えた。そして沙耶は、ただ静かに俺を見つめていた。その冷たい瞳には、驚きのかけらもなく、ただ俺が見慣れた、何かを値踏みするような静けさだけがあった。
巨大な衝撃から我に返る間もなく、弁護士の声が再び響いた。まるで、この天から降ってきた贈り物に、最後の棺の釘を打ち込むかのように。
「無論、本遺贈には、撤回不能な発効条件が付随しております」
彼はゆっくりと、その悪魔の条項を読み上げた。
「受益者である長谷川圭氏は、『桐谷彰人デザイン事務所首席デザイナー』の名義をもって、すべての未完プロジェクトを完成させ、かつ、同ブランドを最低十年以上継続して運営しなければならない。この期間中、同ブランド名義で発表されるすべての作品の署名権は、ブランドに帰属するものとする。受益者が途中で放棄、または本義務を履行できない場合、すべての遺産は無条件で回収され、かつ、受益者はプロジェクトの契約不履行によって生じる一切の商業的損失を負担するものとする」
その瞬間、俺は完全に思考を停止した。
巨大な衝撃が脳内で爆発したが、それに続いたのは喜びではなかった。もっと巨大な、目眩がするほど荒唐無稽な、理解不能な感情だった。
なぜだ?
なぜ、俺なんだ?
彰人。俺を公衆の面前で辱め、俺の人生を「非現実的」だと断じた男。雲の上から十年近くも俺を見下してきた天才。なぜ死後になって、彼が築いた帝国そのものを、ほとんど命令に近い形で、彼の目には「出来損ない」と映っていたはずの俺の手に委ねるのか?
筋が通らない。俺が知る彼という人間の、すべての認識に反している。
まるで、王が死ぬ間際に、王位を王子ではなく、宮廷で最も卑しい道化師に譲ったような感覚だ。
これは、彼の最後の、そして最大の悪ふざけなのだろうか? 十年にもわたる、悪質な社会実験? 俺という「贋作」が、彼が築いた華麗な舞台の上で、どれほど滑稽でお粗末な芝居を演じるのか、天国から楽しむため?
あるいは……もしかしたら、人生の最後に、あの時のことを少しは悔いていたのだろうか? だからこんな方法で俺に償いをし、同時にこの過酷な条件で俺を鞭打ち、無理矢リ才能を開花させようというのか?
無数の憶測が頭の中を駆け巡る。どれもこれも、前のものよりさらに荒唐無稽だ。俺には見通せない。あの完璧な笑顔の仮面の下に、彰人がどんな意図を隠していたのか、まったく。
弁護士が、受諾するかどうかを丁重に尋ねてきた。
断れるのか? 俺は億単位の資産を意味するその法律文書に目をやり、それから、借金と屈辱にまみれた、何一つ持たない自分の人生を思った。
理由なんて、どうでもいい!
これが贈り物だろうが呪いだろうが、知ったことか! これは俺の人生で唯一のチャンス、泥沼から這い上がれる唯一の機会だ。
たとえ悪ふざけだとしても、本気で演じきってやる。たとえ牢獄だとしても、それは黄金でできている。
まるで悪魔との契約書の前に立った賭博師の気分だった。相手の条件が奇怪だと分かっていても、人生を変えるほどの賭け金を前に、抗うことなどできなかった。
「……お受けします」
その三文字を口にした時、俺の魂が、計り知れない価格で、完全に質に入れられたような気がした。
俺の背後で、沙耶がほとんど聞き取れないほどの声で呟くのが聞こえた。
「お帰りなさい、彰人さん」
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俺が精神的に完全に崩壊し、床の上で痙攣していると、別荘のドアが、「ぎい」と音を立てて開け放たれた。
沙耶が、逆光の中に静かに立っていた。まるで、温度のない影絵の
俺は震えながら、フォルダの中の最後のファイルを開いた。
それは一本の音声ファイルで、彰人が遺した最後の声だった。彼の声は穏やかで、まるで俺と雑談でもしているかの
ハードディスクの中には、ただ一つだけ、「圭へ」と名付けられたフォルダがあった。
それをクリックすると、中のファイルが、俺に雷を落とした。
どうやって渡辺教授の研究室を出たのか、覚えていない。
「君自身を、理解していない」――その言葉が、呪文のように頭の中で繰り返し響いていた。







