Sinopsis
祓いの巫女・水瀬澄(みなせ・すみ)は、「山祓い」の命を受け、荒れ果てた山へと足を踏み入れる。そこで出会った夜牙(よるが)と名乗る薬草採りの男の家に宿を借りることになる。ぶっきらぼうな男だったが、夜牙が淹れてくれた薬草茶の温かさが、澄の緊張を解きほぐす。ぎこちない沈黙と不思議な安らぎ、そして濃厚な甘さが同居する奇妙な共同生活が幕を開ける――。
Capítulo1
山霧が深く、里を見下ろす山々は水墨画のように滲んでいた。
水瀬澄(みなせ・すみ)は、社務所の縁側からその光景を静かに見つめている。
風が運んでくるのは、土と若葉の匂いではなかった。
微かに、けれど確かに腐臭が混じっている。生の活気が失われた、淀んだ気の匂い。
「澄どの」
背後からかけられた声に、澄はゆっくりと振り返った。
里の長老が、厳しい顔つきで立っている。
「例の山の件、お主に頼みたい」
その言葉は、命令だった。
巫女として生まれ、育てられた澄にとって、それは覆すことのできない決定。
「……承知いたしました」
澄は静かに頭を下げた。
その山は、かつて澄が修行で訪れた場所だった。
まだ巫女見習いだった頃、滝に打たれ、山の神の気配に満ちた清浄な空気の中で、己の霊力を高めた思い出の地。
豊かな緑、澄み切った沢の水、生命力に溢れた木々。
あの美しい山が、今では『穢れ』に蝕まれ、荒れ果てているという。
長老から渡された簡素な地図と山にまつわる古文書、わずかな食料。
それだけを頼りに、澄は白衣と緋袴の上に、動きやすい山袴を重ねた。
「妖(あやかし)、特に天狗には気を付けねばならぬ。やつらは、人を惑わし、山を荒らす」
「はい、気を付けて行ってまいります」
胸が、きりきりと痛む。
それは使命の重圧だけではない。
かけがえのない思い出の場所が、無残に変わってしまったことへの、純粋な悲しみだった。
***
一人で足を踏み入れた山は、噂に違わぬ有り様だった。
空気を満たすのは、湿った土と腐葉土の匂いとは違う、鼻をつく澱んだ気。
木々は生気を失い、まるで空に向かって助けを求めるように、枯れた枝を苦しげに伸ばしている。
「……ひどい」
思わず漏れた声は、重い空気に吸い込まれて消えた。
澄はかつての記憶を頼りに、山道を進む。
修行中に拠点としていた、古い祠。
まずはそこへ向かい、山の神に挨拶をしなければならない。
この山の主は、きっと誰よりもこの惨状を嘆いているはずだから。
やがて、記憶の通りの場所に、その小さな祠は見つかった。
だが、その姿は澄の心をさらに冷たくさせる。
社を覆う注連縄は灰色に変色し、ところどころが千切れている。
お供え物を置く台には、枯れ葉が積もっているだけ。
何より、澄が感じたのは、神聖であるはずの場所から発せられる、虚無の気配だった。
澄は膝をつき、深く頭を垂れる。
「この山の神よ。わたくしは、里の命により参上いたしました、巫女の水瀬澄と申します。この山の穢れを祓い、かつての美しいお姿を取り戻すため、力を尽くす所存です」
柏手を打つ。
けれど、その乾いた音は虚しく響くだけで、神の応えは感じられない。
かつてなら感じられたはずの、穏やかで大きな存在の気配が、どこにもなかった。
まるで、神がこの場所から姿を消してしまったかのように。
澄は唇をきつく結んだ。
これは、想像以上に根が深い。
祓うべきは、ただの雑多な妖だけではないのかもしれない。
***
陽が傾き始めると、山の空気は急速に冷え込んでいく。
神の気配を失った祠に長居はできず、澄は雨風を凌げる場所を探して、再び山中を彷徨い始めた。
ぽつ、ぽつと冷たい雫が頬を打ち、それはすぐに激しい雨脚へと変わった。
視界は悪くなり、足元はおぼつかない。
気を付けていたはずなのに、ぬかるんだ斜面に足を取られた。
「あっ……!」
短い悲鳴とともに、澄の身体が大きく傾ぐ。
滑落する。そう思った瞬間だった。
ぐっ、と力強い何かが、彼女の腕を掴んだ。
驚いて顔を上げると、そこに一人の男が立っていた。
背後から、音もなく。
雨に濡れた黒髪が、彼の顔に張り付いている。
「……大丈夫か」
低く、落ち着いた声。
助けられた安堵よりも先に、澄は彼の瞳に心を奪われた。
暗い森の中でもなお、静かな光を宿す瞳。
まるで、こちらの心の奥底まで全てを見透かしているような、深く、凪いだ瞳だった。
「……ありがとうございます」
かろうじて礼を言うと、男は掴んだ腕をそっと離した。
その手の温もりが、冷え切った澄の肌にじんと熱を残す。
「夜牙(よるが)だ。薬草採りをしている。」
男は短く名乗った。
***
「巫女……か」
澄の身なりを見て、夜牙と名乗る男は少しだけ眉をひそめた。
「この山は危険だ。あんたみたいな娘が一人でいる場所じゃない。早く降りろ」
それは忠告というより、突き放すような物言いだった。
ぶっきらぼうで、何の飾り気もない言葉。
しかし、澄も引き下がるわけにはいかない。
「それはこちらの台詞です。薬草採り、と仰いましたか。素性も知れぬあなたこそ、こんな夜に山をうろつくべきではない。この山の穢れは、あなたが思うよりずっと深い」
巫女としての矜持が、澄にそう言わせた。
互いの視線が、雨の中で静かに交錯する。
どちらも、一歩も引く気はない。
夜牙の深い瞳が、何かを値踏みするように澄を見つめる。
やがて彼は、ふいと視線を逸らし、諦めたように息を吐いた。
「……どうやら、聞く耳は持たないらしいな」
彼は背を向けた。
「雨が強くなってきた。このままではあんたも俺も凍える。……ついてこい。一夜の宿くらいは貸してやる」
有無を言わさぬ口調。
けれど、その背中には拒絶しきれない響きがあった。
澄は一瞬ためらったが、この嵐の中、他に選択肢はない。
それに、この男のことをもう少し知る必要がある、と巫女としての本能が告げていた。
黙って頷くと、夜牙は先を歩き出す。
澄は、その広い背中を、不思議な気持ちで見つめながら後を追った。
***
夜牙の家は、山の斜面にひっそりと立つ一軒家だった。
中に入ると、むわりと濃密な薬草の香りが澄の鼻腔をくすぐる。
家の内部は、驚くほど整然としていた。
天井からは数えきれないほどの種類の薬草が吊り下げられ、壁際の棚には乾燥させた葉や根が、丁寧に分類されて並べられている。
外の嵐が嘘のように、そこには静かで穏やかな時間が流れていた。
「これを」
囲炉裏の火で濡れた着物を乾かしながら待っていると、夜牙が木製の椀を差し出してきた。
湯気の立つ、琥珀色の液体。
「……薬草茶だ。身体が温まる」
「……ありがとう、ございます」
ぎこちなく礼を言い、澄は椀を受け取った。
指先に伝わる、じんわりとした温もり。
そっと口をつけると、少し苦いが、身体の芯から解きほぐされるような、優しい味がした。
ふう、と息を吐くと、強張っていた肩の力が少しだけ抜けていくのが分かる。
目の前では、夜牙が黙って火を見つめている。
囲炉裏の炎が、彼の端正な横顔を赤く照らし出していた。
言葉はない。
ただ、薬草の香りと、ぱちぱちと薪がはぜる音だけが、二人を包んでいる。
奇妙な状況だった。
得体の知れない男の家で、一夜を明かす。
巫女として、あってはならないことかもしれない。
けれど、澄の心にあったのは、警戒心だけではなかった。
彼の纏う静かな空気と、この家の落ち着いた佇まい。
そして、この薬草茶の温かさが、張り詰めていた彼女の心を、不思議と安らがせていた。
ぶっきらぼうで、何を考えているのか分からない男。
それでも、彼の瞳の奥に宿る静かな光が、澄の心の片隅に小さな灯りをともしたような気がした。
ぎこちない沈黙と、説明のつかない安らぎ。
山霧が立ち込める一軒家で、巫女と謎の薬草採りの、奇妙な共同生活が、こうして静かに幕を開けた。
Últimos capítulos
夜牙の曖昧な記憶だけを頼りに、二人は山の最深部へと足を踏み入れた。
木々の密度が濃くなり、昼なお暗いその場所は、空気が奇妙に張り詰めている。
「こ
夜牙が姿を消してから、数日。
澄の心には、ぽっかりと大きな穴が開いてしまったかのようだった。
一人で山を祓う日々は、以前よりもずっと孤独で、冷たい。
夜牙と天狗たちが去った後は、しんと静まり返っていた。
ついさっきまでの激しい争いが嘘のように、今は滝の音だけがしている。
一人残された澄は、ただ茫然
嵐が過ぎ去った山は、嘘のように静かだった。
降り注いだ雨が土の匂いを引き立て、木々の葉は濡れて艶やかに光っている。
夜牙の家の中は、穏やかで甘い空気
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