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深夜バスのラジオ

深夜バスのラジオ

Last Updated: 2026-02-17 13:08:37
By: mo guu
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Synopsis

ある帰宅途中のサラリーマンが深夜バスの中で偶然拾ったラジオ番組。リスナーの恐ろしい告白、次第に日常に侵食してくる異様な音、そして自分の名がラジオから呼ばれる……


Chapter1

――0時12分、最終便のバスは街灯の数さえ疎らになった国道を走っていた。

窓の外を流れるのは、工場の壁と看板の明かりだけだ。乗客は私と運転手の二人きり。スマホの画面は既に真っ暗で、充電残量の赤いアイコンが点滅している。  
 ラジオでもかけようか、とスピンを廻したのはただの惰性だった。雑音が「シャーッ」と皮膚を撫で、突然、低い男の声が乗った。

「――深夜、まだ醒ている貴方へ。本日も、お電話をお待ちしています」

パーソナリティは自分の名前を告げなかった。吐息のように続く。

「最初の一本目。どうぞ。」

コール音が響く。途端に、若い女の声が飛び込んできた。

「もしもし? ……聞こえてますか?」

「聞こえています。お名前を。」

「……由紀、です。」

女は一度言葉を切り、バスを走らせるエンジンの低い振動に重なる。

「実は、先週の夜、またあの音が聴こえたんです。」

「あの音、とは?」

「五年前に聴いた、あれです。……ガラスを爪で引っ掻くような、金属を曲げるような。でも、どこから来るのか、わからない。」

雑音が「ビリッ」と耳を刺した。私は思わずラジオの音量を下げる。だが、声はより近くなった。

「場所は?」

「自宅の押入れの奥。でも、明けてみると、何も。……ただ、匂いがして。」

「匂い?」

「湿った、鉄と埃の。まるで、誰かが長いこと閉じ込められていたみたいに。」

女の息が、ラジオのスピーカーを通して私の喉に絡みつく。私は窓に額をつけ、外の闇を睨んだ。街灯が一本、また一本、途切れる。

「由紀さん、五年前に何があったか、思い出せますか?」

「……思い出せたら、苦しんでないです。」

女の声が震え、一瞬、雑音だけが満たす。

「でも、音は覚えている。あの夜、私は部屋で寝ていて、突然、ガラスが割れるような高い音がして……起きたら、母が居なかったんです。」

「ご家族は?」

「父は単身赴任で、あの日、家には母と私だけ。警察は母の行方を捜したけど、見つからない。――ただし、押入れの奥に、爪痕が残っていた。」

私の背筋が冷える。爪痕、という言葉が、バスの床に「キュッ」と音を立てた気がした。

「爪痕は、どんな形でした?」

「……縦に、五本。まるで、中から外へ、誰かが引っ掻いたみたいに。」

ラジオの向こうで、パーソナリティが小さく息を吸う。

「由紀さん、今夜、あなたのお宅に、私たちのスタッフが簡単な機材を届けに行っています。もし、また音がしたら、すぐに――」

突然、電話が切れた。ハウリングのような空白の後、再び雑音だけ。

「……由紀さん? 繋がりませんね。」

パーソナリティの声は、まるで予想していたように静かだ。

「では、次のお電話を。いつでも、どうぞ。」

コール音。誰もつながらない。私はバスの吊革を握りしめた。運転手は相変わらず前を向いたまま、速度を落とさない。

――次の音が鳴ったのは、三十分後だった。

「もしもし」

今度は、中年の男だ。声に湿り気がある。

「名前、いりません。ただ、確認したいことがあって。」

「どうぞ。」

「今、私の部屋の天井で、誰かが這っています。足音じゃない。這う、というか、引きずるような。……分かりますか?」

「音を、詳しく。」

「古い布を、フローリングに擦りつけるような。でも、家の中に、誰もいないはずなんです。家族は実家に帰って、私は一人。」

私は自分の影が窓ガラスに映るのを見た。顔色が悪い。唇が乾いている。

「それを、いつから?」

「一時間前。ラジオをつけた途端、天井が‘キュイィ’って鳴った。それきり、止まらない。」

男がマイクに向かって、何かを耳に当てる��うな気配がする。

「今です。……聴こえますか?」

私はスピーカーに顔を寄せた。最初、何もない。が、三秒後、かすかに、まるで湿った布が引きずられるような音が、ラジオの外側――バスの床から、這い上がってきた。

「……聴こえる」

と、私は呟いた。男が答える。

「そうでしょう? でも、信じられない。だから、電話しました。」

「音は、動いていますか?」

「ゆっくり、部屋の端から端へ。でも、いま、止まった。……真上です。」

途端に、バスの天井で、同じ音がした。湿った布、あるいは、何かを引きずるような。

私は顔を上げた。照明カバーの奥に、黒い染みのような影が走る。運転手は、まだ気づかない。

「音が、止まりました」

男が言う。同時に、バスの天井でも、音が消えた。私の喉が鳴る。

「――もう寝ます。これ以上、関わりたくない。失礼」

電話は唐突に切れた。再び、コール音だけが続く。パーソナリティは、余裕のある低い声で呟く。

「誰も、逃げられない。次、どうぞ。」

私はバスの停止ボタンを探した。だが、ボタンは消えていた。代わりに、ラジオのチャンネル表示が「0:00」と点滅している。時計も、スマホも、同じ数字を繰り返す。

――0:00。0:00。0:00。

突然、ラジオが私の名前を呼んだ。

「――最後に、高橋さん。まだ、お聴きですか?」

私の背が凍る。名前を告げていない。知らない番組だ。

「高橋さん、あなたの家では、今夜も音がしています。奥さんとお嬢さんが、押入れの奥で、何かを引っ掻いていますよ。」

私は家族の写真を思い出した。妻と娘の笑顔。今朝、出がけに娘が「おみやげ買ってね」と言った声。

「……ばかな」

私はラジオに向かって叫んだ。

「うちは、マンションだ。押入れなんて――」

すると、ラジオの向こうで、小さな娘の声がした。

「パパ、早く開けて。暗いよ」

同時に、バスの床の下から、爪で金属を引っ掻く音が這い上がる。キュイィ、キュイィ、と、五本の爪が、床板を割りながら、私の足元へ近づく。

私は立ち上がった。運転手に叫ぶ。

「停めてください! ここで!」

だが、運転手は振り返らない。ハンドルを握ったまま、スピードを上げる。窓の外、街灯が完全に消え、真の闇が流れる。

ラジオが最後に告げた。

「――では、本日はこの辺で。高橋さん、お宅のチャイムが鳴っています。誰か、帰りを待っていますよ。」

ピイイイ、とハウリング。バスの床が、内側から膨らむ。爪が顔を出した。五本、まっすぐに、私の靴の先を掴もうとしている。

私は窓を蹴った。ガラスは割れない。運転手は、まだ前を向いたまま、首だけが――ゆっくり、180度、こちらへ回り始めた。

顔がない。ラジオスピーカーだけが、口のように開いている。

床が裂け、爪が私の足首に絡みついた。引きずられる。最後に聞こえたのは、ラジオの中で、妻と娘が交互に叫ぶ声だった。

「おかえりなさい」  
「おかえりなさい」  
「おかえりなさい」

バスは止まらない。時計は0:00のまま。ラジオは次の番組へ移行し、低い声が告げる。

「――深夜、まだ醒ている貴方へ。本日も、お電話をお待ちしています」

私の叫びは、雑音に吸い込まれ、誰にも届かなかった。

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