Synopsis
ぼったくり被害にあった太郎は、ある日1人の少女と出会う
Chapter1
ネオンの光が、濡れたアスファルトに毒々しい極彩色をぶちまけている。新宿・歌舞伎町の裏通りは、湿り気を帯びた排気ガスの臭いと、どこからか聞こえてくる酩酊した嬌声に満ちていた。派遣社員として日々を食いつなぐ佐藤太郎は、肩をすぼめて立ち去ろうとしたが、その行く手を分厚い胸板が遮った。
「お兄さん、いい店あるよ。ちょっと一杯寄っていきなよ。安くしとくからさ」
強引に肩を組まれ、抗う間もなく地下へと続く階段を押し流されていく。重苦しい扉が開くと、「竜宮Bar」という看板とは裏腹に、そこには安っぽいベルベットのソファと、やけに目つきの鋭い男たちが待ち構えていた。太郎が断りの言葉を口にしようとしたその時、目の前には聞いたこともない銘柄のボトルと、心臓が凍りつくような数字が並んだ請求書が突きつけられた。
「……あの、これ、何かの間違いじゃ」
「間違い? うちの酒を飲んでおいて、そりゃあないな。身なりはそれなりなんだ、サクッと払っちまえよ」
男の低い声が鼓膜を打つ。太郎の喉は渇ききり、指先が小刻みに震えた。抗議する勇気など、この都会の底なし沼には一滴も残っていない。結局、彼は生活費のすべてをむしり取られるようにして、クレジットカードの端末に暗証番号を打ち込んだ。店を蹴り出された時、夜風は残酷なほど冷たく、彼のポケットには明日からのパンを買う小銭すら残されてはいなかった。
絶望という名の鈍い痛みを抱え、死んだ魚のような目で電車を乗り継いだ。辿り着いたのは、郊外にある築三十年の安アパートである。外階段を昇る足取りは鉛のように重く、ただ泥のように眠りたいという欲求だけが彼を突き動かしていた。しかし、自室のドアの前に差し掛かった時、太郎は自分の目を疑った。
コンクリートの床に、白い塊がうずくまっていたのだ。
「……えっ、あ、あの?」
声をかけると、その塊がゆっくりと顔を上げた。街灯の光を浴びて透き通るような肌をした、一人の少女だった。季節はすでに冬の足音が聞こえる晩秋だというのに、彼女は夏の終わりのような薄手のブラウス一枚で、震える肩を抱いている。足元を見れば、白く細い足首が無惨に腫れ上がっていた。
「……すみません。動こうとしたのですが、足を、その」
「大丈夫ですか? 怪我をしているみたいですが……」
彼女の瞳は、どこか遠い世界を映しているかのように澄んでいた。この掃き溜めのようなアパートにはおよそ似つかわしくない、浮世離れした美しさがそこにはあった。太郎は困惑しながらも、自分の痛みを忘れて彼女の前に膝をついた。
「どうしてこんなところに? 家はどこなんです?」
「家……。行く当てなんて、どこにもありません。故郷(ふるさと)にも、もう戻れないんです」
少女は力なく首を振り、縋るような視線を太郎に向けた。その言葉に含まれた重みが、太郎の胸に突き刺さる。自分もまた、この巨大な都市に居場所を見つけられず、ただ搾取されるためだけに生かされている存在ではないか。ドア一枚隔てた向こう側にある孤独な自分の部屋と、寒空の下で凍える彼女。太郎は自分の財布が空であることを思い出しながらも、唇を噛んで言った。
「……とりあえず、中に入ってください。一晩だけなら、なんとかできますから」
「よろしいのですか……? 私のような者に」
「いいんです。僕も、似たようなものですから」
彼女の肩を貸し、なんとか狭いワンルームの中へと招き入れる。暖房のスイッチを入れ、太郎は台所に立った。冷蔵庫の中は空に近かったが、棚の奥に一袋だけ残っていた乾麺のうどんを見つけ出した。具材は刻み葱と、申し訳程度の揚げ玉だけ。醤油とみりんで適当に味を調えただけの、彼が「節約うどん」と呼んでいる代物だった。
「はい、これ。大したものは作れませんでしたけど」
湯気を立てる丼を、炬燵の上に置く。少女――千鶴は、震える手で割り箸を取った。一口、また一口とうどんを口に運ぶたび、彼女の大きな瞳から大粒の涙が溢れ出し、出汁の中に落ちた。
「おいしい……。こんなに温かいものをいただいたのは、いつ以来でしょうか……」
「ただのうどんですよ。そんなに泣かなくても」
「いいえ。佐藤さん、この御恩は、いつか必ずお返しします。私は、いただいた恩は決して忘れませんから」
千鶴は箸を置き、床に手をついて深々と頭を下げた。その真剣すぎる態度に、太郎は気恥ずかしさを覚えて苦笑いを浮かべた。
「恩返しだなんて、そんな大げさな。今はまず、足を治すことだけ考えてください。僕の方こそ、こんな貧乏な部屋に呼んでしまって申し訳ないくらいですから」
彼女の言葉を、ただの行きずりの礼儀だろうと受け流しながら、太郎は窓の外で鳴り響く風の音を聞いていた。明日の支払いのこともしばらく頭から追いやり、ただ目の前で温かい湯気を吸い込んでいる少女の姿を、守るべき小さな灯火のように見つめていた。
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「あ……あぁ……」
太郎の口から漏れるのは、言葉にならない空気の塊だけだった。
思考が真っ白に染まる中、目の前の光景だけが残酷なほどの鮮明さで目に焼き付く。
深夜2時。
都市の喧騒が眠りにつく頃、佐藤太郎の部屋には異様な緊張感が張り詰めていた。
壁の薄いアパートの静寂を切り裂くように、納戸の奥から再び、あの狂気じみた絶叫が
通帳記入の音が、ATMの静寂の中でやけに大きく響いた。
ジジジ、という機械的な印字音が止まり、吐き出された通帳を手にした瞬間、佐藤太郎の心臓は早鐘を打った。そこには、
その翌朝、六畳一間のアパートは、かつてないほど濃密な味噌汁の香りで満たされていた。
佐藤太郎が重い瞼をこすりながら身を起こすと、狭い台所に千鶴の姿があった。彼女は自身
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