Özet
異星人によって一攫千金を手にさせられた一角あたり。異星人の名はミハエル=シュピーゲル=フォン=フリードリヒ公爵。さて、一週間以内に使わないと異星人が罰ゲーム仕掛けてくるぞ! どうする! あたり!
Bölüm1
ヴァーレンス王国の公爵、ミハエル=シュピーゲル=フォン=フリードリヒの私室は、彼の多岐にわたる興味を静かに物語っていた。壁一面を埋め尽くす書棚には、古今東西の書物が革の背表紙を並べ、部屋の隅には天球儀が鈍い光を放っている。その豪奢な空間の中心に、しかし、場違いな輝きがあった。宙に浮かぶ、水鏡のような円形のスクリーン。それはアリウスが開発した時空間観測魔法『クロノス・アイ』の表示端末だった。
「ふむ、面白い反応だ」
スクリーンに映し出された光景を眺めながら、ミハエルが肘掛け椅子に深く身を沈めて呟いた。金の刺繍が施された黒い上着が、彼の動きに合わせて微かに衣擦れの音を立てる。彼の青い瞳は、好奇心に満ちて細められていた。
スクリーンの向こう側では、見慣れない風景が広がっている。コンクリートの箱のような建物が密集し、鉄の乗り物が道を埋め尽くす、ミハエルたちが「パラレルアース」と呼ぶ世界の、東京という都市の一角。その六畳一間の小さなアパートで、一人の女性が呆然と立ち尽くしていた。
角あたり、二十代の会社員。彼女は今しがた、自身のスマートフォンに表示された数字に意識を奪われている。銀行口座の残高を示すその数字は、天文学的な桁数に膨れ上がっていた。
『一億円』
「これは……これは実に愉快なショーになりそうだぜ!」
快活な声が静寂を破った。漆黒の騎士鎧をまとったフレデリック=ローレンスが、大げさに身を乗り出す。彼の緑の瞳は、まるで極上の獲物を見つけた狩人のように爛々と輝いている。
「なあ、ミハさん! 一億だぞ、一億! オレならまず最高級のワインを産地ごと買い占めて、美女たちと豪華客船で世界一周クルーズだな! もちろん船も買う! 俺船舶免許持ってるからさ」
「フレッド、君の欲望は常に単純明快で清々しいね」
冷静な声でフレッドをいなしたのは、銀髪に赤い瞳を持つ魔術師、アリウス=シュレーゲルだ。彼は手元の魔導端末に指を滑らせながら、学究的な視線をスクリーンに注いでいる。
「興味深いのは、彼女の初期反応だ。驚愕、混乱、そして今は……麻痺に近い状態かな。脳の情報処理が追いついていない。富という強力な刺激に対する、典型的なヒトの生理反応だよ。特に、彼女のいる社会は貨幣経済が生活の根幹を成している。我々のヴァーレンスとは価値観の基盤が全く違う」
「しかし、アリウスさん。これはあまりにも……その、彼女にとって酷なことではありませんか?」
小柄で真面目そうな青年、ヒーラーのサミュエル=ローズが心配そうに眉を寄せた。彼の純粋な心は、この唐突な状況に置かれた女性の精神的負担を慮っている。
「大丈夫だ、サミュエル。これは単なる悪戯ではない。ある種の社会実験であり、彼女という個体への試練でもある」
ミハエルは優雅に脚を組み替え、指先で顎を撫でた。
「条件は単純。『一週間で一億円を使い切ること。ただし、借金の返済、譲渡、貯蓄は不可。全て自己の消費に限る』果たして、ごく普通の人間が、突如として与えられた巨大な『力』をどう扱うのか。わたしはそれが見たい」
ミハエルの隣に立つ長身の騎士、クロード=ガンヴァレンは、黙って腕を組んでいた。彼はこの種の「お遊び」にあまり乗り気ではなかったが、主君の好奇心には逆らえない。ただ、彼の真面目な性格は、フレッドのような享楽的な発想よりも、その金の無駄遣いに対して眉をひそめていた。
スクリーンの中のあたりが、ようやく動いた。ふらふらとした足取りで部屋を歩き回り、自分の頬をつねり、壁に手をつく。夢ではないことを確かめようとする、あまりに陳腐で、しかし切実な行動。やがて彼女はスマートフォンの画面を何度も確認し、深呼吸を一つすると、上着を羽織って玄関のドアに向かった。
「おっ、動いたぞ! さあて、最初の一手は何だ?」
フレッドが身を乗り出した。
アリウスが端末を操作すると、スクリーンがあたりの視界を追うように切り替わる。彼女はアパートを出て、雑然とした街並みを歩き始めた。人々の喧騒、車の走行音、様々な店の看板。それら全てが、今の彼女には非現実的な背景のように映っていることだろう。
彼女が最初に足を止めたのは、意外にも、ありふれたコンビニエンスストアだった。
「コンビニ? おいおい、マジかよ!」
フレッドが素っ頓狂な声を上げる。
「一億コンビニじゃあ使いきれないだろう! なんでそんな庶民的な店に入るんだ!」
「落ち着け、フレッド。これは偵察行動に近いよ」
アリウスが冷静に分析する。
「いきなり高級店に飛び込む度胸がないか、あるいは、まず手近な場所で少額を使い、この金が本当に
『使える』
ものなのかを確かめようとしている。後者の可能性が高いね。
心理的ハードルが最も低い行動だ」
あたりは店内をうろつき、最終的に一本の高級なミネラルウォーターと、普段は手を出さない少し高価なチョコレートを手に取った。そして、おそるおそるレジへ向かう。彼女の心臓の鼓動が、観測しているミハエルたちにまで伝わってきそうだった。
ピッ、という電子音と共に、決済が完了する。あたりは受け取ったレシートと、自分のスマートフォンの残高表示を何度も見比べた。確かに、数百円が引かれている。だが、依然として残高は天文学的な数字のままだ。
「……使えた」
彼女の唇が、かすかにそう動いたのをアリウスは見逃さなかった。
コンビニを出たあたりは、先ほどのミネラルウォーターを一口飲むと、大きく息を吐いた。その表情には、安堵と、それから押し寄せる新たなプレッシャーが入り混じっている。
「さて、小手調べは終わったようだな」
ミハエルが面白そうに言った。
「ここからが本番だ」
彼の言葉を証明するように、あたりの足取りは次第にしっかりとしたものになっていく。彼女はスマートフォンで何かを検索し始め、やがて大通りに面した一際きらびやかなビルへと向かい始めた。そこは、高級ブランドが軒を連ねる百貨店だった。
「そうだ、それでこそだ!」
フレッドが拳を握りしめる。
「まずは形から入れ! 服だ、宝石だ、時計だ! 片っ端から買い占めろ!」
「無計画な消費は、後で精神的な空虚感を生むだけだ」
クロードが冷ややかに呟く。
「彼女が自身の哲学――権力と悪についての思索――を思い出すなら、もっと意味のある使い方を考えるはずだが」
「クロード、君は真面目すぎるな。これは祭りだよ。彼女の人生で一度きりの、無礼講の祭りだ」
ミハエルは笑いながら言った。
百貨店に足を踏み入れたあたりは、その絢爛豪華な内装と、洗練された店員たちの視線に気圧されているようだった。彼女の服装は、この場所にいる他の客たちと比べると明らかに質素だ。だが、彼女は怯むことなく、一つのブランドショップに吸い寄せられるように入っていった。
ショーウィンドウに飾られた、目が眩むような価格のハンドバッグ。あたりはそれに指一本触れることなく、ただじっと見つめている。
「彼女、何を考えているんでしょうか……」
サミュエルが心配そうに呟いた。
「何を考えるかを考えているのさ」
とミハエル。
「彼女は今、自分という存在の価値を、その値札と天秤にかけている。あのバッグを持つにふさわしい人間か、とね。面白い。金は、ただの決済手段ではない。それは人の自意識を映し出す鏡でもある」
長い沈黙の後、あたりは意を決したように店員に声をかけた。彼女が指差したのは、ショーウィンドウのバッグではなかった。もっと控えめだが、それでも彼女の年収の数ヶ月分に相当する財布だった。
「堅実な一手だ」
アリウスが評価する。
「日常生活で常に使うものから変えていく。これは自己肯定感を段階的に高めるための戦略的な選択だ。彼女、思ったよりクレバーかもしれない」
財布を購入し、震える手で真新しいそれを受け取ったあたりは、少しだけ自信を取り戻したように見えた。だが、一億円という途方もない額からすれば、それは大海の一滴にも満たない。
彼女は次々と店を巡り始めた。洋服、靴、化粧品。選ぶものはどれも、以前の彼女ならショーウィンドウを眺めるだけだったものばかりだ。購入のたびに残高は減っていくが、そのペースはあまりにも遅い。日が暮れかかり、彼女の顔には興奮よりも疲労の色が濃くなっていた。
「ダメだダメだ! ペースが遅すぎる!」
フレッドがじれたように叫んだ。
「このままじゃ一週間で一千万も使えやしねえぞ!」
「彼女は今、消費という行為そのものに酔っている状態だ。目的と手段が入れ替わりつつある」
アリウスは眉間に皺を寄せた。
「このままでは、ただの浪費で終わってしまう。彼女が持つ思索の深さが、この試練でどう発揮されるかが見ものだったんだが……」
その日の夜、あたりのアパートはブランドの紙袋で埋め尽くされていた。しかし、彼女自身はベッドに倒れ込み、天井を虚ろに見つめている。達成感はない。あるのは、焦燥感と、そして得体の知れない虚しさだけだった。
「わたしは、何をしているんだろう……」
彼女の呟きが、クロノス・アイを通してミハエルの部屋に響く。
「おや」
ミハエルが興味深そうに身じろぎした。
「第一段階の終わり、自己嫌悪のフェーズに入ったかな」
次の日、あたりの行動は一変した。彼女は高級な消費をやめ、今度は家電量販店や家具店を訪れた。最新式の大型テレビ、高性能なPC、デザイナーズ家具。生活を豊かにするための投資、と言えなくもない。だが、彼女の表情は依然として晴れない。まるで、課せられたノルマをこなすだけの作業のように見えた。
三日目。彼女は不動産情報サイトを眺めていた。
「おおっ! ついに家か!?」
フレッドが期待に満ちた声を上げる。
「タワーマンションの最上階をキャッシュで買うんだ!」
しかし、あたりは画面を眺めるだけで、どの物件にも問い合わせようとはしない。彼女の脳裏には、かつて考えた言葉が蘇っていた。
――正義の軸を自分自身の感情にしてしまうと、あっという間にヒーローが悪党になってしまう。
この金は力だ。絶大な、個人の裁量に委ねられた力。この力を、自分の欲望を満たすためだけに使うことが、果たして正しいのだろうか。それは、自分が軽蔑していた利己的な権力者の振る舞いと、何が違うのだろうか。
「動きが止まりましたね」
サミュエルが言った。
「内省の時間だ」
クロードが静かに応じる。
「彼女は今、この金の『意味』と格闘している」
四日目の朝。あたりは全ての買い物をぴたりとやめた。彼女はただ、窓の外を流れる人々を眺め、何かを深く考えているようだった。
「おいおい、どうしたんだよ! 時間がないぜ!」
フレッドが苛立つ。
だが、ミハエルはにやりと笑った。
「いや、ここからが本当の始まりだよ、フレデリック君。彼女は、ようやくスタートラインに立ったんだ」
そして五日目。あたりは行動を再開した。彼女が向かったのは、今までとは全く毛色の違う場所だった。高級店街ではない。オフィス街でもない。彼女が訪れたのは、古びたビルの二階にある、小さなNPO法人の事務所だった。そこは、経済的な理由で学ぶ機会を失った子供たちを支援する団体だった。
「……寄付は、ルール違反のはずだが」
クロードが訝しげに言った。
あたりは事務所のドアを開け、応対した職員にこう告げた。
「ここにある教材や備品、子供たちに必要なものを、今日一日で、私が全て買い取ります。そして、それを『無償で貸し出す』という形にしてください。所有権は、私にあります」
その言葉に、観察していた五人の男たちの間に、一瞬の沈黙が落ちた。
「……なるほど」
最初に口を開いたのはアリウスだった。
「譲渡や寄付ではない。『購入』と『貸与』。
ルールの抜け穴を突いたか。
しかも、これは自己満足のための消費ではない。他者への貢献を目的とした、極めて戦略的な消費行動だ」
「すげえ……」
フレッドが感嘆の声を漏らした。
「悪でルールすり抜けるんじゃなくて、善ですりぬけたよ……」
サミュエルは、目に涙を浮かべていた。
「よかった……彼女は、お金に心を食い尽くされなかったんですね……!」
クロードも、組んでいた腕を解き、スクリーンのあたりの姿を真っ直ぐに見つめていた。彼の厳しい表情が、わずかに和らいでいる。
ミハエルは、満足そうに深く頷いた。
「見事だ。実に、見事だ。彼女は富という力を、欲望を満たす道具ではなく、自らの信条を実現するための手段として使いこなした。権力者の外側に善悪の判断を置く――かつて彼女が考えたとおりの行動を、自ら示してみせたわけだ」
その日一日、あたりは子供たちのために必要なものを片っ端から買い揃えた。最新のパソコン、大量の参考書、文房具、実験器具。その総額は、数千万円に達した。彼女の顔には、もはや焦りも虚しさもない。そこには、静かで、しかし確かな達成感が浮かんでいた。
ミハエルは立ち上がり、クロノス・アイのスクリーンに向かって、まるで舞台上の役者を讃えるかのように、小さく拍手を送った。
「さて、残り二日と、まだかなりの額が残っている。彼女が次に見せてくれる一手は、一体何かな?」
彼の青い瞳は、極上のエンターテインメントを前にした子供のように、無邪気な輝きを放っていた。
Son Bölümler
七日目の夜。東京の喧騒は、もはや彼女の耳には届いていなかった。クロノス・アイのスクリーンに映る光景は、数時間前までの狂乱が嘘のように、静まり返っている。ネオンの洪水も、パチンコ玉のけたたまし
クロノス・アイの光が、ミハエルの私室を鈍く照らし続けていた。五日目の、あのNPO法人での一件がもたらした感動的な余韻は、既に遠い夢のように色褪せていた。画面の向こう、東京という都市の一角で見
「さて、残り二日と、まだかなりの額が残っている。彼女が次に見せてくれる一手は、一体何かな?」
ミハエルの青い瞳は、極上のエンターテインメントを前にした子供のように、無邪気な輝きを
ヴァーレンス王国の公爵、ミハエル=シュピーゲル=フォン=フリードリヒの私室は、彼の多岐にわたる興味を静かに物語っていた。壁一面を埋め尽くす書棚には、古今東西の書物が革の背表紙を並べ、部屋の隅
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