数え唄
Sinossi
三十四歳のフリーライター・早乙女雪緒は、疎遠だった母の死後、遺品を整理する中で注連縄で縛られた木箱を見つける。彼女は説明できない衝動を感じる——開けてはいけない。
その後、奇妙な現象が始まる。空気に漂う淡い藁のような甘い匂い。繰り返し見る夢——声が数を数えている。「ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ」——しかし六つ目には決して届かない。
やがて、その数える声は現実にも聞こえ始める。
母と祖母の日記を見つけた雪緒は、二人も同じ体験をしていたことを知る。曾祖母の記録には「数え唄」と、背筋が凍る概念が記されていた:「入れ替わり」——六つ目を数えたとき、それは起こる。
Capitolo1
母が死んだという報せは、一本の電話によって無機質にもたらされた。
二〇二三年、初冬。その言葉が受話器の向こうから鼓膜を揺らした時、私は東京の自室で、書きかけの原稿を前にただキーボードを叩いていた。外は鉛色の雲が低く垂れ込め、窓ガラスには冷たい雨粒が筋を引いている。予兆も、虫の報せも、何一つなかった。まるで、遠い国の出来事を伝えるニュースのように、母の死は私の日常に割り込んできた。
「突発性多臓器不全、だそうです。六十二歳でした」
電話口の男は、おそらく市役所の職員だろう、感情の乗らない事務的な声で続けた。私は「はい」とか「わかりました」とか、意味をなさない相槌を打ちながら、ディスプレイに表示されたままのカーソルが点滅するのを眺めていた。死という言葉の持つ重みが、私の意識の表面を滑り落ちていくだけで、現実感を伴って沈み込んでくることはない。
母、早乙川佳代子。彼女と私の関係を親密と呼ぶには、あまりにも多くの空白があった。両親が離婚し、私が父に引き取られてからは、年に数回、顔を合わせるだけの間柄。母は再婚もせず、埼玉の古い一軒家で、近所付き合いもほとんどなく、独りで暮らし続けていた。その孤独な生活を、私は可哀想だとも、気の毒だとも思わなかった。それは母が選んだ道であり、私には立ち入る権利も、関心もなかったからだ。
葬儀は近親者のみで、というより、集まったのは私と、父方の叔母夫婦だけだった。空っぽの祭壇の前で、私は涙一つ流さなかった。ただ、母の遺影が、記憶の中のどの顔よりも老けていることに、わずかな動揺を覚えただけだ。悲しみというよりは、むしろ一つの役目を終えたような、奇妙な安堵感があった。長い間、心の片隅に埃のように積もっていた「娘としての義務」という重荷が、ようやく取り払われたような解放感。私は冷たい人間なのだろうか。そう自問してみても、答えは出なかった。
葬儀を終え、私は母が住んでいた家へと向かった。遺品の整理という、最後の義務を果たすために。電車を乗り継ぎ、バスに揺られ、たどり着いたその家は、私の記憶にある姿とほとんど変わっていなかった。古い木造の二階建て。庭には手入れされなくなった雑草がまばらに生え、冬枯れの木々が寒々と枝を伸ばしている。鍵を開けて中に入ると、ひやりとした空気が肌を刺した。そして、ある種の違和感が、私の鼻と目を刺激した。
家の中は、奇妙なほど整然としていたのだ。まるで、住人がついさっきまで几帳面な掃除をしていたかのように、埃一つ落ちていない。独り暮らしの老人の家特有の、生活の匂いや、物が雑然と積み重なった気配がまるでない。むしろ、モデルルームのように、誰かの手で意図的に秩序が保たれているような、不自然な清潔さがそこにはあった。リビングのテーブルの上には、リモコンと新聞が一分の隙もなく並べられ、台所のシンクは磨き上げられて鈍い光を放っている。母がこのような潔癖症だったという記憶は、私にはない。
私は二階の母の寝室へ向かった。そこも同じく、生活感の希薄な空間だった。簡素なベッドは完璧にメイキングされ、小さなドレッサーの上には数少ない化粧品が整然と並んでいる。私は黙々と遺品の整理を始めた。衣類、数冊の本、そしてわずかな食器。母の人生が、驚くほど質素で、空虚なものであったことを物語っていた。父と離婚した後、彼女の世界はまるで時間が止まってしまったかのようだ。個人的な思い入れのありそうな品物は、ほとんど見当たらない。作業は淡々と進み、疲労だけが静かに蓄積していった。
その「箱」を見つけたのは、クローゼットの奥深くを調べていた時だった。季節外れの衣類や、古い布団が詰め込まれたその一番奥に、何か硬い感触が指先に触れた。引きずり出してみると、それは何重にも白い布で厳重に包まれた、一つの塊だった。まるで大切な何かを世間の目から隠すかのように、その布は幾重にも巻かれ、一番外側は、すっかり色褪せた注連縄で固く結わえられていた。
注連縄。神社の鳥居や神木に見られる、神聖な領域と俗世を分けるための縄。それがなぜ、母の寝室のクローゼットの奥に。私はわずかな戸惑いを覚えながらも、その固い結び目を解いた。布は古い木綿のようで、ところどころ黄ばんでいる。一枚、また一枚と布を剥がしていく。まるで、考古学者が発掘品の土を慎重に払い落とすような心境だった。
やがて現れたのは、一つの桐の箱だった。大きさは、ちょうど単行本が一冊収まるくらいだろうか。表面には何の装飾も、文字も刻まれていない。ただ、長い年月を経た桐の木肌が、滑らかな感触を伝えてくるだけだ。私はそれを持ち上げてみた。驚くほど軽い。振ってみても、中で何かが動く音は一切しなかった。空っぽなのだろうか。
好奇心に駆られ、私は箱の蓋に指をかけた。それを開けて、中身を確かめようと。しかし、指先が蓋の縁に触れた瞬間、背筋にぞわりとした悪寒が走った。それは恐怖とは違う。もっと本能的な、根源的な不快感。言葉にするなら、「開けるべきではない」という強い直感だった。私の意思とは無関係に、身体がそれを拒絶している。心臓が不規則に脈打ち、指先が微かに震えた。
なぜ? 理由などわからない。ただ、この箱の蓋を持ち上げるという行為が、何か取り返しのつかない事態を引き起こすだろうという、根拠のない確信だけがあった。私はゆっくりと箱から手を離し、畳の上に置いた。しばらくの間、その無機質な木箱を、ただじっと見つめていた。静まり返った部屋の中で、その箱だけが異質な存在感を放っているように感じられた。
結局、その日はそれ以上、遺品の整理を進める気にはなれなかった。私は見つけ出した数少ない貴重品や書類と共に、その桐の箱も段ボールに詰めた。なぜ持ち帰ることにしたのか、自分でもよくわからなかった。捨てるという選択肢が、なぜか頭に浮かばなかったのだ。それはまだ、母の所有物であるような気がしたからかもしれない。
東京の自分のマンションに戻り、私は荷解きを始めた。母の遺品は、一つの段ボールに収まる程度しかなかった。その中で、私は母が遺した書類に目を通し始めた。几帳面な母は、日記や日々のメモ、家計簿、果てはスーパーの買い物リストに至るまで、あらゆるものを記録して保管していた。その筆跡を追っていると、生前の母の息遣いが聞こえてくるような錯覚に陥る。
「十二月三日、晴れ。大根が安い。醤油、切らす」
「一月十日、曇り。本棚の整理。腰、痛む」
そんな他愛のない記述が延々と続く。私はそれらを一枚一枚確認しながら、分類していく。その作業の途中で、ふと、ある奇妙な事実に気づいた。
あれだけ几帳面に日々の出来事を記録していた母が、あの桐の箱について、一言も書き遺していないのだ。日記にも、メモにも、手紙の下書きにも、どこを探しても、その存在を示唆するような記述が一切見当たらない。まるで、初めからそんなものは存在しなかったかのように。あるいは、母が意図的に、意識的に、その箱について文字で記録することを避けていたかのように。
その沈黙は、雄弁だった。箱そのものよりも、その「記録されていない」という事実の方が、私の心に不気味な影を落とした。あれは一体、何だったのだろう。母にとって、どういう意味を持つものだったのだろう。疑問が次々と湧き上がるが、答えを知る者はもういない。
私は段ボールの底から桐の箱を取り出した。やはり、それは静かで、軽く、何も語らない。しばらく眺めた後、私はそれを自室のクローゼットの、さらに奥にある収納スペースに押し込んだ。今は、これ以上関わるべきではない。そう判断したのだ。日常に戻らなくてはならない。仕事も溜まっている。私は自分にそう言い聞かせ、収納スペースの扉を固く閉じた。その向こうの暗闇で、箱が静かに息を潜めているような気がしたが、すぐにその感覚を振り払った。
Ultimi capitoli
二〇二四年、夏。蝉の声がアスファルトの熱を吸い上げて、空間そのものを震わせているような午後だった。部活の汗とクーラーの冷気が混じり合った教室の匂い、友人たちの他愛ない笑い声、もうすぐやって来る夏休みの
書かなければ。 書かなければ、私は私でなくなってしまう。この思考が、ほとんど唯一、私の中に残された理性の光だった。震える手でボールペンを握りしめ、数日前に買ったばかりの、まだインクの匂いがするノー
箱から響いた声、あるいは思考とも呼ぶべきあの囁きは、私の内側に最後の楔を打ち込んだ。あれ以来、私は鏡を直視できなくなった。それは単純な恐怖ではなかった。かつて、自分の顔かたちや髪の乱れを確認するための
曾祖母の手紙を読んで以来、私の日常は崩壊への道を転がり落ち始めた。私は抵抗しようと試みた。正気と日常を取り戻すために、止まっていた原稿の仕事を再開し、一日三食をきっかりと作り、決まった時間にシャワーを
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