九龍神帝
ملخص
蒼源天の人皇たる洛風は、義弟の純陽剣仙・雲流に裏切られ命を落とすが、神物たる鴻鈞塔の庇護を受け、下界たる天玄大陸の天玄王朝にて八脈を廃された太子として転生を果たす。国を脅かす戦王・謝淵の謀反を父たる武王・洛凌天と共に鎮圧した洛風は、神級功法《祖龍帝術》を修めて逆天の龍脈を切り拓き、天淵の南帝遺跡にて南帝・君軽語の遺志と奥義を継承。血仇たる神策府を打倒すべく動き出す。
中州へと旅立った青梅竹馬の秦婉児との再会を胸に誓い、洛風は天玄軍を率いて群雄割拠の東海・千島湖へと進出する。絶世の錬丹術と神魂の力を駆使して棲鳳島の慕容雲海らを心服させ、外海の厄龍や毒屍の凶威を退けて天玄盟を結成した洛風は、南域統一から中州、そして前世の裏切りへの復讐を果たすべく、蒼源天への覇道を突き進む。
الفصل1
天玄王朝、武王城。
東宮は威容に満ち、絢爛豪華を極めていた。その造りだけで、この宮殿の主が並々ならぬ身分であることが分かる。
「俺は……死んでいないのか? そんな馬鹿な」
少し離れた寝台の上で、十五歳ほどの少年がおぼろげに目を開き、ぽつりと呟いた。
脳裏に、かつての記憶が次々と甦る。
彼は本来、純陽宮の宗主にして、蒼源天の人皇であった。天下を統べ、人族の命運を一身に握っていたのだ。
だが、あの日を境にすべてが変わってしまった。
妖族が突如として侵攻を開始し、人間界を蹂躙。百万人もの骸が折り重なり、大地は血の海と化した。
洛風は天下の民を救うべく、己の帝身を焼き尽くすことも厭わず、妖皇を天墓に封じ、永世にわたって鎮圧した。
帝身は灰燼に帰し、実力は底をついた。回復するには数年の休養を要するはずだった。
しかし、あろうことか義弟の雲流が、帝身を失い衰弱しきった洛風の隙を突き、背後から襲撃して彼を討ち取ったのだ!
その後、蒼源天には嘘偽りの報せが広まった。妖皇を鎮圧したのは雲流であり、人皇たる洛風は妖皇と内通していたため、雲流の手によって斬首された、と。
かつての雲流は妖族を退けた英雄として人族の信仰を集め、純陽剣仙の名を天下に轟かせた。
純陽剣仙——天下を統べ、八方に威光を放つ存在。
洛風は己の帝身を焼き尽くして天下を救った挙句、すべてを他人の手柄にされてしまったのだ。
「だが、俺はまだ死んでいない」
洛風は唇を引き結んだ。顔色はどこか青白い。この体の元の主が修練もできず、読書ばかりに明け暮れていたせいか、面立ちは端整ながらも酷く幼さが残っていた。
嗡——。
突如、脳裏で微かな鳴動が響いた。
洛風はわずかに眉をひそめ、意識を内面へと沈めた。そして次の瞬間、その幼さの残る顔に隠しようもない狂喜の色が浮かんだ!
心神の奥底に、燦然と黄金の光を放つ九層の金塔が鎮座していたのだ。まるで昇りゆく太陽のような神々しさを放っている。
「鴻鈞塔……貴様も俺と共に転生したのか!」
鴻鈞塔は、彼がかつて上古の地で機縁を得て手に入れたものだ。
その出自を知る者はなく、ただ至高の神物であることだけが知られている不可思議な塔であった。
天が自分をこうして転生させた以上、無為にこの生を終えるつもりは毛頭ない。今生こそ必ずや純陽宮へと攻め込み、蒼源天へと返り咲いて、あの雲流に積年の恨みを晴らしてやる!
しかし、己の内面を探るうちに、もう一つの異変に気づいた。
この肉体には、八脈が存在しないのだ。
天玄大陸においては源師こそが尊ばれ、源気を修める。
源師の道は、まず天より授かる八脈を得ることから始まり、そこから開脈、聚気、丹元、通霊へと境界を進めていく。
いわゆる「天授」とは、幼少期に儀式を執り行って天に認められ、八脈を授けられることを指す。
八脈を開くことができなければ、天地の源気を体内に取り込むこともできず、源師になる道は閉ざされ、ただの凡人として生きるしかない。
だが、さらに丹念に探ってみると、驚くべき事実が判明した。八脈は生まれつきないのではなく、何者かの手によって徹底的に廃されていたのだ。
完全に破壊され尽くしており、かつて人皇であった洛風の知見を以てしても、修復の手立ては一切見当たらなかった。
一体誰が、自分の八脈を廃したというのか?
脳裏を探っても、八脈と母に関する記憶だけは靄がかかったように曖昧で、まるで誰かに無理やり消し去られたかのようだった。
洛風が不審に眉をひそめていたその時。
ギィ、と扉が軋む音がした。
一人の中年男が部屋に入ってきた。
剣のような眉に、鷹のように鋭い目。彫りの深い顔立ちをしている。紫の袍を纏った姿からは、言葉を発さずとも自ずと滲み出る威厳があり、長年上位に君臨してきた者特有の覇気が漂っていた。
この男こそ、天玄王朝の主にして洛風の父、武王・洛凌天であった。
だが、その右腕に目をやれば、袖の先が空虚に垂れ下がっているのがわかる。明らかな断腕であった。
その双眸の奥には、長年の風波を耐え忍んできた者特有の、拭い去れない暗い影が潜んでいた。
男の背後からは、熊のように逞しい巨躯の男が付き従ってきた。洛凌天の副将を務める洛虎である。
「父上、母上の身に何があったのですか?」
洛風は洛凌天をまっすぐに見据えて問うた。
記憶の隅々を探っても、どうしてもその答えは見つからなかったのだ。
洛凌天はわずかに虚を突かれたように固まり、しばし沈黙した後、重々しく口を開いた。「……今はお前に話す時ではない」
「父上、では俺の八脈はどうして失われたのですか?」洛風は重ねて問う。
洛凌天は静かに首を振るだけで、口を閉ざした。
「父上、どうして俺に隠し事ばかりするのですか?」洛風の三度目の問い。
洛凌天の身体が微かに震えた。振り返ると、洛風の揺るぎない眼差しが己を捉えていた。
この数年、洛風は幾度となく同じ問いを投げかけてきた。隠し通そうにも、もはや限界が近いことは洛凌天自身、痛いほど分かっていたのだ。
洛凌天はどこか救われたような笑みを浮かべ、洛風の頭にそっと手を置いた。
「風児よ。もしお前が父と共に田舎へ隠棲し、山林に身を潜めて数畝の痩せた田畑を耕し、ただの凡夫として暮らすと誓ってくれるなら……その時は、すべてを一から十まで打ち明けよう」
洛風はその言葉に息を呑んだ。だが、すぐに深く息を吸い込み、洛凌天を見つめ返した。「戦王府が、いよいよ痺れを切らしたのですね?」
記憶を照らし合わせれば、洛凌天が天玄王朝の主であるとはいえ、その玉座は決して安泰ではないことが窺えた。
天玄王朝は一枚岩ではなく、武王城と戦王府という二大勢力に二分されていたのだ。
洛凌天がここまで口にするということは、戦王府からの度重なる圧迫に対し、武王城がもはや抗いきれなくなっている証左に他ならない。
勢力を乗っ取られることすら、現実味を帯びていた。
南域の最南端には、十万方里にも及ぶ広大な領域が広がり、南疆と呼ばれている。南疆には天玄王朝、明月王朝、大周王朝という三大王朝が存在する。
三大王朝の周りには、無数の小国や豪族、宗派、世家がひしめき合っていた。
洛虎は片腕を失った洛凌天を見つめ、目を赤く腫らしながら固く拳を握りしめた。長年洛凌天に付き従い、その栄枯盛衰を誰よりも間近で見届けてきた男である。
かつて洛凌天は通霊境に達した至高の強者であり、南域を縦横無尽に駆け抜け、天下に覇を唱えていた。
天玄王朝もまた押しも押されもせぬ巨頭であり、周辺の勢力はおろか他の二大王朝ですら天玄王朝に臣従し、洛凌天の顔色を窺っていたのだ。
だが、あの日を境に、すべては暗転した。
天玄王朝の民であれば、誰もがあの忌まわしい日を決して忘れることはない。
あの日、武王は片腕を斬り落とされ、その実力は急落した。
あの日、皇太子は八脈を無残に廃され、二度と修練できぬ体となった。
あの日、武王城の精鋭将校たちは惨殺され、天玄王朝の国力は地に堕ちたのだ。
そして時を同じくして、かつては洛凌天の膝元で忠節を尽くしていた戦王府が牙を剥き、反旗を翻して独立の構えを見せ始めた。
長年にわたり、戦王府と武王城は暗闘を繰り広げてきたが、今やその専横は頂点に達し、武王城を丸ごと乗っ取ろうと目論むまでに至っていた。
「若殿の八脈さえ健在で、修練さえできれば、我が武王城がこんな……!」
「そこまでだ」洛凌天は左手を一閃させ、怒りを滲ませた声で洛虎の言葉を遮った。
洛虎の言う通りではあった。武王城が日に日に衰退していった最大の要因は、後継者である洛風が修練不能に陥ったことにある。
洛風に修練の道が閉ざされている以上、武王城に未来はないと見限った王朝内の勢力たちが、次々と戦王府へ鞍替えしていったのだ。
なにしろ、天玄王朝随一の天才と謳われるのは、戦王の息子である謝雲なのだから。
天の寵愛を受け、類まれなる機縁と才能に恵まれた謝雲の将来は、誰の目にも洋々たるものに見えた。
だが、洛凌天に洛風を責める気など微塵もなかった。なぜなら、洛風が修練できなくなった元凶は、すべて己にあるのだから……。
洛風は二人のやり取りに息を詰まらせた。洛虎の言葉は途切れたものの、その裏に込められた含意を理解できぬ洛風ではない。
(八脈がないからといって、修練ができない道理はない)洛風は平静を装いながら、胸の内で静かに呟いた。
ドォン! ドォン! ドォン!
その時、外から天地を揺るがすような怒号と鬨の声が響き渡り、大地が微かに震え始めた!
洛凌天と洛虎の顔色が一変し、二人は弾かれたように外へと飛び出していった。
「宮殿から一歩も出るな!」
洛凌天の威厳に満ちた怒声が、遠く前方から届いた。
武王城の城壁の眼下、視界の果てに至るまで、黒々とした軍勢が津波のように押し寄せていた。
凄まじい殺気が、武王城全体を重苦しく包み込む。
戦王府の大軍が、すでに城門の前へと押し寄せていたのだ。
ドン! ドン!
地鳴りのような陣太鼓の音が響き、角笛の音色が虚空を劈く。
城内の誰もが恐怖に震え上がりながらその光景を見つめていた。とりわけ武王城の古参の者たちは、十年前のあの悪夢のような光景を脳裏に呼び覚ましていた。
あの日、あの恐るべき巨勢が襲来した際、天玄王朝の全土が迫り来る破滅の前に絶望と恐怖に叩き落とされたのだ。
武王城の物見台の上で、洛凌天は城下の軍勢を射殺すように見据えていた。左手をきつく握り締め、爪が掌に食い込んで血が滲むほどだった。
ドン!
再び陣太鼓が打ち鳴らされると同時に、戦王府の大軍が左右へと割れ、一本の道が開かれた。
軍勢の間から、一頭の黒狼に跨がった人影が、悠然と前へ進み出てくる。
重厚な鎧を纏い、冷酷な光を瞳に宿したその男こそ、戦王・謝淵であった。
「戦王、これほどの軍勢を引き連れてくるとは……謀反のつもりか?」
洛凌天は冷ややかに言い放ち、氷のような眼差しで謝淵を睨み据えた。
謝淵は嘲笑を浮かべ、鼻を鳴らした。「謀反? そんな大層な名分が必要かね? 貴様はもはや昔の武王ではなく、息子のほうは修練すらできぬ出来損ないだ。そんな無能の親子二人が、何の資格があって天玄王朝の上に立ち続けているのだ?」
言葉の端々に、剥き出しの殺気が滲んでいた。
洛凌天の顔が凍りつき、左手が怒りに震える。かつての全盛期であれば、謝淵にどれほど肝が据わっていようと、こんな暴挙に出ることなど金輪際あり得なかった。
だが、実力が大幅に落ちた今の自分に、かつての威圧感は残されていない……。
「この程度の軍勢で、武王城を丸呑みにできると本気で思っているのか?」洛凌天は目を細め、底冷えのする声で威嚇した。
謝淵の目に、わずかな警戒の色がよぎる。
確かに、死に体の百足とて簡単には潰れぬものだ。武王城が落ち目とはいえ、戦王府が力尽くで押し通ろうとすれば、最終的に勝つにせよ手痛い代償を払うことになる。
「くくっ、武王殿、そう気負われるな。本日の参上は戦を仕掛けに来たわけではない。ただ、直ちに新たな皇太子を定めていただきたいだけのこと」
「皇太子さえ定めていただければ、我らは即刻兵を引こう。さもなくば……今日この場で、是が非でも武王殿と一手交えねばならなくなるがな」謝淵は陰険な目を細め、凄惨な声で迫った。
洛凌天の表情が一気に険しくなり、漆黒の瞳に怒涛の殺意が燃え上がった!
謝淵が求めている皇太子の座が、東宮の主である洛風ではなく、他ならぬ己の息子、謝雲であることは火を見るより明らかだった。
天玄大陸においては源師が尊ばれるが、その源師よりもさらに強大な存在が血脈戦士である。
源師の中でも選ばれし幸運な者だけが血脈を覚醒させ、その血脈の力を振るう強大な血脈戦士へと昇華できるのだ。
血脈には一品から九品までの階級が存在し、一品を始まりとし、九品を至高とする。
謝雲はずば抜けた修練の才能を持つのみならず、二品の血脈を覚醒させていた。
たとえ謝雲が二品血脈を持ち、どれほど天賦の才に恵まれていようとも、臣下の息子を皇太子に据えろと、それも国中の民の前で武力を盾に迫るなど、洛凌天の顔に泥を塗るに等しい。
この屈辱は、武王の座を力尽くで奪い取ろうとするのと何の違いもない。
城下の謝淵を睨みつけ、洛凌天は奥歯を噛み締めて吐き捨てた。「断ると言ったらどうする?」
謝淵はその返答を予想していたのか、陰鬱な瞳に深い侮蔑を浮かべ、パンパンと軽く手を叩いた。
パチッ! パチッ!
黒々とした軍勢の中から、さらに四人の人物が静かに歩み出た。
轟!
四筋の圧倒的な気息が、天を衝くように立ち昇る。
洛凌天の瞳孔が激しく収縮した。驚愕すべきことに、その四人はことごとく丹元境の強者だったのだ!
源師の最初の四大境界は、開脈境、聚気境、丹元境、通霊境である。
三大王朝広しといえど、かつての洛凌天を除けば、通霊境に達した者など一人も存在しない。
そしてその洛凌天すら、片腕を断たれてからは通霊境から丹元境へと実力を落としていた。
「なぜこれほどの数の丹元境が……!?」
洛凌天の顔に戦慄が走った。彼の知る限り、武王城側の丹元境は自分と洛虎の二名のみ。
対する戦王府側も、本来は三名しかいないはずだった。
戦王府の傘下には柳侯府と言侯府という二大勢力があり、両家の当主がいずれも丹元境の源師である。
だが、今現れた残りの二名は、一体どこの誰だというのか?
五名の丹元境に対し、こちらは僅か二名。戦となれば、武王城に勝ち目はない!
「おほほ、武王様、息災であられたかしら」
洛凌天が疑念に駆られていたその時、鈴を転がすような艶やかな笑い声が響いた。
人々が一斉に視線を向けると、衆人環視の中、妖艶な肢体を誇る若き貴婦人が姿を現した。
彼女の名は蘇萱。明月王朝を統べる君主であった!
「貴様だったのか……」洛凌天は目を細めた。戦王府に突如二名の丹元境が増えた理由が、ようやく腑に落ちたのだ。
激しい動揺が胸を貫く。かつて蘇萱は城主府との縁組を望み、娘の蘇柳を洛風に嫁がせると約定を交わしていた間柄だったはずだ!
だが、洛風の八脈が廃されたと知るや否や、蘇萱は即座に掌を返し、強引に婚約を破棄した。
かつての親族たるべき者が、今や敵陣の先頭に立っている。
しかも今日、天玄王朝の民衆の面前で戦王府と結託し、洛風から皇太子の座を奪い取ろうと迫っているのだ。
「謝淵、外敵の手を借りて身内を追い詰めるとは……虎を野に放つ愚行だと分からんのか」洛凌天は複雑な思いで二人を見やり、声を震わせた。
「ふん、武王殿が気をもむことではない。我が息子はすでに蘇萱殿の令嬢、蘇柳と婚約を交わしておる。これからは両家が一つの家族となるのだ、外敵などという言いがかりは当たらんな」
謝淵は冷笑を返した。
そして右手を開くと、その掌に一本の長槍が現れ出た。
槍の切っ先をまっすぐに洛凌天へと突きつけ、謝淵は冷酷な光を瞳に湛えて言い放つ。
「洛凌天、今日この場で皇太子の座を譲れ。さもなくば、武王城の門を打ち破り、城内の者を一人残らず皆殺しにしてくれる!」
「皆殺しだ!」
鋭利な殺気が吹き荒れ、黒々とした軍勢が一斉に咆哮を上げた。
その凄まじい叫び声に、武王城の上にいた無数の民や兵が震え上がった。
十数年前のあの悲劇が、今日また繰り返されるというのか?
武王は目を血走らせ、怒りに全身を震わせた。一国の主でありながら、臣下に衆前でこれほどの侮辱を受け、それに対して何もできぬ己が無力でならなかった。
「武王様、どうか開戦のご命令を! あの下衆どもをこの手で八つ裂きにしてやりたくてたまらんのです!」洛虎は歯噛みし、拳を固く握りしめた。制御しきれない源気が体から吹き荒れ、その瞳には凄まじい殺意が渦巻いていた!
洛凌天は目を閉じ、激しく波立つ感情を必死に抑え込んだ。戦うことを恐れているわけではない。
だが、今戦端を開けば、己が討ち死にするだけでなく、武王城の民すべてが道連れとなって灰燼に帰すのだ。
戦力差があまりにも開きすぎていた。
己の命など惜しくはない。しかし、一国の王として、己を信じてついてきてくれた源師や将兵たちを、無為な死へ追いやることなどできるはずがなかった。
「たかが皇太子の座など、欲しければくれてやる。だが……そいつに受ける資格があるのか?」
人々が絶望に沈む中、どこか嘲るような響きを帯びた淡々とした声が、静かに響き渡った。
皆が一斉に視線を向けると、そこには武王城の物見台に立つ一人の少年の姿があった。
まぎれもなく、洛風であった。
「風児、何をしに出てきたのだ!」洛凌天は咄嗟に怒鳴りつけた。城下には無数の源師がひしめいているのだ。万が一にも洛風に危害が及んだらどうするのか。
だが、父の懸念を感じ取った洛風の胸には、微かな温もりが広がった。彼は洛凌天に向かってふっと微笑みかけると、一歩前へ踏み出し、物見台の欄干から眼下の謝淵を冷ややかに見下ろした。
謝淵は遮られたことに憤慨しかけたが、相手の顔を認めるや否や、堪えきれずに嘲笑を漏らした。
「我が息子・謝雲は今年わずか十七歳にして、先頃すでに六脈を開いた。しかも二品の血脈を覚醒させており、将来は強大な血脈戦士となることが約束されている。これほどの器を差し置いて、資格がないなどとよく言えたものだな」
その言葉に、周囲の人々は顔を見合わせ、驚愕の色を隠せなかった。わずか十七歳で六脈を開くとは、間違いなく破格の才能である。
開脈境は、源師としての修練の第一歩だ。
何事も初めが最も険しく、常人であれば六脈を開くまでに二十歳は超えるのが普通である。十七歳での到達は、紛れもなく卓越していた。
天玄王朝広しといえど、間違いなく頂点に君臨する逸材といえる。
だが、洛風はそれを聞くや、口元を嘲るように歪めた。「血脈は九品まであるというのに、たかが二品ごときで何を威張っている? それに十七にもなってようやく六脈とはな。その十七年間、泥遊びでもして過ごしていたのか?」
前世の洛風が十七歳だった頃は、すでに通霊境の突破を目前に控えていたのだ。
静寂。死のような静寂がその場を支配した。
三大王朝を見渡しても、あの底知れぬ実力を誇る周王を除けば、謝淵に向かってこれほど傲岸不遜な口を利ける者など一人もいなかった。
「修練もできぬ出来損ないの分際で! 雲児の前に立てば虫けら同然のお前が、何を偉そうにほざくか!」謝淵は激怒のあまり顔を真っ赤にして怒鳴り散らした。
洛風の瞳に侮蔑の色がよぎる。彼は謝淵を見据え、冷徹に言い放った。「戦王の言い分では、俺が謝雲を叩きのめすことができれば、皇太子たる資格があるということだな?」
「ふん、貴様ごときが? 身の程を知れ! だがいいだろう、もし雲児を打ち負かすことができたなら、その時は皇太子の資格を認めてやる!」謝淵は鼻で笑いながら言い返した。
「よし! ならば一ヶ月後、天玄王朝の演武台にて、俺と謝雲で生死を賭けた決闘を行おう。勝った者こそが、この天玄王朝の真の皇太子だ。異論はあるまいな?」
少年の澄んだ声が、鋭利な気迫を帯びて天地の間に木霊し、その場にいた全員の耳朶を打った。
誰もが我が耳を疑い、呆然と立ち尽くした。
洛風の口から、まさかそんな言葉が飛び出そうとは夢にも思わなかったのだ。
彼は誰もが認める無能の凡人であり、謝雲は天に選ばれし申し子!
彼は源気すら持たぬ一介の凡夫であり、謝雲はいずれ血脈戦士となる男!
彼は八脈をすべて廃された廃人であり、謝雲はすでに六脈を開いた麒麟児なのだ!
万人の目から見れば、洛風と謝雲の差は、蛍の光と天空の月ほどに隔絶していた。
比べること自体が笑止千万だった。
それなのに、洛風は謝雲に生死戦を挑むなどと大言壮語を吐いたのだ。正気の沙汰とは思えなかった。
「風児、お前……時間稼ぎのつもりなのか?」洛凌天もまた呆気にとられ、息子の真意を測りかねていた。
「父上、どうか一度だけ俺を信じてください」洛風の眼差しには、微塵の揺らぎもなかった。
謝淵はその様子を見て、思わず吹き出した。洛風の狙いは判然としないが、この展開は戦王府にとって最も望ましい結末に他ならなかった。
実際のところ、洛凌天が頑なに拒絶し続けたとしても、本心では武王城を力尽くで攻め落としたくはなかったのだ。
払う犠牲が大きすぎる。
仮に今、武王城を強引に落として天玄王朝の支配権を握ったとしても、手痛い損害を被ることは免れない。
そんな消耗した隙を突いて他の二大王朝が介入してくれば、元も子もないのだ。
明月王朝と縁組を結んだとはいえ、それは所詮、利害関係で結ばれた政略結婚に過ぎない。真の利害が衝突した時、そんな約定など脆くも崩れ去ることは百も承知だった。
だが今、洛風が自ら決闘を申し出てくれたことで、戦王府には完璧な大義名分が転がり込んできた。
一ヶ月後、謝雲が洛風を公衆の面前で叩き潰せば、武王城側にはもはや抗弁の余地など残されない。
謝雲が正当な手続きを経て皇太子となれば、天玄王朝の民心は自ずと戦王府へと傾くのだ!
そこまで考え至ると、謝淵は洛凌天を見据えて声を張り上げた。「洛凌天! 天玄王朝の全臣民が見届け人だ。洛風の言葉に、二言はないな!?」
その場にいる全員の視線が、一斉に洛凌天へと集まった。
果たしてこの生死戦を受けるのか否か。
「父上、信じてください。たかが六脈を開いただけの相手など、恐るるに足りません」洛風は至極真面目な顔で請け負った。
洛凌天は目を瞬かせ、息子の顔を見つめた。
一体どこからその根拠のない自信が湧いてくるのかは分からない。だが、洛風の澄み切った真っ直ぐな瞳を見ていると、どうしても疑う気になれなかった。
まるで、本当に成し遂げてしまうのではないかと思わせる何かが、そこにはあった。
しばしの沈黙の後、洛凌天は小さく息を吐き出し、自嘲気味に笑った。「……半生を無様に耐え忍んできたのだ、一度くらい狂ってみるのも悪くあるまい」
「よかろう! 一ヶ月後の生死戦、我が武王城が受けて立つ!」
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夜が深まるにつれ、棲鳳島の埠頭には煌々と明かりが灯された。 孔山は数十名の護衛を率いて岸辺を固めていたが、その表情には緊張が滲んでいる。遥かな海原には、三隻の黒船が幽霊のように揺蕩い、近づくでもなく去







